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2012年1月26日 (木)

今冬最低気温−3度

今朝は今冬最低のマイナス3度と昨日のマイナス2度半を更新する。全国的な気温低下らしいが、この地方では何年に一度だろう。
外回りの水道は凍結して、外のカランからは水が出ない。たまたま浄化槽の点検に来た人が仕方がないので自家タンクを使って処理していた。
家の中の水道は勿論なんでもないのだが。

明け方には小雪がちらちら舞ったりしていたが、正午現在すっかり晴れ上がって強い日ざしが私の部屋に射し込んでくる。
いい案配である。家内がリウマチには温泉がいいと朝食時言うので、リウマチに効く温泉をネットで探す。
一週間は逗留しないとだめだろうからなあ。
湯治場で昔から有名な俵山温泉あたりなら行けるかも知れない。私の母が毎年誰かを誘っては一週間か、十日位出かけていたのだが、宿の名前までは覚えていない。

ともあれこう寒くてはどこにも出る気にはなれない。
午後寝て起きるとひどく頭が痛む。
起き出して古い痛み止めを飲み亦寝る。
そのうち何となく治る。

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河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その15)

13、新たなる旅

9月5日、昨夜のドンパン騒ぎが幸いしたのか青々と晴れ渡っていい天気となった。私達はAの伯父さんに厚く礼をのべ、また、行動を共にしたAを新京に残して行く別離を惜しんだ。
恐らく又逢う事もなかろう。Aの手を握った私の気持ちは、彼への感謝と今後の幸福を祈る切ないものがあった。
Aの心づくしの弁当だけが主な荷物の私と松山とBの3人は新京駅に向かった。ホームを警備するソ連軍兵士の無関心な表情にも慣れて、特に怖い事もなかった。

9時出発予定の列車は一日1本のダイヤであるせいか、ほとんど満席の人員を乗せて1時間遅れて発車した。客車と云っても狭い通路の外はアンペラ敷きの桟敷となっている当時の4等車であった。
私ら3人は中程の窓際に座った。客の2分の1が日本人で、且つ、7割ぐらいが軍隊上がりらしく見受けられた。
私達がそうであるから大体の察しはついていたが、世間話の中でも終戦後から今日までの話はお互いにタブーであった。発車間際に乗り込んで来た5人のグループが、中程にきて座っていた満人たちを押しのけるように傲慢に座を取った。軍隊気分の直らないのかふてくされたいたが、仲間意識のつもりか"宜しく”と私に話しかけて来た。軍隊に4年もいれば大体動作行動で私達が察するように、彼らも亦察していたようであった。
グループをつくったようで、気強く旅が出来ると喜ぶ反面、敗戦という現実から見れば満人たちの反応も気になっていた。
しかし、私達の客車は、旧軍人優先のままで一路奉天まで突っ走った。
3年半前に初年兵としてこの同じ線路を奉天、新京をそして興安嶺を越えてハイラル目指し、上官に引率された頃を思い出して、全く運命の移り変わりにびっくりしている私であった。

果てしなき平原を走る列車、そして私達のこれからどうなるのか先の見通しのつかない旅、でも内地に少しでも近づいているという気持ちは本当に心強い。
”おい、松山、奉天からどうするつもりだ”
”あんたに任せるよ、どうしょうかね”
松山は私に意見を求めた。周囲の連中も関心ありげに私の発言を待っていた。
”奉天から大連に行くか、安東へ行って朝鮮に渡るかだ。しかし大連から内地への船旅は長いし、恐らく船の制限があるだろう。俺は安東がいいと思うよ。鴨緑江を渡れば何とかなるよ” 松山はそうしよう” と賛成したが、全く単純な考えだったことは後になって判った。

夕刻列車は奉天に近づいていた。
奉天駅の構内に入って、ホームの3百米位手前で列車が止まった。私達は不吉な予感を覚えた。
案の定、ソ連兵が数人乗り込んで来た。通訳らしい男が下手な日本語で叫んだ。

”皆さん、検査します。荷物とポケット内の品物を前において一歩下がってください” 既に下車するように準備していた私達は、通路に向かって腰を下ろし、なけなしの荷物とポケット内のものを並べた。
”金は見せるな”と囁く声が聞こえて来た。私はとっさに財布を通路に落として靴で踏みしめてソ連兵の目をごまかすことにした。
客車の前後に銃を構えて威嚇のうちに、ソ連兵は順次に並べられた品物を見ながら、金や珍しいものは自分の懐に入れて行った。
私はシガレットケースを取られたが、お金は判らず通り過ぎたのでほっとした。

何の事はない。旅行者を襲ってなけなしの品物を頂く略奪であった。
取るべきもを取ると、ソ連兵たちはそそくさと逃げるように消えて行った。
”畜生!” 隣のグループが口惜しそうに舌打ちしたが、所詮は仕方のない現況に精一杯のレジスタンスであった。
列車は静かに動き出して、すぐにホームにはいり、私達は奉天駅に降り立った。
一つのハードルを飛び越した感じであった。

ここでBと別れた。奉天に親戚のあるBの今後の幸運を祈って握手した。(つづく)
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