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2012年1月12日 (木)

親友河北君のシベリア送り脱出行

-1度に今朝は下がっている。まあ順当なところだろう。
体調は変わりない。
昨日は病院行きがあったりして、温灸を忘れてしまったが、今朝はテレビでお灸のことを朝からやってたので思い出して早速実行する。
それにしてもいいものが編み出されたものだ。つぼにちょっと貼るだけでいいなんて大丈夫なんかなあ。
灸の効果は実験済みだから、そのものに疑問はないが、簡単過ぎて事故につながらなければいいがとちょっと心配。

Amazonから需要なお知らせというメールが届く。何事ならんと開けて読むと、注文品の支払いクレジットが受け入れられないということだから、6日以内に手続きしないと注文は無効になるという。
何も注文した憶えがないし、おれもぼけたかなあといろいろ注文なるものを詮索したが見当たらない。
Amazonに入って調べてみたが、ここ1ヶ月何も注文していないと出る。おかしなことがあるものである。
結局実害はないから放っておくことにする。
油断がならない世の中である。

ふと思い出して、私の古い親友が30年前製本してくれた手記を引っ張り出して読み始めた。
永い間本棚の隅に置きさらしていたが格別痛んではいない。
彼は満洲新京で部隊がそっくりシベリアに連行される前夜、それを自力の判断で見抜き、収容所を夜陰にまぎれて脱走し、幾多の苦難を凌ぎつつ、朝鮮経由で一年半後帰国を果たした男である。
格別面白い資料とはいえないかもしれないが、私のように部隊ごと整斉と帰国したのと違う咄嗟の冒険心が働いた男らしさがある。
丁度20年前に彼は亡くなった。
戦後は実力で公認会計士資格を勝ち取り、栄職にありながら、いち早くあの世に逝ってしまった。

彼の名は河北省一という。友人中でも特異の男だっただけに、それを偲ぶよすがとしてその手記の一部を転載したい。
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河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その1)

はしがき
”人生にとって、あらゆる迂路も、また正路である”ーーー”小泉信三氏”
私の好きな座右の銘としている言葉である。
私にとって戦争にかり出されて内地に引き揚げるまでの灰色の青春は迂路であったか。
としたら、この路もまたその当時に生きていた私達にとっては、宿命的に踏まなければならなかった正路であった筈である。

戦争は多くの犠牲を要求し、関連する多くの人の運命を悲惨な方向に変えて行く。ましてや敗戦では然り。しかしながら戦争では歪められ、予知しなかった路も亦、人生の正面道路であってみれば、好むと好まざるとに拘らず避けられない道であった。
光陰矢の如し、今になってみれば、むしろ思い出としての記憶ではあるが、戦争という運命に立ち向かい、抵抗し、順応した帰国までの回想を今、固い胸からひもどこうとしている。これが私の青春の譜であった。

引き揚げ後の苦しい幾多の迂路もあったが、これも試練の路として甘受したのも、先に5年間の外地生活によって鍛えられた不屈の精神の賜物であろうか。
そう思うと矢も盾もたまらず、朧な記憶を引き出して、当時の戦争と云う運命に立ち向かった私の若き日を書き綴ったものである。
昭和57年9月完                    河北省一   (つづく)
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