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2011年11月 1日 (火)

お互いもう隠居の身と知るべきだ

よく晴れた朝、気温13度とまあまあ。清涼の気溢れる庭先、思い悩んでいた東京行きを結局あきらめる。友に会うと言っても,友も同じ老人どんな環境で暮らしているか判らない。
迷惑になっても困る。会えれば誰でも喜ぶものと決まっては居ないのだ。
お互い勝手が自由に出来る時代はもう終わっている。

私には息子が居ない。息子に嫁といった家庭だったら、どれほど不自由な思いをしたかもしれないと思う。その逆だからこんな気楽な生活が出来てるのでは,他と比較しながら今思い返している。
人ひとりひとり別な思いがあるものだ。それがわかるだけに切ない。
なんでも飽食は禁物だ。
程よいところで折り目をつけなければいけない。

東京行きはあきらめた。身体は大丈夫だが,精神的に無理だと家内に言う。
家内は最後だから行きたいのにとこぼす。彼女はまだ若い。いくらでも一人で行ける。宮崎でもどこへでも行って来いと私が言う。
永年連れ添った主従の気持ちが捨てきれないのか、快い返事は聞かれない。

午後広島総合病院に行き、かねて頼んでいた眼科の診断書を貰って,簡保の保険金請求の手続きをしに郵便局に回る。随分待たされる。支払いは2週間先になるという。ほんとに呉れるのだろうか。

iPhoneなどのネット接続がちょいちょい悪くなるのでデオデオで聞くと,ソフトバンクに行ってくれと言われ,そちらに回る。
iPhoneに何ら問題はないので、ルータが悪いのだろうといわれ、新しく無線ルータを呉れる。
帰宅してやってみるとなるほど全く問題は起こらない。
2007年に買った市販のルータだから、やはり耐用年数が切れてたらしい。
24時間つけっぱなしだから仕方がないか。

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2011年11月 2日 (水)

インターネットとは何だ

インターネットというのが又判らなくなって来た。
niftyなど今はざらにあるプロバイダーを通じて,アメリカ軍部が創設し、世界に張り巡らした通信網を民間利用するのだということだった。
そしてため池のごとく一定期間ためて措かれる情報を,自由に或は特定して見たり聞いたりする。
そんなものだと乏しい頭で思い込んでいた。

ところが電話線、無線電話、ケータイまではよくわかるのだが、ごく最近WiFiとかWiMaxとかいうものが,盛んに活動し始めた。Bluetoothというのも蔭の方で盛んに活躍しているらしい。
目には見えないのだから、余計にわからない。

昨日もWiFiのルータをただで貰って来た。ほんとはただではなく、iPhoneに付随したもので一緒に既に金を払っていたらしい。
こんなただで呉れる様な機器で繋がっているというのだから不思議な通信網だ。
説明書を見ると用心しないと簡単にウイルスに侵入されるから、データは暗号化されなければならないという。

十数年前アクセスするのに四苦八苦し、うかうかすると電話料がうなぎ登りに増加し、親掛かりの少年などは頭を親父にどやされたりしたものだが、今は簡単にだれでもネットに入れるし、プロバイダーなんているのかいなと思うくらいである。
夜っぴてゲームをやったり,映画を見たり、好き勝手に,おもちゃみたいな機器に熱中している。
沢山の種類があって、コンピューターと云っても一口に云える品物ではなさそうだ。
世の中、末はどうなるのだろう。

私が今日貰って来たのは,家の中に置いてNTTが置いて行ったモデムにつながなければ役には立たないそうだが、別に小さな携帯用のルータというのもある。これなら外でもiPhoneなどと一緒に持ちはこべばルーターなしでも、電波の薄いところでも、機器が使えるという。こちらは有料だという。
正に切りがない。次から次へと人間の知恵は恐ろしい。

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2011年11月 3日 (木)

海潮温泉

昨日予定通り婿の車に乗って我々夫婦と婿ら夫婦の4人連れで、庄原まで高速道路を行き、ICで降りて地方国道を海潮温泉に向かう。うしおおんせんと読むのだそうだ。
私の思っていたのは潮温泉で全く違う温泉だと,車に乗せられてから気づいた。
松江市街から十キロばかり山中に入ったところにあった。
私には皆目知識のない温泉だが,婿は25年前訪れた事があるということだった。

ともあれ鄙びた温泉である事は違いない。
何より驚いたのはほとんどまるまるの露天風呂であること、温泉のすぐ数メートル近くに樹齢八百年と云われる椎の巨木が2本、亭々とそびえ立っていて、それを囲んで大小数十本のも樹木が林を形作り、温泉の中から回りまでに巨石を配して、すばらしい景観を示しているその背景の妙である。

