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2011年12月24日 (土)

私の因果応報

放射冷却現象かほとんど雲なく晴天、朝の気温0度。クリスマスイヴとあって騒然、キリスト教国でもあるまいに。
戦後もう何十年、相変わらず続いている。不思議な国。

日ざしは結構強く部屋の中は暖かい。どうしてもうとうとしてくる。
ここのところもう書くことが無くなった気がする。筆を擱く時期が到来したか。

私の一番悲惨な時期はいつだったか、どうしても反省の意味もあって詳しく書き残したいのだがーーー、ありありと記憶は定かなのだが、筆が重い。楽天的な生来の心根が邪魔をする。嫌なことにはやはり目をつぶりたいのか。

戦争で人並みに0からのスタートになった。呆然としている期間が長かったかもしれない。
安易な妥協を繰り返した。所謂人が良かったと言う訳。悪がはびこった時期だった。
なけなしの資産は奪い取られるようにしてなくなった。

家族はもろにその被害者になった。
自殺することも出来なかった。戦死する方がどれほどよかったかと、悔いの続く日々が結局一生を貫いた。
並の人間なら60、70歳は隠居時期である筈だが、愚かな私にはそれが出来なかった。
命を投げ出して働いた、そして矢折れ力つきた。
90の今、神が哀れんで隠居時間を与えてくれてるとしか思えない。

因果応報という言葉があるが、私に当てはまるのであろうか。因とは何だろう、戦争で夢中に働いて人を殺したからだろうか。
それしかないな、日本軍の兵隊が皆そうであるように。
果も私だけと考えるのは、思い過ごしかもしれない。皆いろいろな果を背負って生き、そして死んで行ったのだろう。

日本国の今日が如実に語っているといえば、当たっているようでもある。
ほぼ一世紀、結末がつくのか。

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