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2011年9月30日 (金)

戦場の不可解さーつづき

夜来の雨は午前7時すでに上がっている。

昨日あんな事を書いたが、一つ、二つ思い当たることがないこともなかった。
一つは給養係をしていた犬養兵長の越権行為かもしれないこと。
彼は隊の給養を役目上取り仕切り、物資の購入などを通じ、住民との交流は緊密であった。
個人的にも村の長老から、彼の祖父が犬養首相という中国建国の父孫文の恩人でもあった事は駐留後まもなく知れ渡っていたので、黒瑪瑙の印鑑を彫ってもらったりしていた。
その関係で近くに居た村民が見つけて急報したのかもしれない。
もう一つは救急医療に熱心に従事していた池本兵長の線である。彼も一人で宣撫区域を歩き回り、有力な土地の親分と称する者と義兄弟になったとか噂されていた。この土地ではすでに知らぬ者はなかった。
彼が声をかけたか、或は見つけられて声をかけられたか、あり得る事ではあった。

ともかく隊の者全員が住民と実に懇ろになっていたことは間違いない。私も住民たちとしばしば個人的な交わりをしていたから。
所謂気心がすっかりあの4、5ヶ月の間に知れ渡っていたということだろう。

湖南省というところは、風土といい、人情といい、日本と誠に良く似ていた。私ばかりでなく他の部隊の兵たちからもよく聞いた話である。敵視される事はまるでなく、むしろ敵情をよく教えてくれ、友軍の救援、敵侵入の撃退などいちはやく行動を開始する事が出来たりした。隣県の花石県からは宣撫区域に入れてくれと使者が来た事すらある。

ついでに言うと、翌年2月から7月まで駐留した桂林郊外の周家村とはその部落住民との交流密度はまるきり違っていた。
どうしても彼らの輪の中には入れてもらえなかった。
末期には隣村に設置したアルコール工場が、ある日仏暁敵軍の包囲攻撃を受け、本隊から救援を出し撃退はしたが、両方とも戦死者をかなりの数出した。

苦しい事のみ多かった戦中生活にあって、今なお古里を感ずる程懐かしい土地ではあった。

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