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2011年10月 5日 (水)

親父のパスポート

久しぶりの雨の朝、気温は14.8度とまあまあ。
こんな日は元気なものでも起きてすることはない。寝そべってごろごろするだけだろう。
こちらはパソコンをやるおかげで、まず新聞から始めよう。紙の新聞の方は最近老齢のせいでか、1ページが広過ぎて、しかもページ数が増えてなんとも手に負えなくなって来た。
簡単なパソコンの方がよい。
いろいろな新聞が読めるのも良い。

医者に行き、いろいろ検査が煩わしかったが、やってもらったら吉と出て、幾分元気が取り戻せた。秋になってからだが少し楽になったせいかもしれないな。
生きている以上はやっぱりやりたいことはやりたい。
昨日は植物園に行きしっかり歩いてみた。あまりよろけないで、すたすた歩く事が出来た。もっとも杖は付いているのだが。
訳の分からない植物の花を一つ一つじっくりと見て回った。
観客はいつもと違って誠に少なかったから、邪魔にもならなかった。

もう少ししたら宮島に紅葉を見に行こうと家内に話す。こちらは距離が長いから、足の運動を心がけねばならないかな。

古い記録を整理していると、親父のパスポートが出て来る。ティファナというメキシコの都市での入国の検印がある。
1930年とあるから、親父が満49歳のときのものである。
付いている写真は私にはやはりはっきり見覚えがある。しかし今生き残っている弟妹にはもう面影は残っていないだろう。彼らはあまりにも幼い時に死に別れたからである。
親父はこの時から10年経たないうちに病死した。大東亜戦争の始まる丁度1年前だった。

私の不幸は考えてみると、父の死、そしてすぐ兵役、敗戦、と父だけでなくその遺産の大半を戦争で失っていた事から始まっている事に気づく。
助言を呉れる父がなく、職は満洲の国策会社だから消滅していたし、家や田畠も爆撃で壊滅し、まさに無に近い状態から始めなければならなかった。
もちろん同じ様な状態の人は沢山居たのだから、スタートラインは一緒だった。
ただ私自身が戦後の混乱に立ち向かうには、あまりにも愚か過ぎたかもしれない。
父がもう10年も生きていてくれたらとこの古いパスポートが悔しさを思い起こさしてくれる。

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