温度は41,2度というところか,熱からず冷たからず、ゆっくりと長風呂に最適である。
ほんとにゆっくりとお湯を楽しむ事が出来た。
とうとう婿と二人が3回も入浴する事になってしまった。
今までこんな経験は始めてでもあり,絶えず手を差し伸べてくれて,気を使ってくれた婿の好意が最高にうれしかった。

宿の食事から何から何まで,最高のVIPの待遇で、感謝感激であった。
宿を出てから松江城を久しぶりに見たいという私の希望を叶え,連れて行く。
最後にお堀を市営の遊覧船で約50分巡る。
昔ほんちょっぴり乗った思い出があるのだが、今度は完全なお城一周である。こんなに迫力があるものとは知らなかった。
すばらしい経験であった。嵐や風雪の影響とかで,樹木が大きく水面に届く程傾いたものが多く,自然の妙を形造っていた。船上から見る城や町の景観も面白く飽きない。

遊びの時間が長かったので午の食事が遅くなったが、これまた婿らの肝いりで、なんとか旅館で鯛茶漬けをいただく。これが又美味で老人を驚かしてくれた。
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2011年11月 5日 (土)

旅の疲れが癒えて,楽しさ倍増

かなりの雨が夜中から降り続いている。
朝の気温は18度と暖かい。
千代から静岡に宿をとったと連絡が入る。家内は2、3日先に延ばせと言っている。雨の心配をしているようだが,先の事は心配してもどうしようもない。

ソフトバンクからFONルーターの使い心地はどうかと確認メッセージがiPhoneに入っている。
うっかり報告を忘れていたので返事を電話でする。実際は忘れていたのでなく海潮温泉の宿から電話したのだが,ケータイの電話圏外とあって、通話が出来なかった。帰宅したときはもう忘れてしまっていた。遅くなって済まぬとお詫びを入れる。
11月いっぱいは電源を切らないで使ってくれといわれる。現在自宅では順調に使用出来ている。

先日の奥出雲への道筋は若き日の旅行きの楽しさを今更のごとく思い出させた。道も町もよくなり、すっかり変ったようにも思えたが,一歩土を踏みしめて歩く野地はやっぱり同じだなと,身体のどこかが感じ取ってくれるようだった。
横田の路傍の古いかつらの大樹、そしてそれを祭るささやかな鄙びた社、鳥居、日本古来の里の風景そのものであった。
日本最古のお宮と言われる須我神社にしても、新しく整備された痕は見えるにしろ,千数百年の古いたたずまいが感ぜられない事はない。

海潮温泉のお湯の側の樹齢800年の苔むした椎の大樹、亭々と茂る枝葉の大きさには驚嘆せざるを得なかった。
あまり大きくない巨石の蔭に仕組まれた池の様な温泉、その大小の妙が,私をひきつけてやまなかった。

こんな宿なら何度でも訪れたい。そして郷愁に塗れたい。遅過ぎたなあ気づくのが。

松江城はすっかり面目を一新していた。何度かお城そのものにも訪れたが、こんなに整備された公園の姿は、その力の入れ方を感得せざるを得なかった。昭和13年に始めて訪れたときは、まさに朽ちなん風情の古びた小城だったし、生気のない老桜の数本に取り囲まれて、ともども哀れを感じた程だったが、徐々にこれほどまで整備されたのだった。

堀川の船での周遊は他の川下りや周遊に比肩して遜色はなかった。
40数隻の遊覧船が準備されているとか、嬉しい事である。
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2011年11月 7日 (月)

孫娘ベルギーからのメール

気持ちよく腫れて朝の気温は17度。申し分なし。
午前中庭木の整枝を1時間ばかり、自動鋸などでさらさらと実施する。
腰にちょっと違和感が残ったので、マッサージ機に乗る。
午後は昼寝。
疲れはなんとかとれたようだ。
たわいもない老人の一日。

朝子よりのメールが入っている。ベルギーのタワーを中心に河を挟んでか、市街風景の写真が綺麗に収まっている。


元気で暮らしているようだ。ルーベンから200kmはなれた北海を挟んだイギリスに近い方面らしいがブルッヘという観光地へ旅行したとか、撮って送ってくれた写真も美しい。
人影一つ見えない静かなたたずまいがよろしい。この着眼なら、うかれてはいないようだ。

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2011年11月 8日 (火)

樹齢千年という道端のカツラ

今朝は13.5度と気温が少し下がり気味、秋深しということか。紅葉が例年より遅いとやきもきしている地方が多いとか。
やはり地球温暖化のせいだろう。
先日の海潮温泉は紅葉は未だだったが、暖かくて楽だったな。老人は色よりも熱ということか。

石原慎太郎が新聞のコラムで宇宙の話をしていたが、ホーキングの説とかで、宇宙には地球並の文明を持つ惑星は2、3百万あると書いているが、その数の多さに驚く。もっとも星そのものが無数というのだから、0を沢山つけても正解になるのだろうが。

