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2011年8月 1日 (月)

DVD"太平洋戦争”を見て感ずること

眼鏡をかけてもかけなくても、パソコンの文字ははっきりしない。
ここまで来たかの感じである。
気温25度、蒸し暑い。
扇風機の効果も乏しい。
シャツを脱げばまだ涼しいから、まあいいか。

昨日送って来た”太平洋戦争”というDVDを今見ている。
もちろん乏しい頭でその善悪を云々するつもりはない。
ただ政治に介入して元老を殺してまで、戦争にひた走った若手軍人の暴走こそが、この戦争の導火線だったことがよくわかっる。圧倒的に彼らの行動を支持した、私たち国民も同罪である。
やはり国民がその結果責任負うべきで、他に転嫁のしようはない。

結果的にはアメリカにうまくあやつられたな。日本にはそこにいちはやく気づく様な政治家はいなかった。
当然の報いと見なければしかたがない。
私を含め戦争を謳歌した、あの時代の青壮年達の敗戦の弁は詭弁というしかないだろう。

後に続く少国民や戦後生まれ育った人たちにはなんの責任もないし、反省もいらないと心得べきであろう。
むしろ苦難を乗り越えて、よくもかく偉大な国に復興したと賞賛を惜しまないことが筋というものだろう。

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2011年8月 3日 (水)

目ん玉ともお別れ

目の手術をすることになって、やたら目が気になり出した。
それに医者で、とっかえひっかえ目薬をさすものだから、目の調子が悪くなってしまった。
特に瞳孔を開く薬などというのはそうとう強いものだろう。6、7時間も世の中がはっきりしなかった。
車の運転にはほとほと困り抜いた。

昨日電話で病院に聞いたとき、目が赤くなってるかと問われ、家内に見てもらったら赤く充血しているという。
手でこすり、ハンケチでこすり、タオルでそっと拭くくらいだが、目の中を拭いた憶えはないのだが、度重なると少しは目の中に入るかも知れない。
毎晩寝る前に乾癬の塗り薬を塗った後、タオルを2、3枚側に置いて手を拭っておしまいにする訳だが、そのタオルで気になり始めた目の回りを拭く。
今思うとこれがよくなかったかもしれない。

どうもそれが原因らしい。目なんて微妙なものだな。

見た事もない自分の目を鏡に映してしげしげと見る。小さなかわいい、瞼のかげから黒い丸い玉がちらちら見える。
別に取り立てて変わりはないのだが。
大きな目などという言葉が小説などにはよく出て来るが、私の目は誠に小さい、顔も小さいから丁度似合ってはいる。
目の回りはしわだらけで、これが俺の目だといっても信じられない。
90年もよく使ったものだな。この目ん玉ともうこれでお別れになるわけだ。

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2011年8月 4日 (木)

死への三重苦

朝から好天気で暑くなりそうな気配、気温26度。
今日から殺菌目薬をささねばならない、忘れずに朝9時過ぎから始める。家内もさしたというクラビットという目薬だ。
今朝は格別痛まない。
目薬にあまりなじんでないので、うっとうしく感ずるものだな。

天気図を見てみると台風が二つも近づいているらしい。沖縄には強い方が来ている。
ぼつぼつシーズンだからこれからはこれが怖い。

近所の交差点で水道が漏っているというて、昨日から何台も車が来て騒がしい。出るにも出られんが、いつも来る生協も電話を掛けて来る始末。

小便をするとき急に気が遠くなり倒れそうになる。家内が脳梗塞の前兆では無いかなどという。
最近の数度の血液検査でもそうした危険分子があることは、どの医者の言わないし、やっぱり立ちくらみがひどくなった感じではある。
入院がいい機会なので脳の検査も受けてみる必要がありそうだ。

また目薬を差すせいか目がしょぼしょぼして目を開いておれない。腰はちょいちょい抜けるし、まさに三重苦である。

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2011年8月 5日 (金)

野球はやっぱり面白い

今朝はぐっすり寝すぎた感じで、なんとも身体が動かしにくく、腰の抜け具合がひどい。
しばらくはうまく歩けない。
気温は25度だから、普通の外気温だが、えらく身体がこわばったところを見ると、風で身体を冷やし過ぎたかmしれないなと思う。

