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2011年11月19日 (土)

戦友山崎初三郎逝く

先日上京直前に山崎君の訃報をお孫さんのメールで知るという不思議なえにしで締めくくられた。
戦争中は苦労はしたが、彼とのつきあいは在満時数ヶ月と捕虜時の何度かのゆききに集約されるだけである。
戦後はそれが縁となって、彼が親父さんとの不和が原因で、昭和32、33年突然遠方の岩国にやって来て、私の仕事を手伝ってくれる事になったりした。
この出会いこそ、不思議なえにしと言っていいかもしれない。

彼自身も私らの百貨店建設に関わり、村田建築設計士との強い縁が、元手となって業界の旗手としての地位を確保した。
それだけの素質に恵まれた、事業家であったかもしれないが、私から見ると不思議な幸運を掴んだ男といいたいほどだ。
若き日の道筋は決して平凡なものではなかった筈だ。

いずれ彼の事をブログにも書き残したい。日記帳をひもどくと昭和30年代、彼の名前が数多く見られる。
あの時は正に私の片腕であった。
それぞれ単車をならべて、広島までのでこぼこ道(当時は)を91キロ所用のため往復したしたことも日記に書いている。

後日札幌に招待を受けて、彼のマツダクーペを運転させてもらって、白老街道をぶっ飛ばしたこともあった。
自動車部隊仲間だからこそ出来た芸当だった。

一介の建築屋だと私は思っていたが、90年も生きると業界のため、地域のため、いろいろ役立つ事が発生するらしい。
インターネットをめくると、いろいろと彼の業績が称えられている。
にんまりと予期に反したと苦笑いしているのではなかろうか。

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