私は今親友の神村君に最後の別れをしに行こうと決心をして、東京行きの段取りを娘にさした。
ニューギニアの死地を辛うじて免れ得た彼、そして私同様90年を生かされた。
湖南戦記を読むと、終戦直前湖南西部での大敗で私自身も寸前の命だったらしい、90という命の長さが不可思議に思えてならない。
問題は決心はしたが、お互いの体調が再会を許すかどうか、神のみぞ知ると言う心境ではある。

先日行った海潮温泉の近所にあった日原神社の境内のカツラはなんと千年の樹齢だとウイキペディアに載っている。
婿が温泉への途中車を止めて、見ろというから眺めたのだが、なんだこりゃーと言う感慨しかなかったのだが、千年と聞いてもう少し丁寧に見ておくのだったと悔やむ。株が10本近くに別れて、最初の主株はどこにあるのか写真ではわからない。覗き込んで確かめねばわからないだろう、ひょっとしたら地下にあるのかもしれない。(写真は先日のブログに既に載せてあるので見てもらいたい)
現在はお宮の神木という体裁だが、この木があったからお宮が出来たのかもしれない。当時の事は誰も知らないのだからわかるわけはない。千年といってもこんなに株分けしては、もう数えられはしない。
どうしようもない長さだと言う事だ。

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2011年11月 9日 (水)

メールの大きさ国によって違う

気温13度と相変わらずの朝、灰色の雲で覆われてはいるが雨の気配は感じられない。
予報では13日頃はよくなるようだから、良い旅ができそうだ。

午の時間に隣のJR駅まで行って、切符を買う。若い人は要領がいいね、何も聞かずにジパングの申込ですぐ済む。

ようやく決心がついたが、最後の長距離旅に今度こそなりそうである。
東京に直接行かずに静岡で千代と落合い、付近をあちこちして熱海に宿を取る。明くる日千代が寄り添って東京入りする事にした。
東京駅の喧噪はいわれなくても、こちらも怖くて自信がない。
良い案を考え出してくれた。

東京では旧友に出来れば会いたい。他に用事はない。都内見物の予定も希望ももちろんない。
16日には帰宅するつもりである。無事この旅が果たせるかどうか、90歳の力試しである。

朝子からメールが又届く。添付写真が大き過ぎるといってやったけど、本人は気づかなかったらしい。日本ではあんなに大きな写真はメールには添付出来ないが、国が変れば違うんだな。
それでもエラーが出そうだったので、2枚だけにしたと、他にももっと送るつもりだったらしい。
カメラの設定を小さくしろとアドバイスしておいたが、案外気づかない事なんだな。
ありがとうと感謝していたから、少しは勉強になったことだろう。

20年と90年、経験の差は大きいから、馬鹿にはならないな。

午の時間に隣のJR駅まで行って、切符を買う。若い人は要領がいいね、何も聞かずにジパングの申込ですぐ済む。
(最近は経費節約のためか地元の駅では駅員が居ないときが多く、切符も買えないから隣の駅まで行く)

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2011年11月10日 (木)

我が家早くも石油ストーブお出まし

朝傘の古いのを数本捨てろと言われて束ねて捨てに行く。
13日の上京に駅まで出るのに、歩いてはもう無理なので、上野さんのタクシーにお願いすることにして、予約の電話を入れておく。
荷物は前日に宅急便で送れば良い。
朝っパチから段取りが大変である。
言い出しっぺの私には責任があるからな。

家内の手が随分腫れ上がり、少し心配である。温泉で効果があるようなら逗留をのばす事になるかもしれない。
予期しない事がいろいろ起きるものである。
千代との打ち合わせでメールのやり取りがつづく。

家内も今日で満83歳である。元気なようでも若くは決してない。身体を自分でもいたわってくれなくては困る。

夜になって、石油ストーブを入れてみる。古い分はもう壊れて使いものにならない。
3、4年前買った温風ストーブはまだ大丈夫だ。試験炊きしてみる。やっぱり暖かい。
室内温度が15度でも寒いのだから、老人はだめだなあ。
こんなに早くからストーブのお世話になるなど自分ながら先が思いやられる。

昨日だか一昨日だか蚊が飛び回って血を吸われた話をしていたのに、蚊の方が耐寒性がつよくなったのか、全く情けない。

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2011年11月11日 (金)

老夫婦のささやかな幸福感

朝ちょっと小雨、すぐ上がる。気温13度、通常の温度か。
整枝した木屑を一番に捨てに行く。暖房の準備やらちょっと忙しく立ち回る。
少し元気が出たかな。

今朝私のブログにアクセスした項目に、1位の辻久子のストラスバリウスの話は有名だから当然だが、9位でも陸軍自動車学校というのはちょっと驚く。
どうした関心があるのか聞かしてもらいたいくらいだ。
ときどき思いがけないアクセスがあったりして、驚く事がよくある。もっとも私がブログを書く意欲が出るのもその辺に励みの原点があるのではあるが。
初年兵入隊から3年間過ごした、大湿地のど真ん中斐徳に対するアクセスも結構多い。
経験者がまだいるのだろうか、それとも父祖の隠居話で聞いているのだろうか、これまた聞かしてもらいたい話である。
歴史にも噂にも上る様な場所では無いが、現在航空写真地図で見る限りでは、湿地は耕地化し、昔の兵舎跡は立派な住宅街になっている。
70年という月日はさすがに永く遠い。

