« 岩国市民と米国 | トップページ | 宣撫ということ »

2011年10月20日 (木)

日本軍の汚辱と栄誉

朝一番に広島総合病院に出かける。皮膚科の定期診断である。
十数年来少しづつひどくなるだけで,治る気配は全くない。悪化の速度が縮まるかぐらいのものである。
医療に決定的な進歩はないとのことだ。
お金がなくなっていたので,途中で銀行に行き、お金を引き出して診察費を払ったりしたので,帰宅したら10時になっていた。
近くにある銀行まで歩いたりしたので結構いい運動になった。しかし道路って案外歩きにくいもんだなあ。

家内は先日岩国で貰った西条柿の皮むきに精出している。今年もお相伴で干し柿が食べられそうである。
今年は柿の豊作年だそうだ。
渋い柿程甘くなる,幼いときから不思議な自然現象である。

戦争という人間悪を丸出しにしての殺し合い、奪い合いの世界も、何十年もしてやっと語りうる環境に入る。
原爆の被災者がその死を前にしてやっと口を開く。
悪の権化は誰しも知りたく無いことなのである。

先日も書いた”湖南戦記”からの引用になるが、この戦記の主人公が属した部隊の上官たちが,或は部下に射殺され,或は降等の上自決させられるなどということは、恐らくは日本軍隊の歴史始まって以来のことだろうが、私にはこの上ない驚愕事象であったし、90年生涯の最大の汚辱感と受けとめたい。
この様な日本軍が私のすぐ近くの湖南省花石県に進出していて、狼藉を働き、県長がたまりかねて、私ごときものにどんな経緯で救済を求めて来たかと思うと,70年近く立った今でも腹立たしくて,夜も眠れない思いである。相手は大隊,こちらは百人足らずの小さな修理中隊、同じ日本軍だから戦う事は無くても、単なる忠告すら歯牙にも掛けてもらえない事であった。
湖南戦記の著者も恐らく卒年にしてやっとある決意のもと書き下ろしたのであろうが、今は亡き戦争責任者たちにこそ突きつけてやりたいことがらである。

大隊というので思い出したが、某少佐率いる通過部隊が、私の部隊の宣撫区域でもみを無理矢理徴発したと,住民から訴えられ,ともにその部隊に足を運んだ。
丁度脱穀する最中だった。部隊長に直接会い、苦情を申し上げた。部隊長は謝罪し、担当の経理将校と住民とが折衝して円満に事後処理を果たした事がある。
私の経験では無法な処置が行われた事は一度もない。バックにはいつも菊の紋章、軍司令官が居ると思っていたから。
宣撫はもちろん軍命に基づくものであった。

その結果がいつかも書いた8月17日の夜の歓迎の宴に繋がっているとの自覚は未だに忘れ得ない。

|

« 岩国市民と米国 | トップページ | 宣撫ということ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/53040875

この記事へのトラックバック一覧です: 日本軍の汚辱と栄誉:

« 岩国市民と米国 | トップページ | 宣撫ということ »