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2012年1月29日 (日)

重友選手よく走った

又マイナス1度の朝、今日は島がはっきり見える。
テレビをみると大雪のところが多いらしいが、さして南国でもないこの地方はなんと恵まれているのだろう。
ぽかぽかと適度な陽気で老人は過ごしやすい。有り難い事だ。

すこーし夜明けが早くなった様な気がするが、寒いので床離れは家内も私も遅くのろい。
パン・コーヒーに牛乳の朝食でも、摂り終わるともうすぐ9時である。
する事はないのだからこれでいいのだが、寒さで硬直した身体がますます云う事をきかなくなる。

昨日送って来た同窓会報をみると、北九州に住んでた同じクラスだった川崎哲夫君の訃報が載っている。地方実業家として鳴らした時期もあった彼だが、もう20年以上も再会することはなかった。明るく人触りがよく、何よりも酒豪といってよかった。
地上から消え行くものばかりである。

大阪女子マラソンが今終わった。新しくマラソン歴2回目の重友選手が2時間23分23秒で優勝した。
久しぶりに日本人選手の優勝で一安心、しかし2位はやはり外人である。最後の馬力は凄いなあ。
オリンピックに出かけても頑張れる選手と見た。しっかりやって欲しい。
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河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その18)

16、安住の場所を求め

私達3人はそんなことで、取りあえず一夜の宿を求めて、街の中を一軒一軒お願いして廻った。
門を閉ざしているところ、既に宿を提供している家が多く、諦めた私達は日本人会にもう一度頼み、駄目な場合は野宿と決めた。へとへとに疲れて会の近くまで戻ったが、思い直してもう一回この付近にお願いしようと、とある住宅風の家のガラス戸を叩いた。
20台半ばの綺麗な奥さんが玄関に現れた。
私達は途方に暮れている現況を告げて、暫くの間の宿泊をお願いした。

”それはお困りですね。暫くお待ちください” といって奥の間に消えた。祈る様な私達の希望が叶えられる運命だったのだろうか? ”お上がりなさい。主人がお会いしたいと云ってます” 奥さんの言葉は天の助けのようだった。
30数軒も廻って断られた私達は、街のど真ん中のこの家では私達が初めての訪問者であることを聞いた。灯台下暗しとはよく云ったもので、思いがけずこの小田原夫妻に大変にお世話になる事なった。

安東市は京都に似て碁盤の目のように縦横の通路が揃い、一番通りから九番通りまである中で、私達が世話になったところは5番通りx丁目であった。ご主人は別に建築事務所を持って活躍中の若手実業家であり、職業柄想像出来るように太っ腹の、面倒見のいい方であった。
終戦後は仕事も止めて居られたが、その重厚な人柄に私達も頼り甲斐のある人だとの印象を受けた。
暫くして小田原さんが松山と同じN大の工科出身と知り、松山は急に先輩として尊敬、私と板橋さんんは地獄に佛的な巡り合わせにほっと安堵の胸を撫で下ろしたものであった。
奥さんも同情して、”本当に可哀相ね、大分ご苦労なさったのね” と私達をねぎらってくれた。
忘れていた家庭的な味が甦って、つんと胸を打った。

安住の地を得て、久しぶりに私達の心に潤いと和らぎが戻って来た。
食事もご馳走になった。遠慮なく頂戴した。ここに厄介にならなければ、今頃は野宿だったかも知れない。神もまだ見捨て賜わずと思えば、新しい勇気が湧いて来る気持ちになった。6畳の一室に私達は横になった。

それから10日位は夢のように過ぎた。敗戦国民に朗報を期待するのが無理だったかも知れないが、満洲各地の悲惨な情報のみが伝わっていらいらの毎日だった。小田原さん一家の暖かい庇護を受けて無為徒食の私達には、その心苦しさを感じながらもどうにもならない状況であった。

内地に帰りたいと思う日本人の気持ちと裏腹に、内地帰還は当分不可能だと言い聞かせるようになった。、又、鴨緑江を渡った北鮮の状況も非常に険悪で、北鮮の日本人は捕虜同然の生活らしい様子がまことしやかに囁かれ、北鮮経由で南鮮に抜ける事は全く危険な冒険であるとの噂が広まっていた。

今では比較的住み良い安東の街で、じっとして時節を待つのが得策だとの意見が市民や疎開者の心に芽生え、街も徐々に落ち着きを見せて来た。

目抜き通りの商店街は、終戦とともに店舗も今まで使っていた満人に譲り、二階とか離れに引っ込んで地元満人とのトラブルを避けてきたらしく、比較的に略奪等の問題も少なかった安東であった。

満洲の玄関口である当地は疎開者も次第に増加して、戦前日本人5万人くらいの人口は20万人くらいに膨れ上がったのもそんな事情で、内地に帰るためにここまで来たが帰れない事、しかも治安が他の地区より良かったのが原因であった。

従って、この日本人の食生活で需要が増加したので、従来からあった公設市場に肉、野菜を始め食料品が出回り、市場内の店舗の外に日本人の立売りが横行し始めた。(つづく)
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