午後家内のお供をしてデパートに行く。僅かばかりのものを買って、カートを突っ張って屋上の駐車場まで戻る。3個あった荷物のうち1個をカートの柄に掛けたまま忘れて帰る。途中で気づいてデパートに戻り、心当たりを探したが見当たらない。受付嬢に委細を話すと、ただ今屋上のカートに残っていた荷物を届けてくれたお客があった。それでしょうとといって、少し待っていると取って来てくれる。

豊かな国という事はこのことを言うのだろう。百貨店で売っている何でもない商品である。
うっかりお置き忘れても、なんの問題もなく手許に帰って来る。
家内も私もすっかり嬉しくなった。しみじみ幸福だと思う。

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2011年11月12日 (土)

思いも掛けずブログからの親友の訃報

今朝6時に目が覚めてなんとなくインターネットに入る。
ゆきこという人がブログにコメントを入れている。
何事ならんと読んでみると、兵隊以来の親友山崎君が亡くなったという知らせである。この人は私の祖父だと言う。
孫というのだから、もちろん一面識もないが、彼女の父親はその少年時代に見かけた事があった。
驚いて早速事実確認のため、彼のお宅に電話を入れる。私が名を名乗ると、のっけから永年お世話になりましてとの私の弔辞と早とちりの奥様のご挨拶。
やはり亡くなったのかと悟る。
瞬間動転してもうまともに声も出ない。あの元気だった彼が、料理の研究をして健康管理に自信をみせていた彼がまさか先に逝くとは。
朝早くからの電話で、多忙な後始末でお忙しいことと思いつつ、端折った挨拶で早々に終わる。
まったく思いがけない夜明けになった。

一人二人ともう別れ逝くばかりである。

家内が朝から股関節が痛み出し、上京は無理だと言い出す。
医者に連れて行くから、痛み止めを打ってもらえと私が言う。今更止められるかとも。
電話してOKが出たので、広島の東広島記念病院まで車で連れて行く。
1時間ぐらいで診察を終わり、結局痛み止めを貰って帰る。

午後在京中の衣類などを梱包して送っておく。
頼みの家内がこの始末では、正に先が思いやられそうである。
温泉がせめてもの救いで、観光など思いもよらないことになりそうである。

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2011年11月14日 (月)

私の生涯の恨み

11月14日(月)晴れ
朝5時起き出して温泉に入る。
湯加減申し分なし。
塩分が強いということだから、シャワーを浴びて外に出る。
昨夜は最初だから少し慌て加減だったが、今度は大丈夫落ち着いて温泉を愉しむ。

朝食まで時間があったから、前の海浜公園を散策する。
久しぶりに見る熱海港風景である。
何年前だったか、来た時とはずいぶん落ち着いた感じ。

天気がまあまあなので、十国峠を見に行くためタクシーを雇う。
富士山の姿が眺めたかったのだが、どうしても山を覆った雲がとれない。
一瞬見えたと運転手さんは言ってたが、こちらはとうとう最期まで見ることが出来なかった。

運転手さんの勧めで成川美術館を見学する。
終ってから、箱根街道を逆走して車窓から紅葉を眺める。
温暖化が影響してか、運転手さんが言うほど美しくはなかったが、それでも宮ノ下付近は結構進んで居た。
小田急の湯本温泉駅で降ろしてもらい、小田急を利用して娘のうちまで、午後3時やっと辿り着く。
ほとんどタクシーの旅だから、疲れたなどとは言えないのだが、情けないかなやっぱり老人の身には一入響いたと白状せざるをえない。

なんどか試みた十国峠からの富士見の企ては今回もちょっとのことで成らなかった。
生涯の恨みかもしれない。

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2011年11月15日 (火)

友と会うことかなわず

昨日夜神村くんに電話して、長い時間話す。
元気そうな声である。
しかし、残念ながら身体が言うことを聞いてくれないらしい。
逢いに出られないことを繰り返し言う。
奥さんも先般ころんで坐骨骨折をして、現在寝たきりの状態で人の世話をやくどころではのないという。
要は会うに会えないということらしぃ。

