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2012年1月31日 (火)

日本人口と日本人の人口

朝気温マイナス1度、格別空模様に変化なし。天気は良さそうである。昨日はちょっと時雨れたりしたが、まあまあの照ったりくもったりで済んだ。
今朝の新聞一面に人口50年後に3割減とある。2060年8674万人65歳以上4割とも書いてある。
こうした数字は天変地異でもない限りほぼ間違いないから、日本列島は過疎の島になるのであろうか。
どっこいそうはならないだろうな。人口の有り余っている国々は周辺にざらにある。自然の原理として流入は免れ得ないだろう。
いつかこのブログで書いたように、合衆国化が進むかも知れない。
試みにウイキペディアを覗いて見ると、次の通り書いてある:ーー
日本の総人口は、2010年の国勢調査の結果によると128,057,352人(2010年10月1日現在の確定値)であり、前回調査(2005年)と比べ289,358人増加した[1]。
日本人の数(2010年10月1日現在の確定値)は125,358,854人で、前回調査(2005年)に比べ37万人(0.3%)減少した[2]。ーー
即ち日本人の人口は37万人減ったけれど、日本に住んでる人は29万人増えたという事である。
差し引き5年間で66万人外国からの流入が増えたという事ではないか、1億2、3千万人の総人口は変らないという事でもある。地球人口は増大して止まらない現況にある。日本人口だけが減少するなんてやはり考えにくい。
現に朝鮮からの人々は3世代4世代となって、何倍にも膨れ上がっているだろう。私自身の係累だって、アメリカに何十人いるか想像もつかないほどいるのだから。
もし仮に50年後も総人口が1億3千万人とすれば4千2百万人の流入人口があったことになる。とすればもうこれは合衆国というべきではないのか。総人口が1億5千万人にでもなったとしたら、実に6千2百万人が他民族である。もう合衆国そのものといってよい。
政治体系は大きく変わらざるを得ないだろう。
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河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その20)

18、第2の商売

10月になって、伝手を求めて豆腐(支那トーフ)の製造元を紹介してもらい、市場で立売りすることにした。朝6時にこの豆腐をつくっている満人の家まで直径50~60cm厚さ12~13cmの円形に出来上がった豆腐を買って、その場で30位に平等に包丁で切り分けてもらい、バケツに入れて持ち帰る事にした。勿論現金仕入であった。
最初の日に松山と私はバケツ2個を竹竿で担いで街を歩いてみた。内地でよく見かけた豆腐売りの声音をまねて”トーフー”と叫ぼうと思うがなかなか声が出ない。
ジャンケンで負けた方が先棒を担ぎ、”トーフー”と呼び声を出す事、そしてクーニャンに出会ったら前と後ろを入れ替わる事に決めた。クーニャンは通っても豆腐はなかなか売れなかった。

考えてみれば軍隊崩れのむくつけき日本人の男が2人、バケツを肩に怒鳴っても売れない筈だ。
午前中に5丁やっと売れた。韓国の奥さんが私達を慰めて2丁買ってくれたのは嬉しかった。
そこで翌日から市場に持って行き立売りする事に決めた。
市場では一般の買い物客の外に私達と同じ様な行商している連中も買ってくれた。

ある雨の日、半分程どうしても売れずに持ち帰った。小田原さんと森田さん一家に食べてもらい、私らはご飯は炊かずに豆腐で腹をふくらそうとしたが、豆腐は一人3丁食べるのがやっとだと判った。
食べる方法はやっぱり冷や奴が一番腹に入るようだ。
相当の損をしてこの夜は、何かしら情けなくて豆腐の夢を見た。

中旬に入って今度は餅の製造元で小餅を買って、市場で豆腐と並べて一緒に売る事とした。
小餅は製造の餅屋で20~30斤の餅を買って、1斤づつ小袋につめて小売りするという単純な仕組みであった。これは案外と受けた。
余っても小田原さん、森田さんの奥さんたちが喜んで買ってくれるので気が楽であった。

私達が市場で過ごすのは朝9時頃から夕方の4時頃までであった。
この市場は終戦までは公設市場であったとか、4番通りの区割りをそのまま市場にしたもので、市場内の通路に沿って店舗が並んでいた。
主として食料品、日用品の店と食堂が多かった。私達は此れ等店舗の邪魔にならない場所で空き箱を積み上げて商品台としていた。
市場の通路で豆腐と餅売りが1週間位続いて、やっと市場の状況に慣れて来た。
お昼の食事を交代に取る外は2人立っていたこの商売も、落ち着いて来ると常時売れる訳でもなく、長時間の立売りも次第に退屈になってきた。

この頃になると、噂として内地に帰る事は当分無理としても、引揚の際に持ち帰る品物は大幅に制限されるだろうということで、安東在住の人々は不要な家具、衣類を少しづつ売りに出す事を考え始めた。
それに食い詰めた疎開者が古道具や、古着を買って出るようになって俄に脚光を浴びる商売となって来た。
委託を受けて、なるべく高く売れば、その10%を手数料としてもらう仕組みが多かった。
松山も早速この商売に目を付けて、豆腐と餅売りを私に任せて、小田原さんや親戚の方たちと話し合って道具、衣類の委託販売をやることになった。
私はむしろ地道な小売りの方が性格に合っているので、よろこんで彼の提案に従った。(つづく)
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