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2011年8月13日 (土)

病院は人生の一断面を映し出す

今日もいい天気のようだ。安心したせいかほんとにぐっすりと眠れた。ほの暑い空気がそこら中にただよってはいるが、会心の朝である。
午前7時起床、やはり永年慣れた我がベッドがいい。ほとんど12時間底知れぬほど眠ってしまった。
もう元気を回復しそうだ。身体も軽い。

日課の目薬も予定通りさし進む。家内ももう何ヶ月もこの日課を続けている。
白内障治療って考えてみると大変な作業なんだ。

戦争生き残りが急激に減っているらしい。身辺を見回しても指折り数えられる程少ない。
しかし戦後生まれでも戦争の痛みは知っている人はまだ多い。
忘れ去られる事はまだ数十年は大丈夫だろう。

思い返すと私の少年時代、日露戦争の傷病兵が沢山路頭で物乞いをしていた。
こんどの大戦は数十年間一度たりともそうした傷病兵の姿は見受けられない。
現在はそれ一つ取り上げても幸福な時代なのだ。
私自身僅かながらでも早くから軍人恩給をもらっている。事業に失敗したりして困っているとき、借金の担保に何度となく使って、露命をつながさせてもらった。
青春を棒に振ったつぐないは、お上がそれとなくし続けていてくれている。
この年まで生き延びてこられたのもそれらの助けがあってこそなのである。

終わり良ければ全て好しという言葉がある。
私の場合はそれに近い。
先日も病院で同室になった男が、72歳というのに車いすで動作していた。見ていて痛々しさに心が騒いだ。
私より20年も若いのに、これからその年をどうしてしのいで行くのだろう。

深夜、起き上がって困った様子なので、思わず手を差し伸べてスリッパを履かせてやったり、便器に座らせたりした。
夜勤のナースを呼ぶベルが生憎故障したらしかった。
3時14分には地震かと驚いて目覚めた時、私のベッドの裾に腰を下ろしている男を見て、さすがに驚いた。
どうしたんだと怒鳴ると、黙って立ち上がりベッドの手すりを伝って自分のベッドの方へ帰って行き、そのままドアを開けて廊下に出てしまった。向かいのナース室にいた看護婦さん達が転んだりしたら大変だと驚いて抱え込み、ベッドに連れ戻した。
さっき眠れないと言ってたから、寝ぼけたんだろうよとナース達に私が言う。

4時29分また起き出して廊下に出たらしい。病院を自宅と勘違いしているらしい。奥さんの名を呼んだりしている。
完全な睡眠不足による寝ぼけ状態だ。

ナース達は私を気の毒がったのか、となりの部屋の連れて行ってしまった。

彼は終わり悪しの状態と言えそうだ。戦争の苦難は免れたが、人生の苦難が待ち構えていた。
人の運不運はあざなえる縄のごとくふりかかり、誰しも逃れる術はない。
顔色といい、手足のしなやかさといい、私などお呼びが付かない程つやつやと美しい。
奥様も美しい優しそうな人だ。これからの人生はバラ色である筈だが、現実に見た姿はとても幸福とは言いえない。

病院の中でも時々刻々過酷な人生の一断面がうつしだされるものである。

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