今回はあきらめることにする。
前回あるデパートの中で、4時間も呑み食いしながら、語りあったのが、どうやら彼との最期になるらしい。

今回の上京の最大の目的はこうして無残な結末を告げた。
半ば失意を胸に、東京よさらば。

まだ眠い朝の6時、娘が朝子がスカイプに出ているのだが、見て話しなさいと誘いに来る。
驚いて飛び起きてパソコンの側に行く。
一家に彼女の愛猫のキャルまで顔を揃えて、彼女と対面する。
元気そうな顔である。
話がつきるまでえんえん30分永い対談、話の種をさがすのに苦労する程。
先方は今午後11時、眠たいだろうからとお開きにする。
良い時代になったものである。

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2011年11月17日 (木)

人生最後の頑張り、天命を尽くせ

昨日最後の東京、さいわい好天気がつづいている。

地下鉄で日比谷に出て久しぶりに宮城前を歩く。広場の松原が成長してなかなかの風情である。
老人の足ではすこし広過ぎた。相変わらずの行き交う車、団体観光客はもう目では無い。丸ビルまで歩いたときはいささか足先が痛んだ。
丸ビルも36階に上がったが眺めが悪く、富士も見るどころではなかった。
6階に下りてそばを食う。
私の知る丸ビルではもうまるでなかった。
私が六十数年前勤めた東京中央郵便局(当時米軍CCD)跡も探し出すのに大苦労。結局確かめることも出来ずに東京を後にする。
娘親子が終始付き添って、列車に乗り込むまで見届けてくれたが、別れてからの4時間はさすがに永かった。
行きは変化があって楽しかったが、快速のぞみ号でも老人には楽ではなかった。
ほとんど眠っていたのだが、それでもすっかりくたくたになって家に帰り着いた。

一夜明けて、今日も快晴がつづく。
ぐっすりよく眠れたせいか、今朝はすこぶる快調。
ゴミも私が出しに行く。
朝の気温は9度と始めての一桁台。

今回は自分の体力、気力、能力を試験するという旅であった。
概ね合格点以上だった。一応1年は大丈夫だろうと自信が出来た。
ただ単独での長距離旅行は無理だとこれまた確信した。のぞみでの4時間すら堪え難かったからである。

たんたんと死を待つ。亡友山崎君の最後の数ヶ月、食事をせず点滴だけで生命を維持したという。
ニューデリーに住む孫娘からのメールが伝えてくれる。喧嘩する程やかましく言ったらしいが、食を口にしなかったという。
すでに覚悟の死としか思えない。意地っ張りだった彼らしい最後だ。
私も彼を学びたい。
死をコントロールする、人生最大の快楽ではないだろうか。

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2011年11月19日 (土)

戦友山崎初三郎逝く

先日上京直前に山崎君の訃報をお孫さんのメールで知るという不思議なえにしで締めくくられた。
戦争中は苦労はしたが、彼とのつきあいは在満時数ヶ月と捕虜時の何度かのゆききに集約されるだけである。
戦後はそれが縁となって、彼が親父さんとの不和が原因で、昭和32、33年突然遠方の岩国にやって来て、私の仕事を手伝ってくれる事になったりした。
この出会いこそ、不思議なえにしと言っていいかもしれない。

彼自身も私らの百貨店建設に関わり、村田建築設計士との強い縁が、元手となって業界の旗手としての地位を確保した。
それだけの素質に恵まれた、事業家であったかもしれないが、私から見ると不思議な幸運を掴んだ男といいたいほどだ。
若き日の道筋は決して平凡なものではなかった筈だ。

いずれ彼の事をブログにも書き残したい。日記帳をひもどくと昭和30年代、彼の名前が数多く見られる。
あの時は正に私の片腕であった。
それぞれ単車をならべて、広島までのでこぼこ道(当時は)を91キロ所用のため往復したしたことも日記に書いている。

後日札幌に招待を受けて、彼のマツダクーペを運転させてもらって、白老街道をぶっ飛ばしたこともあった。
自動車部隊仲間だからこそ出来た芸当だった。

一介の建築屋だと私は思っていたが、90年も生きると業界のため、地域のため、いろいろ役立つ事が発生するらしい。
インターネットをめくると、いろいろと彼の業績が称えられている。
にんまりと予期に反したと苦笑いしているのではなかろうか。

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2011年11月20日 (日)

さよなら、山崎君

疲れは三日目に出るとよく言われるが、昨日はなんとなくそんな感じで一日何するともなく過ぎた。何をしたかそれすらも今現在思い出せないくらいである。
病膏肓に入ったというべきか。

山崎君を失ったことで、寝ても覚めてもあの頃のことが思い出されてしかたがない。
お互いもっとも意気盛んな年頃で、国の抑圧を受けながらも、張り切っていた。
行動そのものに不満は残らなかった。
しかし結果はまことに惨めであった。人生のどん底に落ち込んだ。

