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2011年8月15日 (月)

薄れ行く敗戦の日の記憶

午前6時目覚める、窓外の気温26度とやや涼しい。
身体のあちこちが少し痒い以外は快調である。入院中治療を怠った乾癬の影響らしい。あちこち沢山の発疹が見られる。

昨日招かれて、飲んだビールが多少こたえたかもしれない。

66年目の終戦の日である。少なくとも70歳以上でないとその日は記憶には無いだろう。
最近の回顧録など読むと、特殊状況の誇張か、為にする論調が多くなった様な感じがする。
所詮真実のどろどろした戦争実情は、表現不可能といったところか。
いみじくも東北大震災がその一瞬間でも再現していると思えるかも知れない。

もちろん戦争は誇張された悲惨さばかりではない。喜びも楽しみも美しさも沢山あった。
現状よりはむしろ戦時中の方が良かったとの記憶も少なくない。
大惨事一辺倒の東北震災とは異なる所以のものである。

今度入院してわかったことがある。医学の進歩の著しさ、設備や看護婦など施設のすばらしさ、22歳のとき腹膜炎で2ヶ月陸軍病院に入院した、また交通事故で30年前救急車で担ぎ込まれた。
いずれも大きな病院だった。
担当医の技術程度はいざしらず、救命にひたむきな担当医のすがたは変わらなかった。
ただ患者側の考え方に違和感が大きかった。謙虚さのとぼしさが特に目についた。だんだん悪くなって行くようである。
最近の国民意識全体に繋がるようである。

病気を他人のせいにすることはごく特異な場合を除いてあたらない。
自分の普段の生活態度が原因である事がほとんどである。
それぞれ寿命が与えられているので、死は予期せずいつかやってくる。
快く、甘んじて死を迎えたいものである。

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