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2011年12月14日 (水)

老婆心というものか

怠惰に毎日暮らしていると、やはり良心が痛んで落ち着かない。
といって何をやる気力も出ない。
ゆずもあれきりである。ついでに片付けてやりたいと思うのだが、指の先の刺され傷が痛みはしないが気になる。
何も今日という気になって先のばす。
寒さをしのぐ勇猛心はもうない。

山崎君のこと大体書き終わったので、くどくどと長文になったが、ニューデリーの孫娘さんにメールとして届けておく。
読み返して、記録の再確認に時間がかかる。言葉の省略が案外人を迷わすものである。
読まれた後、すぐ廃棄し忘れ去るようお願いしておく。
彼女には耳の底にちょっと残っていれば済むことである。
今日までの祖父との間の細かい交流が数知れずあるはずだから、いまさら付け加えるまでもないと思う。

考えてみると老人というものは嫌な奴だなと思わずに居られない。
大昔の今更どうにもならないことを憶えていてわめき散らす。

やっぱり消え去る以外になさそうだ。彼が絶食して生を絶ったのもその辺りを悟ったか。えらいやつだなあ。
もし私にもそのチャンスが到来すれば、試みてもいいかな。
名馬といえども最後はさらっと痛みなく処断するというではないか。

彼が点滴だけで静かに死んでいったというが、一番賢い法だったかもしれない。
点滴だけで生き残ることは出来ないと聞いている。選択肢としては悪くない。勿論彼の取った絶食が前提である。

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