私は残り半世紀を掛けてなんとか人並みの生活に辿り着いたわけだ。
彼山崎は帰郷し好機をつかむや上り調子をそのままに駆け上ったと私には見えた。村田氏との提携が大きかった。
彼を戻したお礼の意味もあってか、私は1週間招待にあずかって道東を遊覧させてもらった。
毎年決まって青森のリンゴを一箱送ってくれた。
私のささやかな好意に対する彼の謝礼として受け取り続けた。その言葉のお礼は出来ても物質的な謝礼は破産寸前の身では、とても対応出来る状態では無かった。

彼には無かったが、私には相変わらずの有為転変が続いた。
彼が彼の職場に招いてくれたこともあったが、何しろ東西あまりにも離れ過ぎていた。働く自信はかけらも生まれなかった。
彼とはやはり素質が違っていた。
鄭重にお断りして今日に至ったのだが、良かったか悪かったかは神のみぞ知ることである。

地元にも横山君という古くからの友人がいた。誠意を持って私を救い上げてくれた。誠意には誠意を持って私も答えた。
生涯の友として、そのかれも2年前世を去った。

数多くの不幸不運に傷つきながらも、私は私なりに長い人生を曲がりなりにも生き抜いて来た。
決して一人で凌ぎ切ったわけではないことは、わかりすぎるくらいわかっている。

ありがとうよ、山崎君。またいつか逢えるかもしれないな。

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2011年11月21日 (月)

どことなく不安なにっぽん

今朝は少し寒くて8度。風も少しある。
厚着をしなければもたない。

テレビを見れば若い声がしきりでうるさいが、これがまともな世の中なのだろう。
深夜放送で中野忠晴の”小さな喫茶店”や”ダイナ”などをやってたが、私には青春まっただ中の歌で懐かしく、うっかり声が出てしまった。昭和10年代の歌である。七十年以前の歌だから正に私のティーンエイジャー時代、今昔の感に堪えられない。
”口笛を吹けるかい”の口笛などうま過ぎて驚いた。口笛かハーモニカしか楽器のない時代だから、皆うまかったなあ。

昔の歌にしてはレコードのスクラッチ・ノイズは全然感じられない。
これは放送を聞くに限るなと新しい発見。
放送技術の進歩というべきか、特殊な蓄音機を開発したというべきか、ともかく有り難いことだ。

セ・リーグは又も野球界制覇を逸した。何か若々しさ荒々しさが乏しくなった気がしてならない。
それにしても最後に苦戦はしたが、年間を通してのソフトバンクの逞しさは凄かった。
歴史的にも日本一の強いチームであろう。
徐々に地方色が良くなって来た。東京一辺倒はかねてから良くないと思っていたので、我が意を得たりの思いが強い。
其処へ来て又巨人軍の内紛である。逃げ出すフアンも多くなるのではと期待している。

関東大震災も近まったやに感じられるこの頃である。
首都移転も真剣に考えなくていいのかと不安である。
東京がやられたら、日本はもう立ち上がれないでは困るのである。

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2011年11月22日 (火)

移行アシスタンスというアプリ

夜冷え込みがひどいなあと思っていたが、案の定今朝の温度は3度とこの冬最低に下がった。
外に出ても身がきりりと引き締る思いである。
我が4畳半の部屋はいつものように、9時にもなると陽光が差し込んで部屋は明るく暖かい。正に極楽。

オウム真理教事件の刑事裁判が遠藤被告の上告棄却が決定、死刑が確定し、16年に亘る刑事裁判が13人の死刑囚を出し終結したとある。
度重なる宗教の狂信行動の最終判決になるであろうか。
なぜ宗教は本来の教義を外れて狂信に紛れ込むのか。大宗教のキリスト、マホメット、そして仏教とても過去に幾多の事例を残している。
信ずることの怖さが嫌で私は宗教嫌いで今日に至った。

宗教などとは別物かもしれないが、本来人を信じやすく、遂に父祖の財産を失う羽目になった私は、その反動とも考えられる、人間不信の露呈とも言えそうだ。
かといって、本来の性格は曲げ直す訳には行かない。警戒して近寄らないように心がける以外にない。
個々の人と違って、宗教は無視出来ないことはないところが私には幸いしている。

蒼天に雲一つなく、そよとも吹く風もない。昨夕の地震は正に青天の霹靂というべきかもしれない。
油断はならない。世の中なにが起こるか知れたものではないからだ。

ファイルの移行アシスタンスというソフトを使って、複数のパソコンなどのファイル移行を試みているのだが、どうもうまく行かない。
firewireを使えばうまく行くかなと思ってわざわざデオデオ本店まで出かけて買って来てやってみたがやはり駄目。
何故だかよくわからない。理屈通り行かないもんだね。
もともとLANで繋がってるのだから、転送が出来ぬ筈はないと思ってるのだが、OSの関係だろうがすんなりとは行かない。
もちろんOSが全部同じなら文句なしだろうが、同じなら他にも方法は沢山ある。
なにも苦労する必要はない。
目下のところ8GBのSDにコピーしては別の機器に移し替えている。一番わかりよい。
結論から言えばこれで良いのかもしれない。
便利さを狙い過ぎるのかな。

