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2012年1月14日 (土)

iPhoneの使い方

珍しく目覚めが8時近くなる。気温も1度を少し越えていた。
昨日はiPhoneの充電装置がおかしいと思って,デオデオに持参してみてもらったのだが,別に悪くないと云われ,改めて充電して放っておいてみたが、なる程今度は使わないから全然バッテリーが減っていない。
私のやり方がどこか間違っていたのであろう。

電話は掛けるところが無いからほとんど使わない。ときどき宣伝の電話が入るばかりだ。それも固定の方でケータイに掛かることは先ず無い。
しかしiPhoneにはぎっしりつまるほど、ソフトが入っている。ひまな時,待たされる場所ではしょっちゅうにらめっこしている。
scansnapで読み込んだ小説などが多く、読むのが好きな私は、人に呼ばれても判らぬほど熱中して読む。
正に入信の境地である。看護婦が耳の側まで来て声を掛けたりして驚くことしばしば。耳が遠くなったふりしてもいい訳だし。
音楽はイヤホンが煩わしいので、最近はあまり聞かない。どこに行ってももっぱら本読み三昧である。座って読むのだから交通事故にもならない。
666フリーソフト集を買って来たので一挙にソフトが増えた。もう時間が足りなくなってどうしようもないね。

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河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その3)

1、ソ連軍の参戦

1945年8月9日、私の所属する部隊は,満州国(現在の中国東北地区)のトウナンという街に駐屯したばかりの日曜日であった。
昭和17年正月、現役兵として佐賀に入隊した私は,3ヶ月訓練の後,満州国の北境通称北満のハイラル市の国境守備隊要員として、同時に入隊した数百名の戦友と共に配置されたのである。ハイラル市はソ連国境に近く,ソ連軍の侵入に備えた関東軍の北の備え第一線であった。
ハイラル市を取り巻く5つの砦は精鋭の国境守備隊要員が、鉄壁の構えで警備に当たっていたのだった。
しかしながら、南方の戦況不振による関東軍よりの移動が次第に激しくなって、西欧における独軍の崩壊と共にここしばらく続いた平穏な日々もソ連軍との一触即発の時期が迫っていた。
白一色に覆われた零下40度の草原は,凶暴な風を加えると体感温度が零下80度にも下る歩哨小屋で、防寒具に包んだ身に銃を握りしめた冬の夜、遥かな地平線上に昇る月を眺めて立哨しながら、自然にあふれる涙を頬に感じるような感傷的な日々が過ぎた。
その後野戦部隊に転属した私は、足掛け4年間のハイラル市を後にして興安嶺を南下し,このトウアンの街に駐屯したのが1週間前であった。

やっと迎えた8月9日の午前から,私の運命は戦争という人為的な運命,民族間の侵略、支配という自然淘汰的な宿命の渦中に翻弄されることとなった。

非常ラッパのけたたましい響きの10分後に部隊はソ連の宣戦布告という、予期しては居たが重苦しい事態をじかに受けとめていた。
早急に侵入して来るソ連軍を迎え撃つために兵器、被服, 糧抹のお配分が行われ,数時間後に部隊はラッパを先頭に堂々と営門を後にした。
さすがに実弾を持った将兵の表情は緊張に溢れたものがあった。
僅か一週間駐屯の営舎には特に愛着はなかったが、これから戦場に向かう将兵にはやはり心淋しいものがあったものと思われた。
黙々と無表情に前進がつづいた。(つづく)
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