« 70年前の駅伝の記録 | トップページ | 今冬最低気温−3度 »

2012年1月25日 (水)

我が家のジャム作り

今朝はとうとう2.5度まで気温が下がった。地面も固く乾いている。立春に掛けては年中で一番寒い時期だから仕方がない。
水回りが凍結事故を起こしていないのは良かった。

今朝はうちの夏みかんを材料にジャム作りにかかる。今年は少し汁気が少ない様な気がするのだがどうだろうか。
例年のみかんより皮が薄く凄く固い。土地がよく乾いたせいらしい。収穫したのも僅か43個だった。夏中ばたばたと落果したせいである。
柚子は取れ過ぎて処分に困った程だったが、逆に夏みかんは不作だった。こうした生り物は育てるのが案外難しいものだな。

午後にはほとんど雲もなくいい天気になる。
   ______________________
河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その14)

12、新京の街へ 

9月4日の朝、私達4人は世話になった寮の人々に厚く礼を述べ、2日間私達の心を平静にしてもらったことを感謝して寮を出た。

携帯品として何もなく、ワイシャツと運動靴で新京に着いたばかりの開拓団の一員という風態でぶらぶらと街へ出た。
心は緊張でいっぱいの気持ちを抑えつけながらーーー。

何時ソ連軍に呼び止められるかも知れない。満人の暴民に襲われるかも知れない。しかし、私達は行かねばならないのだ。主人が殺されたといった寮の奥さんの頼る様な瞳も振り切って、次の運命を切り拓かねばならなかった。

Aの案内で住宅街の路より、次第に大きい道へ、そして新京駅に向かう大通りに向かった。私は3人に注意した。

"みんな、あんまり肩を張っても駄目だぞ、といって、ぴくぴくしていると反って疑われるぞ、聞かれたら、開拓農民で吉林省から逃げて来たと云うんだ”
松山はこんな私の気配りに対しても、"何とかなるんだろう!” ふだんののんきな表情で答えていたが、やはり気にかかっていたのかシャッポにかぶった縁なし帽をかぶり直した。
私達の目標は警察に勤務しているAの伯父さんを尋ねて、それから今後の方針を考えようというものだった。宿舎が新京駅の近くにあるとのことで、何かと便宜も良かろうと考えていた。

突然、正面より部隊らしき集団がやって来た。数名のソ連軍に連れられた旧日本軍の集団であった。
恐らく私達と共に大学に集められ捕虜となった連中であろう。
私達はびっくりすると共に慌てた。
左側に寄ってすれ違った瞬間、顔を背けた私達との間には5米くらいの距離があった。
シャッポにワイシャツ姿の私達には気がつかないとは思ったが、もしも私達の部隊でもあって声でもかけられたらと、思わず生汗が流れてきた。

後続の集団も見えたのですぐに横町に折れた。
脱走していなければ、このようにしてシベリアに連行されるのだろうか。
彼らがより幸せに、方向は違っても早く内地に帰れることを祈るより外なかった。一方、ソ連軍の兵士は警備しながらすれ違う私達には全く無関心であった。

程なく、商店街らしい街中に百貨店らしい建物が、”日本人会”という幟を立てて、人の往来が激しく見えた。日本人会とは終戦によって混乱の難民を世話しようという団体であろう。私達も各地の状況を知るべく二階に上がったが、始まったばかりで、北満、東満の被害の状況報告に止まり、援護活動はこれからというとのことであった。
こんな救援活動も敗戦下では大変だろうと感じた。
ただ列車(南満州鉄道)は一日一往復、新京と奉天の間を走っていると聞き出しただけがめっけものであった。

私達が日本人会に居た間に、Aは伯父に逢って来たと云って私達を警察宿舎に案内した。
既に解散したというものの、日頃現地人に恨まれることの多い警察の寮などにゆくことは危険と思ったものの、この新京ではAに頼るほかは無かった。
その日Aの伯父さんという数日前まで刑事だった方に夕食をご馳走になって、そのまま一泊さしてもらった。
妻子は既に内地に還して一人住まいらしく、缶詰が主な料理だったが、ここですっかりお世話になってしまった。
結局、Aは伯父さんと一緒にここに残り、私と松山とBは一応奉天まで汽車で行き、奉天に知人の居るBは奉天で別れることに決めた。

その晩にこの宿舎は暴民に襲われた。皮肉にも私の予想が的中したのだった。
夜の10時頃、いろんな事があった疲れで早目に布団に入った私達は、12時頃突然パンパンというピストル、小銃の音に目を覚ました。
私達はすぐ逃げられるように、なけなしの身の回り品を揃えて服を着た。
入って来たAの伯父は飛び出そうとした私達を抑えて、”みんな、心配せんで寝ていてくれ。ソ連軍でなく暴民だから何とか防ぐことにしている。部屋の方が安全だから外に出ないでくれ” といってピストルを片手に出て行った。

暫くして騒音は止んだ。その後、真夜中の2時頃もう一度激しく撃ち合いの音を聞いたが、夢の中に次第に消えていつの間にか、深い眠りに落ちて行った。(つづく)
   ______________________

|

« 70年前の駅伝の記録 | トップページ | 今冬最低気温−3度 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/53821721

この記事へのトラックバック一覧です: 我が家のジャム作り:

« 70年前の駅伝の記録 | トップページ | 今冬最低気温−3度 »