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2011年11月23日 (水)

メール世界を飛び回る

朝の気温は少し戻って7度、まあまあ仕方ないところだ。

消費税が倍になりそうだ。まるまる消費者の我々老人は生きてる限りまるごと対象者という訳だ。
無駄な長寿の報いとして、当然のこととして平然と受けとめるべきだろう。

私の若き日の老人たちの哀れさは、今でも目の前に浮かび消え脳裏から消え去ることはない。
戦前までの老人はほとんど給付を受けることなく、自力と才覚で過ごした。
働けないのだから哀れなものであった。
現在は年金という制度がある。これが大きい。
若き日の余録で配当を受けている訳である。

これはこれで定着している現在、国の危機とあれば応分の負担は仕方のないところである。
理にかなった税金だと思わざるを得ない。

国家財政的見地からすれば、不景気要因となるかもしれないが、無駄遣いの反省にも役立ち、国民の意識の更正にもつながり道徳的には悪いことでは無い。
苦しい時には皆一様にそれを享受し堪える。戦時中も平時も同じである。戦時を堪え過ごした私には何程のこともない。

私は今忙しく暮らしている。
というのは、ベルギーに留学した孫娘のことが気にかかって仕方がないことである。
そこへ飛び込んで来たのが、友人の孫娘のメールから発生した文通である。
昨日も亡友(即ち彼女の祖父)の手許にある写真などをまとめて送ってやり、礼状も戴いた。こちらはインドの首都ニューデリーからである。
あっと言う間に届くのだから、忘れる暇はない。
ベルギーといい、インドといい、近くなったなあと嘆息が出続ける。勢い忙しいわけでもある。

インドからのメールは最初は私のブログを彼女が読んでから始まっている。同姓同名を恐れながら、私に知らせてくれた祖父の死去通知がきっかけであった。不思議な縁と言っていい。
世界は全く狭くなった。

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2011年11月24日 (木)

老人の軽はずみ、反省

早朝5時半には目覚めそのまま起きる。広島総合病院へ行く日である。
ゆっくりゆっくり身支度をして8時前家を出る。駐車場がほん少し込んでいたが、5、6分もすれば入れる。
3番目に呼ばれてすぐ終わる。症状も何も変わったことはなにもない。もうマンネリである。

帰路市役所に寄る、先だっての目の手術で超過分の医療費を払い戻してくれるらしく、請求書を出さされる。
5千円程度を返すというのだが、煩わしいことだ。こんなことをやってるから、保険行政がうまく行かないのだ。
無駄な仕事、無駄な人間が多過ぎて、医療はお留守になる。も少し単純明快に出来ないものか。

日が中天を回ると、逃げ場のない陽光に部屋の中は温室そのもの。文句を言う訳ではないが、この天然の有り難さを誰かに分ち上げたいくらい。とうとう裸になってみる。戸をがたがたと揺るがしている風の音、外は冷たいのか、ちょっと雲が陰ると寒くなる。永くは持たない。
いたずらっぽい兼好法師さんも時にはこんなこともしてみたかもと思ったりする。

先日旧友のお孫さんに送った写真の中に、彼女には父と叔母に当たる子供が彼の前に並んでいる。
彼女のメールによれば早速親に送ったというのだから、親も驚いたし嫌な気分だったかもしれない。
古きを暴き出すのもいい加減にしないと、人それぞれ別の感情を持ち合わせているから、良くなかったかなと反省しきりの今である。

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2011年11月25日 (金)

老人だけの世帯の増加

朝気温3度とやや寒い。
鼻水が垂れるところをみるとやや風邪気味かな。
すこし遅くなったが、山崎君の令夫人にお悔やみの手紙を書く。いろいろ公的私的行事が重なったのだろうから、頃合いはよしと見たがいかが。
彼は私と違ってよく頑張った、そしてえらくなった。しかし年老いると駿馬も駄馬にひとしくなる。
大体同じくらいの背丈になったときに、年下のくせに先に逝ってしまった。
私は残念だが、彼も無念だっただろう。何故食事を絶ったりしたのだろう。

考えてみると老人が長生きするということは不可思議なもんだ。死にそうになってもなかなか死なない、死ねない。
私みたいに死にたいと思っていても、簡単には死ねない。
白菊会には早くから入っていても、お呼びがないから役には立たない。
ところが彼みたいに元気で、今年も元日に札幌からおめでとうと大きな声を出した。そして曾孫が出来たと言って、からから笑った。
その男がすとっと死んだと、ブログのコメントで知らされた。
何もかも奇である。

昼飯は外食にする。だんだん我が家もそうせざるを得ない。家内のリウマチが一向に良くならず、炊事をさすには気の毒である。
小さい子供並みの食事だから外食しても経費は変らないと家内は言う。
どこの県だったか町だったか、老人の一人世帯が4分の1になるとか聞いたことがある。
日本国中大変なんだなあ。

