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2012年1月20日 (金)

老夫婦動作今や蝸牛の如し

今朝は7度とえらく暖かい。雲が深いし雨になるのかも知れない。
夜中から乾癬が痒くて、二度も夜中になんとも我慢が出来なくて、背中を掻きに起き出す始末。
今朝も早速裸になって、孫の手を動かすやら、薬を塗るやら一騒動。

今年になってから肌着を化繊製の赤外線入りとかいうのに変えたからかも知れないなと思ったりする。
やはり昔ながらの綿100%のメリヤスシャツが無難かな。今晩から元通りにすることにしよう。

午前中家内が斉藤眼科に行くので車でお供をする。1時間くらいで終わる。
次回は右目の手術前の検査があるらしい。家内は目よりもリウマチの悪化が今問題である。
痛みが手足に出て難渋なようである。私にはどうする事も出来ない。
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河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その9)

7、ソ連の給与を受けると引導
9月1日、私の運命を左右する日がやってきた。ソ連軍の命により、その日新京の各地に分散待機していた関東軍の各部隊は、新京市の郊外にある建国大学及び法政大学に集結させられた。その数は10万人とも20万人とも囁かれていた。2週間の待機の宿舎を出て久しぶりに見る街を懐かしく眺めながら、故郷に帰る夢を描きつつ郊外の大学に参集した。

私達は建国大学校舎の2階の教室を宿舎に割り当てられた。凡ての行動は規律正しく、敗戦といえども未だ軍紀の厳しさが残っていた。
夕食を終わって部隊長の訓示が行われた。今後の行動が指示されるのであろう、この訓示に耳を傾けたけれども、内地送還の話も、現地除隊の話もなく、簡単に”明日よりソ連の給与を受けることに決定した” 旨の報告があった。私達にはそれがどういう意味か全く判らなかった。残念ながら、未だこんな場面に遭遇したことのない私達には理解に苦しむ言葉であった。

訓示後三々五々に集まって、この言葉についてのヒソヒソ話があちこちで交わされていた。
結局捕虜になるのだという結論が出るのに時間はかからなかったが、半信半疑の兵隊が相当数居たことは当然であろう。
何と回りくどい表現であったろう!と同時に、ここに集められた関東軍の将兵を穏やかにするための手段とはいえ、これまで除隊とか内地送還などの欺瞞的言動は, 欺かれた私達が無知だったのかも知れないが敗戦将兵の惨めさを今更ながら噛み締めたのであった。

明日からソ連の捕虜ともなれば自由な身は今夜限りである。逃げるなら今夜だ! 地理の判らない新京の街を、ソ連軍の警戒する中を逃げ切れるだろうか! でも明日になれば恐らくソ連軍の警備指揮下に入り、シベリアに流刑されるであろう。(つづく)

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