カープが5連勝と好調である。一応今ヤクルトに続いて2位に浮上した。打線の向上が貢献しているようだ。特に栗原健太の復活が大きい。
黄金時代に山本浩二、衣笠祥雄が看板通り活躍したことが、何度も優勝に導いた。
王、長島は言うに及ばず2枚看板は優勝には欠かせない。
今のカープもその意味ではもう一枚欲しいところだ。

二枚でないと長丁場だから必ず不調の時が来る。もちろん二枚ともという事もあるが確率としては少ない。
優勝には最大の条件だ。
まだカープにはその力はないと見る。期待しすぎると損をする。
幸運を見守るだけだ。

高校野球が明日から始める。
私の時代は広島からは広商が期待の星だった。私の中学時代に一時呉港が全国優勝したりした。藤村とか柚木とか、小学校時代対戦したことのある五番町小学校のメンバーが居たという。熱狂せざるを得なかった。
スクラップブックが十数年前までは残っていたのだが、もう処分して何の記録もない。
カープの切り抜きも随分取りこんでいたのだが、量が増え過ぎて置き場所がなくなり、全部泣きながら焼却した。
今いろんな記録類をパソコン処理しているのは、そうした教訓が私により小さく保存する考えに向かわせた結果である。

カープが新球場で戦うことになって、やっと昨今地元らしい風格が出て来たらしい。
一度も行ってないのに、いろんな情報を聞く間に、そんな感じが出て来た。
プロ野球が出来て、観音の総合グランドでやり始めた頃、岩国から下駄履きのまま腰にタオルをぶら下げて、応援に駆けつけたものである。例の酒樽のタル募金も喜んで応じた。石本監督や白石選手の涙ぐましい健闘ぶりに惜しみなく拍手を送った。
各地のグランドか空き地かわからない、縄張りの仮説球場でも、大竹でも岩国、徳山でも追っかけ応援した。
もっとも大竹や岩国はオープン戦だったかもしれないが。

市民球場の出来た当時は、勤め先の会社が、球場のすぐ向かいの猿楽町にあったので、会社が引けると、球場内のうどん1杯かけこんで応援に熱中したこともある。

夢のような遥か昔の話になってしまった。形の見える記録は何もないけど、小さなこの頭の中にまだちらちらと消えないで残っている。まもまく誰にも見えなくなるのだろうが、追う術はもうない。

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2011年8月 6日 (土)

原爆記念日

原爆記念日、おっちゃんの事が何日も前から気になっているのだが、歩くのもやっとではお参りに出かける事も出来ない。
心の奥で手を合わせるだけだ。すまない。
今年は何となく寿命が尽きる様な気がしてならないので、彼のお迎えを受ける事になるかも知れない。
しかし顔はすっかり忘れたな。声を掛けてもらわなければどうにもならないだろう。

曇り空のおかげで灼熱の太陽の下での式典でなくて良かった。総理も最後を飾るつもりだろうがご苦労さんだね。

昨日からうちの二階の空き部屋に、長女が持て来て置いてあるマッサージ機を使って腰のマッサージをしてみる。
なんとなく気持ちがいいし、腰痛に効く様な気はしないが、日に2度3度とやってるうちに、なんとなく腰の抜け具合が治まって来た。このままよくなるともうけものだがな。
特に昨日の朝は起きる時から痛くて、寝返りもうてなかった。
今日は少しも痛まず、なんだか嘘の様な気持ち。まだ鈍痛が残っている様なので喜んでは居られないが、なんとなく元気が出てくる。

年の初めに左ひざが痛くなって困っていたとき、ふと部屋の隅に転がっていた温灸器を思い出し、使って、温灸を約1ヶ月半やり続けた。
結果は今にいたるまでも膝の痛みは出て来ない。寒くならないとまだ判らないが、昔から使われたものにはそれなりに事実の裏付けがあるようだ。馬鹿には出来ない。
このマッサージ器も利いてくれれば有り難いのだが。

今晩は地元部落の盆踊りがあるらしい。まだ明るいうちから拡声器が盆踊り歌を流している。
大抵花火も上がる筈だが。

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2011年8月 9日 (火)

放射能とがん、私まで関係あり?

