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2012年1月23日 (月)

駅伝競走という日本の伝統

今年も府県対抗駅伝で地元広島県は出端からくじかれて、テレビの画面を賑やかす事はなかった。
女子の京都が羨ましい。
やはり総合的に力が足りないのだろう。宮島は清盛人気にあやかって、騒々し過ぎるが、駅伝も負けずに計画的に力を入れるべきだと思っているのだがどうだろう。
日本人口の5分の一は持っている東京がやっと芽を出した。人材は掃き捨てる程いる筈だ。力が入り始めると怖いぞ。
刮目して見ていよう。

高校生は強いのに、中国各県はどうしてあんなに弱いのだろう。
私の若い自分は野球といい陸上といい中国勢は全国をリードしたものだ。野球では藤村富美男が居る。陸上では織田幹雄、田島直人が居た。
藤村は私と同じ年代だし、田島は同じ中学の先輩だった。力が入らざるを得なかった。
藤村が甲子園で優勝し、田島がベルリンで三段跳の日本連覇を果たした時など、母校の校庭で歓喜に沸いたものであった。

駅伝は選手選考が一番難しく、一番肝心だと思うが、他人のせいにするのでなく、県民挙げて協力すべきだと思うがどうだろう。
駅伝は寒い時期の風物詩として、箱根駅伝を始め日本固有で私が呱々の声を挙げる頃から定着している。
昔の中国駅伝はよく応援に瀬野川流域まで出かけたものである。鐘紡、東洋工業のせめぎ合いは圧巻だった。
今度の府県対抗はその流れを引いたものだろうが、お膝元が冷淡ではしまらない。
なんとかして欲しいとは私達老人のみの願いだろうか。

私の母校は確か明治節の日に必ずお城山一周という学校挙げての行事があった。一年生から5年生まで同じ距離を全校同時に競争して走るのである。もちろん色分けして組別対抗の形式を取った。
一年生の時は夏休み頃から夜一生懸命走る練習をした。結果四十何番かであった。5年間とうとうその記録は破れなかった。
距離は10キロ位あったかな。

峠の頂上から走り始めて、お城山の麓道を一周するのだから、結構難路であった。上級生が尻を追い立てた。下手な脱落は許されなかった。
4年生の時だったか5年生の時だったか県下の中学校の駅伝大会が始まった。もちろんこの長距離競走で鍛えられた優秀者がピクアップされ見事に優勝を遂げた。
第2回、第3回と優勝が続いた。戦時中の中断があったかは定かには知らない、形を変えて今でも存続している筈であるが。母校は受験校というスタイル変更もあってか、芳しい話は近来聞いた事がない。
田島を生んだり、スポーツには輝かしい伝統がある我が母校である。
現在では時折野球で甲子園の土を踏んだりしている。これでまあよしとするか。
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河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その12)

10、庇護を求めて

とある大きな建物の前に立った。大きな門構えの内側に数人の男の話し声が聞こえて来た。日本語だった。近づく私達に慌てて話し声が止んだ。
”どなたですか?”と問いただして来た。私達は黙って彼らの前に立った。
”ああ、兵隊さんですね! 逃げて来たんですか?” それは意外に落ち着いた声であった。
”逃げてきました。かくまってくださいませんか?” 松山が低い声で挨拶した。
私達4人は薄明かりの中に願いを込めて彼らを見つめた。
恐らく相当数の人が住んでいる官庁か大会社の寮らしかった。そして彼らは交互に夜間警備をしていた人たちに違いなかった。

”兎に角、中に入ってください”と門の中に導かれて玄関横の応接室らしい部屋に通された。
灯の火は凡て薄暗くしてあるのも、略奪暴行に備えた戦後の惨めな日本人の常識であるのだろうか。
窓に黒いカーテンが掛かっていた。そこで明るい電気に切り替えられて眩しく目をそらした私達であった。

代表らしい初老の人が話しかけて来た。
”大変だったでしょう! 軍隊が集結されたとは聞いていましたが”
“はい、明日から捕虜になるので、思い切って逃げて来たのですが、2、3日泊めていただけませんか? いや、一晩でも結構ですがお願いいたします” 私達は懸命に頼んだ。
拒否されても仕方がないと思いながらも、藁をも掴む心境だった。

”良いでしょう。2、3日泊ってゆきなさい。ソ連軍が調べに来ることもないでしょう”
”ここは満州国の官庁の寮ですので、女、子供も沢山居ります。あまり騒がないようにお願いします。あなたたちの話は明日にして今晩はお休みください。もう2時半ですよ。”

この親切な小父さんは、3階の物置らしく空いた1室に私達を案内した。
指示によってAとBが寝具を運び込んで来た。

”おやすみなさい。話は明朝ね” そういって去って行った。
よかったなあ、と、ほっとした私達は軍服を脱いで何年振りかに布団の中にもぐり込んだ。(つづく)
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