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2011年9月 1日 (木)

天の功徳

驚く程はっきり見える文字、まず日記を書くことから驚きが始まった。
うす雲が掛かって見えた文字も輪郭がこれほどはっきりしたものとは思わなかった。もう数年来慣れ親しんだ文字から蘇生した思いである。

試しに側においてあるコンサイス英和辞書をパラパラめくっても、文字に何らかの違和感もない。学生時代に帰った趣である。

昨日はちょっとしくじったなあ。よく見えるようになって浮かれ過ぎ、注意力が散漫になったのであろう。
幸い骨折などはなかった。これがあると人生一巻の終わりだったのだが。
怪我も大したものではなくて、2週間もあれば完治するだろうとの医師の宣告だった。
油断大敵、人間よくあることである。心すべきことにこそ。

今思い出すと、不思議に思うことがある。
手術のことだが、まず最初の左目の時は、ときどき凄く痛む瞬間が何度かあった、城壁の様なイメージが2、3度浮かんで見えた。そして20分と聞いていた手術時間が30分は優にかかった感じがした。今回の右目の場合はさほど痛むことはなかった、イメージは谷間の古い民家や、山の木立がえんえんと続く光景などだっだ。そして今度は後で確かめたのだが45分かかったと告げられた。
同じ機械で、同じ医師スタッフで、同じ場所で、どうして眼の左右で違いが出るのであろう。

通院と入院とどちらがどうだろうと考えたりする。
家内は通院を再三繰り返している。しかも片眼が終わっただけである。私は入院2度、合計6日間で一応左右とも済んだ。
ただ予後の診察を考えると、同じ様なものかも知れない。
どちらにしろ厄介な、時間のかかる病気である。私の伯父は手術の失敗でとうとうめくらになり、数十年の余生を不自由に暮らした。
先年亡くなった、同い年の義弟も、別の原因だったが盲目になり、永い間病床に喘いだ。
私には誠に身近なところに控えた怖い病気である。

おかしな一日だ。日光のきびしい朝だったのに、昼過ぎには驟雨があっという間に通り過ぎ、洗濯物を濡らし、寝茣蓙も台無しにしてしまった。そのうち又日ざしが戻り、昼寝を終わってみるとまた雷鳴が轟き、雨雲が覆っている。
一日の行方はまだわからない。いや、3時6分またもやざぁっーと降り出した。
雷鳴もいっそう大きくなった。
一時間ぐらいいい潤いだった。すっかり涼しくなっていい気持ち。有り難い天の功徳ではある。

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