午前6時気温26度。明日からの事が気になって寝ても居られない。
内藤先生が前立腺がんの検査を再三是非受けて来いと言ってるし、どうでもいいと思っていたが、いざとなると迷っている。
放射能が原因などと今朝のラジオの中で原爆被害者が言ってたし、チェルノブイリではまだ25年しか経ってないので入れないと言うし、私は1961年から広島のしかも爆心地そのものの猿楽町に通勤を始めたし、3年後にはとうとう広島に家族もろとも引っ越している。
癌と言えば放射能と来ると、満更縁がない訳でもない。
やっぱり診察を受ける事にしようかと、今朝目が覚めるともう眠れない。
参考のために我が家の年表を取り出してみたり。

1996年6月横川の店を閉じて隠居するまで、30年間広島に居た訳だ。放射能の影響を受けない訳はないと思い至った次第である。
知らぬが佛とはよく言ったもので、沢山の人々が戦争が済むとすぐ広島に戻り、入って来た。
私でも兵隊から帰って来てすぐ何度も足を踏み入れた。
福島で30キロ以内立ち退きだなんて騒ぐのに、まったく今昔の感に堪えない。

おもしろがっている訳ではないが、原爆なんて、考えてみると正に妖怪だな。
私だけでなく、何も知らずにその魔手に手玉に取られている人がたくさんいるのだろう。
必ず何かで死んで行く人間だから、がんでも何でもかまわない。多少の痛さ苦しさはしかたがないが、安楽に死にたい、今日にでも良い。
正式ではないが癌かも知れないといわれた。半ば嬉しい様な気持ちである。
ついでに何時までの寿命だと決めてもらったらなお有り難いのだが。

保険もこうした事のため掛けておいたのだ。使わずに死ぬのはもったいない。

朝6時から起きて、こうしてパソコンに向かって、馬鹿な事を考えてる。
下らぬ男だな俺は。

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2011年8月12日 (金)

白内障手術成功

やっと病院という牢獄に閉じ込められていて解放された感じである。ぱっと生き返った思いのする瞬間だったが、外界のこの暑さよ。これではなんのための解放かわからない。
新しい苦しさが待ち構えているようだ。

しかし思いはともかく、目の手術は成功したらしい。
担当した医師がまず祝福して送り出してくれたが、下界はこんなにも美しい。
新しく見える世界は眼鏡の度が変わったというハンディを考慮しても、すばらしい眺めである。

肝心のパソコンの文字は、両眼のちぐはぐが響いてか、全体的にはすっきりはしないが、文字の輪郭がしっかりして従前よりは遥かに楽である。
もう一方の右眼の手術も8月17日の検診で日取りが確定する。
極めて順調に事が進んだので、私も医師も自信が深まった。次の有終の手術が待ち遠しい。

30分ぐらいの手術で、痛くもないし、簡単な手術部類に入るらしいが、受ける立場からは、やはり身体の最重要な部分にメスの入る作業、緊張と平常心の持続との戦いである。簡単に楽だと割り切る訳には行かなかった。
吐き気までは行かなかったが、気分が悪くなったりした。幻想の世界に入ったようで、映像を眺める面白さも中にはあった。
城壁の映像が何度か現れたが、どうした原因か、他の患者にはなかったらしいが。

頻繁な検眼や薬注に驚き疲れたが、3日間の入院は無駄ではなかった。この暑さの中を通院ではこちらが持たなかっただろう。

手術がうまく行った蔭に、腰の調子が偶然に良くなっていたという符合は全く幸運だった。
私もまだまだ良い星のもとに居るようだ。

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2011年8月13日 (土)

病院は人生の一断面を映し出す

今日もいい天気のようだ。安心したせいかほんとにぐっすりと眠れた。ほの暑い空気がそこら中にただよってはいるが、会心の朝である。
午前7時起床、やはり永年慣れた我がベッドがいい。ほとんど12時間底知れぬほど眠ってしまった。
もう元気を回復しそうだ。身体も軽い。

