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2012年2月 6日 (月)

蘭展

昨日は家内が起きる早々蘭展を見に行こうという。
この寒いのにと思ったが、うちばかりではいけないので反省をこめて頷く。
蘭はいいが、今の時期外に花などありはしないだろうし、人も居ないのではと思って植物園に着いてみると。もう駐車場はいっぱい。人は行列を作っている、驚いたなあ。
子供連れも多い、今日は日曜日だった。

本館は蘭を主体に満館飾。
いつか見て来た、三春の滝桜、中尊寺の金色堂、そして弁慶までランの花であしらわれて、勢いを添えている。
これだな!
テレビかなにか宣伝に載せられてかくも押し寄せたらしい。

こちらは寒いのと動悸が激しいので、早々に脱落して逃げ戻る。
並みの服装ではもう駄目らしい。


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河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その26)

22、往く年、来る年

随分といろんなことが起こった波乱の1945年(昭和20年)も過ぎようとしていた。今年中にと念願しながらも引き揚げられなかった日本人同胞は、これからの行く末を思案しながらも、生きるためには生活の途を求めねばならなかった。あれこれ不安と焦燥の中で毎年のしきたり的に、細々と越年の準備をし始めた。
私も労働作業のない時は奥さんたちの手伝いに洋子ちゃんのお守りに専念した。

すっかり冬将軍が訪れて,木枯らしの吹く寒い日が暫く続いた。
街には進駐して来た八路軍の兵士の数が急に増加し始めた。何もなければ良いがと願っているうちに、苦難の昭和20年は過ぎて行った。

1946年の新年が訪れた。深々と門戸を閉ざした日本人街はひっそりと静まりかえっていた。その家の中では、戦前のしきたりに似た新春の行事が粗末ではあったが郷愁を忍ぶかのごとく取り行われていた。

満洲の市街地は、特に住宅街は道路で仕切られた1町内の建物が城壁に似て並び、表玄関以外には出入り出来ず、その反面、各建物の裏側は共同の広場のようになって、区割内の居住者は自由に裏口より往来し親睦を図っていた。それは非常の場合に通じる建築の様相でもあり、前述のように強盗に襲われた場合でも、区割り内の誰の家にでも逃げ込めるようになっていた。

終戦以来、面白くもない運命に弄ばれていただけに、また日頃何かとお互いの雑役に追われていたので、せめて正月くらいはとの気持ちが盛り上がって、正月ならではの遊びが続けられていた。
年配者は麻雀に、若い男女はカルタ、トランプに興じて暫しの苦しみを忘れるかのように楽しんだ。

私も松山も4年の軍隊生活で味わえなかった町内の男女に混じってゲームをすることの喜びをしみじみと噛み締めていた。
町内の人々は、私達を10年来の知己のごとく招待し、ご馳走してゲームに誘ってくれた。
特にカルタ取りには自信のあった私の、ライバルとなった新田さんの娘さんの可愛い顔が、暫く家庭の女性との接触に離れていた私に、何かと戸惑いを覚えさせられるものがあった。
とにかく楽しい正月の数日であった。
おそらく在満5年間のうちで、最も楽しかった期間として今でも思い出す事ができる。
だが、良い事の後には必ず凶事が控えているのは世の習い、数日後恐ろしい事件に巻き込まれることとなった。(つづく)
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