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2011年12月18日 (日)

軍医の裸踊り

始めて0度を割る、-0.1度か-0.2度か。寒暖計の表示が微妙である。
ともかくこの冬一番の寒さになった。
雨にはならないが白っぽい雲が空一面に覆って、あまり上天気とはゆかない。

台所兼食堂の寒い我が家では、エアーコンディショナー、温風石油ヒーター、そして石油ストーブと3台で居間続きの15畳半の間を暖める。
私が寒い寒いとこぼすからである。とにかく二人では広すぎるのだが今更仕方がない。

足裏には靴下用のカイロを貼って、スリッパで部屋の中を歩き回る。乾癬で指の先が変形し、ともすれば凍りそうに冷たくなるからである。もう大分前に無くなった従弟が足の指が腐って手術して除去したことがある。あんなことになったら大変だからと思うのである。
心臓も弱くなって現在薬を飲まされている。血の巡りの悪いのは致し方がない。
一番遠い足の先などは暖めて、通りよくしてやらないと心臓が気の毒である。

昨日も書いた斐徳の陸軍病院は関東軍第69陸軍病院というのだらしい。辺境の地だから小さな病院だった。
盲腸炎で2ヶ月も掛かったのだから、現在なら考え難いことだろう。
腹膜炎を併発していたので、傷口を開いたまま毎日ガーゼ交換をしてくれるのだが、こちらの方がよほど痛くて堪え難かったものである。
下手にうめき声を出したりすると、容赦ない叱声が届く。刑を受けた犯罪人みたいなものであった。

たまたま学生時代1年下で、同じ下宿にいて、音楽同好会などで懇意にしていた松田君という音楽好きな男が、重砲のカタピラに足をやられて、この病院に入院していた。通路でばったり逢って声を掛けてくれたのだが、手術の済んだ朝、牡丹江の第8陸軍病院に後送されるからと、別れを言いに私の病室に現れた。いずれ内地に帰れるだろう、よかったなと痛々しい松葉杖の彼に、言葉を送ったりした憶えがある。

戦後同窓会などで消息を聞くことはあったが、これが人生最後の別れであった。

私を病院に送り込んだ軍医というのが、風変わりな人で有名であった。
その年の年賀の宴会の席で、司令官以下隷下部隊の全将校数十名の前で、真っ裸になり性器は股倉に巧みにはさみ込み、当時流行の”私のラバさん南洋の娘”の合唱に合わせて、豊満な女体を思わせぶりにくねくねとダンスを披露した。あまりの見事さにやんやの大喝采だった。
野戦輸送隊司令部ほか4部隊の間で知らざるものなき名物男になったゆえんである。

気さくな名医で外の軍医は私の病気を的確に診断出来なかったが、最終的に彼の診断のおかげで命を拾ったと言ってもよかった。

昼前楽々園に買い物に出かける。駐車場から車を降りて歩き始めると何だかふらふらして、身体が浮いた様な気がして落ち着かない。
家内にそれを言って車に帰り車中で待つ。リクライニングレバーを引いて、横になろうとするとものすごい勢いでくるくると目が回る。
これはと驚く。何故だか判らないが異常事態だ。動き回っては悪いと判断して座席に腰掛けたままじーっとして待つ。頭を持たせにつけても、目が回るから仕方がない。
運転出来ないかなと思ったが、前方がぼやけてよく見えなかった目がそのうちだんだんはっきり見えて来た。
家内が戻って来た時にはどうやら正常に戻っていた。
危なげなく運転して帰宅する。やれやれと胸を撫で下ろす。
死出の道への警告の第一報だろうか。
それとも目の手術の後遺症だろうか。
生まれて始めての経験である。頭痛も何もない、ごく単純なフラ付きだった気がする。

同じ町内の2軒の家で例年通りクリスマスから元旦に掛けてのイルミネーションを披露してくれている。
若い人はいいな。前途を明るく捉えている。
これでなくてはいけないんだが。

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