日課の目薬も予定通りさし進む。家内ももう何ヶ月もこの日課を続けている。
白内障治療って考えてみると大変な作業なんだ。

戦争生き残りが急激に減っているらしい。身辺を見回しても指折り数えられる程少ない。
しかし戦後生まれでも戦争の痛みは知っている人はまだ多い。
忘れ去られる事はまだ数十年は大丈夫だろう。

思い返すと私の少年時代、日露戦争の傷病兵が沢山路頭で物乞いをしていた。
こんどの大戦は数十年間一度たりともそうした傷病兵の姿は見受けられない。
現在はそれ一つ取り上げても幸福な時代なのだ。
私自身僅かながらでも早くから軍人恩給をもらっている。事業に失敗したりして困っているとき、借金の担保に何度となく使って、露命をつながさせてもらった。
青春を棒に振ったつぐないは、お上がそれとなくし続けていてくれている。
この年まで生き延びてこられたのもそれらの助けがあってこそなのである。

終わり良ければ全て好しという言葉がある。
私の場合はそれに近い。
先日も病院で同室になった男が、72歳というのに車いすで動作していた。見ていて痛々しさに心が騒いだ。
私より20年も若いのに、これからその年をどうしてしのいで行くのだろう。

深夜、起き上がって困った様子なので、思わず手を差し伸べてスリッパを履かせてやったり、便器に座らせたりした。
夜勤のナースを呼ぶベルが生憎故障したらしかった。
3時14分には地震かと驚いて目覚めた時、私のベッドの裾に腰を下ろしている男を見て、さすがに驚いた。
どうしたんだと怒鳴ると、黙って立ち上がりベッドの手すりを伝って自分のベッドの方へ帰って行き、そのままドアを開けて廊下に出てしまった。向かいのナース室にいた看護婦さん達が転んだりしたら大変だと驚いて抱え込み、ベッドに連れ戻した。
さっき眠れないと言ってたから、寝ぼけたんだろうよとナース達に私が言う。

4時29分また起き出して廊下に出たらしい。病院を自宅と勘違いしているらしい。奥さんの名を呼んだりしている。
完全な睡眠不足による寝ぼけ状態だ。

ナース達は私を気の毒がったのか、となりの部屋の連れて行ってしまった。

彼は終わり悪しの状態と言えそうだ。戦争の苦難は免れたが、人生の苦難が待ち構えていた。
人の運不運はあざなえる縄のごとくふりかかり、誰しも逃れる術はない。
顔色といい、手足のしなやかさといい、私などお呼びが付かない程つやつやと美しい。
奥様も美しい優しそうな人だ。これからの人生はバラ色である筈だが、現実に見た姿はとても幸福とは言いえない。

病院の中でも時々刻々過酷な人生の一断面がうつしだされるものである。

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2011年8月14日 (日)

盆の家族の集い

盆休みで昨日は、高速道を始め一般市道も混雑が激しかった。
スーパーに買い物に行き、いつも行く五日市のスーパーへは上り線で問題なかったが、反対の下り線の渋滞に驚いた。県道に出た途端、車がずらっと並んでいる。行けども行けども途切れない。横道から出て来た車は割り込む事すら出来ない。
とうとう広島市側までつづいている。
帰りが大変だなと思ったが、幸いスーパーの前の交差点から時々利用する住宅道路が伸びている。
帰りはそれにしようと決める。

用事を終わると、一車線の住宅道路を、見当で走り抜けて無事家に帰り着く。こんな田舎道まで込むとは思わなかった。

郷里の弟達には、家内が盆はもう帰れないからと断りの電話を事前に入れている。
とうとうその時が来たようである。弟妹達も今生の別れが近い事を知った事であろう。
里の実弟には今年は妹の1周忌で会った1回きりである。もう生きて再会は無理かも知れない。

盆間はのんびり自宅でと思っていたが、長女が孫達を招待してるから今日午私たちも来いという。
体調が幸い戻ったので承諾する。婿が車で迎えにうちまで来るのだそうな。
有り難いことだが、厄介なじいばあになったもんだな。