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2011年11月26日 (土)

もみじ

今朝も2度と少し冷たいが好天気がつづく。
北海道は寒過ぎるだろうし、沖縄は暑過ぎる。孔子さんが言ったように中庸が一番いい。
ここらあたりがその中庸だろう。もって瞑すべきかもしれない。
しかし今朝はやたらと鼻水が垂れる。くしゃみもでる。風邪にやられたかな。

ティッシュなんて、昔はなかったもの、やたらとチリ籠に溢れる。
昔小さい時はなたれ小僧なんて言われたものだが、其の鼻汁はどうしていたんだろう。
着物の袖で拭ったかな。そう云えばガキの着物の袖口はやたら光っていたなあ。

今の子供たちは清潔なもんだ、顔もよく洗うし、裸足では歩かないし、洟をたらしている子はまるでみない。

今日の中国新聞を見ると岩国吉香公園の紅葉谷の写真が掲載されている、深紅の紅葉が驚く程色美しい。
これはちょっと見てみたいなあ。(写真は中国新聞より転載)
Photo

行かないかと家内に声を掛けてみたが、用事が多くて忙しくそれどころではないという。
暇なのは俺だけか。新聞の写真だけで我慢するか。

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2011年11月28日 (月)

又々語り継ぐ戦争の記憶

今朝は急に12度と暖かくなる。
変化が激しいのはこの頃の気候、仕方がない。風邪の状態はいくらかましといったところ。

古い記録をCDやDVDに納めているのだが、これもどんどん枚数が増えて煩わしくなっている。
最近は大容量のHDが安く売り出されているので、こちらに移し替えようかと思い始めている。
何より検索が楽である。

数が多くなると探しにくくなる。当たり前のことである。ダブっているものも少なくない。
いちいち整理するとなると大変である。結局大きなHDにまとめて放り込むのが一番良いということだ。

私が十数年も前に書いて投稿した、兵隊、戦争の体験談を故あって読み返す必要が起きた。
”語り継ぐ戦争の記憶、昭和の声”というホームページに入れば簡単に其の証言室で読むことが出来るので、改めて読んでみる。
未だ80歳にならない若いときだからよく記憶していたし、友人たちもかなりの数存命で意見を聞くことも出来た。
しかし改めて地名を地図で確認すると、かなり違っている。
もちろん有名な長沙とか衡山などはその通りだが、部隊本部のあった上田冲は見当たらないし、私の居た広東橋などまるでない。
もっとも日本軍の作った軍用地図で適当に入れた地名らしく、橋らしいものもなかったが、地名がしゃれてるので、私が勝手に使っただけだった。しかし本部の位置はどう見ても現在の中路舗に違いない。軍用地図の作為としか考えられない。
というわけで私の戦記にはおとぎ話が混じっていることになるかもしれない。

広東橋も今調べると”板塘”というところらしい。これは戦病死した斉藤一等兵の戦績簿に記載が残っているから間違いない。
誤字脱字の類は文学者が書いたのでないから数多くある。
嘘は書いていないつもりだから、そこらを斟酌して読んでいただきたい。

これなども今は検索というWeb上まことに都合のいい方法がある。
70年前の古戦場が浮かび上がってこの上なく有り難い。
記憶を残すというのはこういうことを言うのだと、草莽のかげから訴えたい。

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2011年11月30日 (水)

突如腹痛下痢、死ねるのか

昨日一日原因不明の腹痛下痢に悩まされる。
ほとんど終日トイレにはまり込みで参った。
後はベッドインあるのみ。
夢かうつつの一日だった。

今朝も目覚めたのは8時近い。
寝間着も下着もべたべたでどうしようもない。
すぐ昨夜の風呂を沸かして入る始末。
我が老婆も大変である。

身体を洗ったところで下痢が止まる訳はない。
昨日は一日食わなかったのに結構出る。ほとんど色の着いた水と空気だけど。
鼻が衰えたので臭いはまるでしない。家内はくさいくさいというが。

幸い日ざしが部屋を暖めてくれてるので、こうしてパソコンに向かっている。
寝てるよりこの方が今は良い。今10時15分である。
簡単には死ねないのだなと改めて思い直す。
我に七難八苦を与え給えと神に祈ったという昔の武将の心意気などあるわけはない。情けない死に損ないではある。

数日前から風邪具合が良くなかったから、そのせいもいくらかあるかもしれない。
医者に行く程のことはないと見くびったが悪かったか。
痛みも治まったし、しぶりも止まったし、快方に向かってくれればいいのだが。
でも自力で治るとは虫が良過ぎる。家内の言う通り正露丸を飲んでおく。

身体が暖かいので下着のままでいると、洗濯ものを干しに二階に上がって来た家内にめざとく戸の隙間から見つけられ、怒られてしまう。

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