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2012年1月16日 (月)

生きてるあかし

今朝は5度と暖かい。雨雲は出ていないが、灰色の雲に覆われて雨になってもおかしくない空模様である。

朝飯の時,家内が昨日訪問した近所の私と同年輩の婦人の話をぽつりとする。
部屋いっぱいに昔の衣装を吊るして、それを眺めて楽しんでいるという。彼女の若き日慈しんでくれた人たちを思い起こしながら、鑑賞するのだそうだ。

男の私には想像もつかない感性だが、思いがけない老人の過ごし方もあるもんだなと感心する。
家内はうまがあうのか、老人会などには必ず示し合わせて行動を共にする親密な仲間の一人である。

ここ数ヶ月面倒くさくなって、CDもDVDも焼かない。対象とする材料がないことはないのだが、どうもその気になれない。
カセットテープやビデオテープのようにどうせゴミとしてすてるのならとの考えが先に立つ。
深く考え込むと、俺の人生などなんだったんだ、畢竟たかが一匹の虫けらと同じ人生に過ぎないかなど、という虚無的な思いまで出現してくる。

余生はもうないと言いながらも,現に目の前に余生が横たわっている。
血が通っている以上何かをしなければ居れない生き物である。
昔袖通した衣装を眺め暮す生活があってもおかしくはないのか。

昨日の京都の女子駅伝であの日本を代表するマラソンランナーの岡山の中村選手が1区の出だしで42位という想像もできない走り方で,早くも優勝戦線から脱落してがっかりさせた。後続の高校生などが頑張って,8位入賞を果たしたのはさすがに立派だった。
不慮の故障が起きたのだろうが、補欠選手もいることだし、なんとかならなかったのだろうか。報道関係は口を閉ざして何も語っては呉れない。不可解である。

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河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その5)

3、ソ連軍を迎える朝

8月11日,早い大陸の夜明けを感じながら,正確に5時に目を覚ました。みだりに定位置を離れることは出来ない。兵器の入念な点検を行い,草むらの中に身を伏せてひたすらソ連軍の進撃を待ったのであった。

部隊長の説明では、敵はハロンアルシャンを侵略し、ここF市に押し寄せるという確実な情報に基づいた布陣であると昨夜聞かされた。
白日の静寂は夜よりも尚気味悪く感じた。
私達が見つめる遥か彼方の地平線に敵戦車の姿を発見した時に、私達の運命は生より死に傾く公算が多くなる筈であった。

午前6時いよいよソ連軍到着予定の時刻になった。鉄甲の紐をしめ直した。だが見渡す草原の彼方には何の異常もない。
さては行軍に手間取って遅れたかと思いながら携帯の乾パンを口に入れた。

午前7時未だ敵の姿は見えない。不気味に静まり返った周囲の野草についた朝露が,明るい太陽の日ざしで光り輝いていた。

午前8時、未だ来ない。来るものであれば早くやって来い。力の限り砲弾をお見舞いして,俺もこの草原で死ぬ。これも男児の本懐であろう。
人生、それぞれの運命、25年の清算だと心に言い聞かせた。

午前9時、どうして来ない。関東軍を恐れたのかと心に叫ぶ。4時間近く伏せていたので身体の節節が痛い。隣の戦友と顔を見合わせた。

午前10時、後方より伝令が駈けて来た。50メートルくらい離れた部隊長に命令伝達らしい。
しばらくして聞いたところによれば、敵はこの前線を避けて迂回,全部隊は直ちに撤退との命令であった。
張りつめたものが溶ける様な気持ち。

午前11時、城内に布陣していた部隊を先頭に撤退を開始した。城外の最前線にいた私達の部隊は最後尾となった。
撤退の準備はできても,順番とあってみれば、大部隊の移動は極めて漫々的である。
もし後方よりソ連軍が現れたらと思えば、急に恐怖の念が生じてくるのであった。(つづく)

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