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2011年10月 1日 (土)

戦争秘話

前日から読み疲れている”華中戦記”の読後感がなにか重苦しく心にのしかかる。
著者の森金千秋と言う人は私と同じ年の生まれである。しかも広島出身とある。

漢口から上流400kmの宜昌までの間の湖北省地区を転々としながらも、昭和16年4月から終戦の翌年即ち昭和21年4月まで戦場暮らしに明け暮れた一兵士のものがたりである。

私のように、同年兵とはいいながら、北満の関東軍に入営し、最後の戦場は殆ど彼と同じ地区で戦い、終戦を迎えたけれど、その暮らしの格差に驚かされた。
私は兵種の違う自動車部隊だったから、行動範囲が先ず全然違っていた。
同じ湘桂作戦でも、彼は沙子付近のほとんど一角を転戦するだけだが、私は漢口から柳州までほとんど2千キロの区間を移動し回った。
彼のように中国人にくるまれたような生活、就中男女関係まで生まれる様な環境が存在したという事は、やはり驚き以外のものはない。満洲での約4年間は湿地以外は何も無い荒野にソ連の空を遥かににらむだけの生活。
中支に移動してから終始苛烈な敵の空襲のもと、夜だけの行動という、いはば、夜行性動物なみの暮らしで大半が終わった。
彩りなんかどこにも無かった。
戦後約1年の捕虜生活も、ただ飢えとの戦いに終始し、まともな人間の暮らしは存在しなかった。
バターン死の行進という話がある。捕虜虐待で戦後日本軍の関係者は沢山処刑された。
程度の差はあるが、一日300グラムの食事で生かされた私たちも悲惨というほかはなかった。
当時食うものが少しでもあったのだから、文句を言えるすじはどこにも無かった。

華中戦記の主人公たちは私からみれば羨ましい限りの環境にあったとしか言いようが無い。
自ら好んで不幸な訣別を醸成したようにも思われる。

話は違うが私の友人にも、捕虜収容所を脱走して、地元民間人の中に転がり込み、最後は異国人として生涯を終えたものもいる。
戦争は思いもよらないドラマを沢山造り出した。

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