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2012年1月21日 (土)

サギの来ている田圃

昨日の朝と同様な天気、気温も6度と暖かい。昨日も雨にはならなかったが、今日も降りそうには無い。
今朝の朝刊にサギが枯れた蓮田にしょんぼり丸く膨らんで立ちすくんでいる写真が載っている。
餌になるカエルや昆虫類もこの寒さでは土にもぐって顔は出さないだろう。
私の幼少時代よく見た光景である。なつかしい!(次の写真文は中国新聞より転載)
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昼前内藤内科に行く。患者多し。12時半帰宅。別状なし。

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河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その10)

8、脱走計画

”おい、松山” 私は同僚の松山を振り返って、彼を睨みつけた。
”あっ、やるか今夜”
同じ階級で、日頃親しいこの戦友は私の心を見抜き、自分の行動予定と一致するかのように私を見つめた。
こいつならやれるだろうと思った。

早速私達は計画を練った。といっても、それは雲を掴む様な行動に取り組むための当座の打ち合わせであった。時間もなかった、とにかく、先ず人員を何人にするか、私も松山も地理は全然判らない。
新京の地理に詳しい兵隊を探して、この計画に参加させることが第一である。
私達はAとBという年配の補充兵を選んだ。この二人は初年兵の中でも優れた兵隊であり、行動力もあって、この計画に参加すると見た私達の考え通り、二人は直ちに応諾した。

9時には武装解除後も引き続き行われて来た夜の点呼がある。
決行は10時30分、校舎裏の繁みに集合と決めた。服装は身の回り品少量の入った背嚢のみであった。

9時点呼が始まった。私は自問自答してこの計画に悔いがないかと考えてみた。
内地で入隊以来の戦友も数人いたし、世話になった部隊長等にも最後の別れと心に言い聞かせつつ目礼した。
同郷の戦友Fには口までこの計画が出懸ったが、日頃一途にまじめ過ぎる彼には恐らく反対されるであろうと思い直して”おやすみ”と云って握手した。
きょとんとしていたF。恐らく明朝びっくりすることだろう。

もしこの計画が失敗することは私達の死を意味することである。
ソ連軍がこの捕虜予定者を監視していない理由はなにもないのだ。死を賭けた計画にみんなを引き込んではならないとも思った。

とにかく、捕虜になることに我慢がならないのだ。
就寝前の部屋のあちこちで集まって囁いている兵隊たち、おそらくこのうち数組は私達と同じく脱走するかも知れない。
表面的には慣習となった軍紀に抑えながらも、不満に膨らんだ雰囲気が察せられた。

戦陣訓にも”死して虜囚の辱めを受けず”と教えられた兵隊だったからである。私の胸に四年間の軍隊生活の思い出が走馬灯のように蘇った。(つづく)
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