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2011年12月 6日 (火)

人間の本懐

昨朝はテレビとの接続はHDMIのチャンネルで日記をつけたのだが、日によっては接続が難しくアナログですることも多い。どうしてだか私にはわからない。
パソコンのご機嫌のまにまにといった感じである。
大した違いはないと思うのだが、HDMIの方がテキストの文字がはっきりしているようだ。イメージなどは全然違いはない。
勿論今はMacMiniとモニターになるテレビとはアナログ線とHDMIと2本つなぎっぱなしである。
音はUSBスピーカーを使っている。ちょっとテレビの音より音質がいいかな、音も大きくなるし。貧乏人のやることだからミミッチイのは仕方がない。

天気もよいが、体調もすっかり回復したので、この分なら紅葉でも見物に行けるのだが、家内の方が少し気にかかる。

朝先に郵便局に回って島根の小川さんに代金を送金しておく。いくら押し売りでも買わされた方が負けである。
アルクで高知県産のジャムを買う。これが美味しいというのでもう3回目である。
それから眼科に回る、12時を過ぎたところで終わる。こちらばかりでなく看護婦さんも大変だな。
岩国から目の救急患者が飛び込んで来て、私の前に入る。それだけ遅くなった訳。お互い様だから仕方がない。
しかし珍しいな、交通事故でもないのに。

今朝はまた7度に戻っている。暖かいな。
薄曇りの空。おてんとさんも何だか頼りなげに照らしてくれている。

最近は大臣の品質が低下して、子供らしいみっともない発言をしては世論の顰蹙を買っている。
なんでかね。常識がなさ過ぎるのか。学歴は昔よりは皆遥かに立派になってるはずなのに。
同じ問題発言にしても、も少し程度の高いところで問題になりたいものだ。

私のごく最近亡くなった友人山崎初三郎君、私のブログの検索ランキングで昨日も第1位にランクされた。今度で3度目かな。
彼は私の知らないところで余徳があったのだなあ。
彼との縁が長い人生のうち僅かでもあったことは嬉しい。以て瞑してくれ。もう逢うことも出来ないし、墓に詣でることもあるまいが。
人間の真価はいくらかでも他人の心の中に残れるかどうかである。
古今の英雄豪傑でなくとも、ひそやかにでも人の心に残ることが出来れば、人間の本懐とすべきではなかろうか。

山崎君のことを書いた途端に、ニューデリーから又長文のメールを頂戴する。
しばらくは彼の余韻が残って当たり前だ。いい男だったからなあ。
私も沢山のいい友人を持ち、どんどん亡くなって行った。思い出記を書いただけでも20名をくだらない。
一昨年亡くなった横山君、そして今度の山崎君、なんとか追悼のブログを書き残したい。
しかし何故だか心が重い。万感が湧き過ぎるのだろうか。

先般東京で会うことは出来なかったが、電話で長話をした神村君、我孫子には田淵君、地元には福永君、大阪の水戸君、島根の土田君、岡山の山田君、文通の絶えない諸君だけでも未だこれだけ居る。
戦友でも金沢の加藤鏡児君が健在である。寂しくなったとは言えないかもしれない。

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