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2012年2月 1日 (水)

旧友河北省一君を偲ぶ

明け方までにかなり降ってたらしい。庭先はぐっしょり濡れそぼっている。
気温3度とやや暖かい。暦の上では晩冬だが、東北の方は大量の積雪に悩んでいるらしい。
こちらは雪らしい雪はまだ降っていないが、天候は毎年同じ調子とは限らないが、事実上の春はまだ一月以上も先の事である。

家内は検査があるとかで、食事をしないでせいこう胃腸外科に出かける。

いつも思っているのだが、寿命というものは不思議だということである。この歳になると明日をも知れぬ自分の寿命を忘れて暮らす事はもう考えられない。
あれだけ好きだった旅行もとんと出かける気にならない。何時どこで転ぶか知れないし、病気で倒れるかもしれないからと遠慮する。
ツァーなんかも案内広告は各社からどっさり頂くが皆見る事もなくゴミ箱行きである。
付いて歩けないだろうと心配が先に立つ。

自信を失うということはやはり大変な事らしい。

今ブログに連載している河北君の戦後逃走帰国した経緯など、よほどの決断力がないと実行出来なかったと思うが、若かったしその気力体力がその危険予測に打ち勝ったのだろう。しかし彼とても運が悪ければひとたまりもなかったかも知れない。
運が悪ければ、私の妹みたいに瞬時の交通事故で元気な命を失ってしまうこともあるのだ。
その彼も平成4年丁度20年前亡くなった。遠方の事だから原因は知らない。

彼の手記を再録しながら読み返しているのだが、小説を読むよりもスリルに富んで面白い。
誠実という言葉を絵に書いたような男だったが、結局彼に接する人たちがその誠実さに惹かれて協力を惜しまなかったのだろう。
苦境を乗り越えて帰国を果たした経緯が当然と受けとめられる程だし、この時は運命も助けた。

私の同期には何人も公認会計士がいるが、彼は確か第1期の筈である。
私が資本金一億の会社を設立したとき、わざわざ熊本から来ていただいて相談に乗っていただきアドバイスを受けた。
もちろん軌道に乗れば当然公認会計士の決算承認が必要だったかも知れない。

その縁もあって、戦後はわりと仲良く付き合った。唯遠距離だったから、日常常にという訳にはいかなかった。
しかし何を頼んでも誠実無比で信頼を損ねることなど全く無い男であった。
ブログに転載している彼の手記など、私に対する親愛の情から披露してくれたのだろうが、個人的なことまで打ち明けてくれるなど、当時は思っても見なかったことだった。
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河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その21)

19、市場の風情

○市場に咲く一輪の花
市場内の私の売り場の横に女性2人で広げた同じ様な売場があった。
同じ境遇からの気安さで親しくなった。彼女等は2人づつ組んで市場の中に3カ所に屋台の売場を持っていた。聞いたところでは新京より疎開してきた旧満州国某官庁の職員の一行であり、地味な格好していても、OLらしい風情が現れていた。
一人は20歳位の平凡なOLだったが、私はもう一人の24~25くらいに見える女性に惹かれた。慎ましい態度と彫りの深い顔立ちもさることながら、憂いを含んだ眸と、長い睫毛がいかにも哀れだったからだ。父親と同伴して内地に帰る途中安東でストップを食った集団で、食うため手分けして行商をしているということだった。
数年前に新京に来たとの事で東京の杉並に自宅があるとの話題も、当時東京に居た私と共通の懐かしさを含めて親しくなっていった。
その後彼女が既に婚約していること、戦争がなければ内地で式も済んでいた筈だとか、若い女の子から聞く事が出来た。
彼女等は殆どスカーフのようなもので、頭の髪を蔽い黒髪を曝さないようにしていた。それはソ連兵に扇情的な気持ちを起こさせないためのもので、新京でも、奉天でもよく見た風情であったが、彼女の場合には反って痛々しく見えるのも不思議なものであった。
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○ソ連軍の老将校と彼女
この市場の中もソ連軍兵士が時折通り抜ける。物珍らしげに並んだ商品を見歩いて、にこやかに立ち去る。昼間は市場内で暴力を振るうことはほとんどなかった。
若い兵士と別に、一人で毎日午後にこの市場を見回る老将校がいた。服装からゲーペーウーと囁かれていたこの年配の将校は、私の隣の彼女等の売場の前でよく立ち止まって、特に年配の彼女を優しい目で見つめるのであった。
そんな時に彼女は黙って俯き、いつまでもじっとしていた。老将校は彼女等の売場の商品を手に取った事もあったし、話しかけたこともあった。勿論言葉は通じないので返事も出来なかろうが、そんな時の老将校の穏やかなまなざしは、おそらく故郷に残した娘の事を思い出しているようであり、いつも私は横から微笑して眺めるのであった。つい2ヶ月前に戦争があったとは思えない風情で、何かしら平和なほのぼのしたものを感じた。(つづく)
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