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2012年2月 3日 (金)

ベッド下の掃除

同じ市内でも山間部はマイナス10.2度という。うちの寒暖計もマイナス4度をさしている。
さすがに今朝は寒い。しかし雪はちょろちょろと地面を汚しているだけ。屋根にはさすがに1、2センチ積もってはいるが。
奥の県境付近では1.5mも積もったとテレビは報じている。随分違うなあ。

8時半陽光燦々として眩しい。昼中はどうやら暖かくなるらしい。

天気が良いので、我が部屋の掃除をする。ベッド下に突っ込んでいる鞄に入れた古い雑誌が読みたくなったから、それを出すついでにという事である。
身体が思うように曲がらないし、しゃがまれないし、正に悪戦苦闘といったていたらく。やっと朝9時から初めて午後2時に終わる。
家内は何度も顔を出して何をしてるのかと、聞く。時ならぬ時だから不思議ならしい。
私のは思いついたらすぐが原則だから、いつでもこれである。

ベッド下の掃除だから先に布団類をベランダに出して、干しながらやれば、未だ簡単に徹底してやれたのだが、後の祭りで気の付くのが遅過ぎた。

朝すこし雪がちらついたが、お義理にと言った感じで、九州、四国の方まで降らして、宮島付近だけ残すというのも気が引けたか、しかし間もなくそれも止んでいい天気である。気温はしかし上がらない。

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河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その23)

○一万円紙幣の夢
こんな状況で、売り食いの生活が出来る日本人はいいとして、着の身着のまま逃れて来た疎開者には、私達みたいな行商か、苦力という肉体労働の仕事以外には表立って仕事はなかった。膨れ上がった人口の反面、生産性のない終戦後の街では物価はどんどん上昇していった。
小田原さんの奥さんのお供で買い物に出た時、お汁粉でも食べようかと誘われてご馳走になる事があったが、最初10円位の汁粉は冬近く30円にもなっていた。

ある日、屋台に立っていた私のところに、古道具類の行商をしていた松山が飛んで来た。
”Kさん、今日は商売止めてすぐ帰ろう” 血相変えていた彼の手に見た事のない大きな紙幣が握られていた。中国の北支方面で出回っていた儲備券と聞いたが、10円紙幣以上お目にかかってない私も、1万円という金額に圧倒されてしまった。彼は早口に喋った。
”今ロスケ(ソ連兵)に花瓶を売ったらこれを置いて行ったよ。取り戻しに来ないうちに帰ろうよ”
数人の付近の屋台行商の連中が集まってきた。残っている商品をそのままにも出来ず、松山だけ道具類をまとめて早々に帰って行った。
一万円札といえば胸が鳴った。しかしながら、1時間後私が帰った時、この1万円紙幣は相場で、今使っている日本紙幣60円位の値段と評価されたといって、不貞腐れていた松山を見て唖然とした。
支那大陸らしいエピソードであった。(つづく)
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