盆前に入院するようなことでは、横山君の墓に詣でる事もできない。
心あるも体許さず。原爆で無念の死を遂げたおっちゃんにも、私を救ってこんな幸福な人生行路に戻してくれた大恩人の横山君にも、今となっては心の誠を宇宙線で送る以外にない。

昨夜遅く晴子が東京からやってきた。やはり込んでたらしいが指定席が取れたから良かったと言う。
ますます綺麗になった。やさしいいい子である。

11時半婿車を運転して来たる。すぐ折り返して孫達も参集し、会食が始まる。
幼児3人がなんといっても主役である。
こちらからは晴子も加わって、12名の会合。長女の支度ぶりはさすがに見事である。

十分供応にあずかって、3時半辞去。帰路も婿のお世話で問題なく帰宅できる。
送り迎え付きの供応だからまったく申し分なし。ありがとう。

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2011年8月15日 (月)

薄れ行く敗戦の日の記憶

午前6時目覚める、窓外の気温26度とやや涼しい。
身体のあちこちが少し痒い以外は快調である。入院中治療を怠った乾癬の影響らしい。あちこち沢山の発疹が見られる。

昨日招かれて、飲んだビールが多少こたえたかもしれない。

66年目の終戦の日である。少なくとも70歳以上でないとその日は記憶には無いだろう。
最近の回顧録など読むと、特殊状況の誇張か、為にする論調が多くなった様な感じがする。
所詮真実のどろどろした戦争実情は、表現不可能といったところか。
いみじくも東北大震災がその一瞬間でも再現していると思えるかも知れない。

もちろん戦争は誇張された悲惨さばかりではない。喜びも楽しみも美しさも沢山あった。
現状よりはむしろ戦時中の方が良かったとの記憶も少なくない。
大惨事一辺倒の東北震災とは異なる所以のものである。

今度入院してわかったことがある。医学の進歩の著しさ、設備や看護婦など施設のすばらしさ、22歳のとき腹膜炎で2ヶ月陸軍病院に入院した、また交通事故で30年前救急車で担ぎ込まれた。
いずれも大きな病院だった。
担当医の技術程度はいざしらず、救命にひたむきな担当医のすがたは変わらなかった。
ただ患者側の考え方に違和感が大きかった。謙虚さのとぼしさが特に目についた。だんだん悪くなって行くようである。
最近の国民意識全体に繋がるようである。

病気を他人のせいにすることはごく特異な場合を除いてあたらない。
自分の普段の生活態度が原因である事がほとんどである。
それぞれ寿命が与えられているので、死は予期せずいつかやってくる。
快く、甘んじて死を迎えたいものである。

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2011年8月16日 (火)

如水館三たび延長戦を制す

病気を治す言葉に昔から”日にちが薬”というのがある。
私の目の状態は正にそれらしい。日に日に良く見えるようになってきた。まだ片目だけなのに特にパソコンに向かうと文字などの輪郭がまるで違う。
機械が変わったのかと思うくらいである。

回りの景色などは漫然と見渡すだけだから、眼鏡のおかげもなくてはならないし、片目だけのちぐはぐさもかんずるので、まだ十分とはいえない。しかし嬉しい。寿命が延びた感じがしてきた。
明日また診察をうけて、29日ごろ右目の手術ということになりそうだ。もう大丈夫だろう。

民主党の後継総裁争いが喧しい。
だれでもいいが小粒は免れない。そして願わくば小沢の息のかからぬものがなってほしい。
後戻りは怖い。

今朝早く千代と晴子は鳴門へとバスで向かった。今日中に墓参りなど済ませて帰京するという。
人並みにUターンの群れに混入するわけである。
やはり盆暮れの移動は大変だな。ご苦労だったね。
特に晴子は短い期間であまり交わす言葉もなかったが、嬉しかったよ。

如水館高校が持ち前の粘りを発揮して、3度目の延長戦を逆転さよならで3対2と能代商業を下し、ベスト8に進出した。
始めての快挙である。
老人の心臓にはすこぶる悪い勝ち方で、終わって立ち上がったら立ちくらみでしばらく呆然とする始末。
危ないところだった。

今年の甲子園は熱戦続きで人気も高いようだ。混沌として優勝を占うなど出来そうにない。

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2011年8月18日 (木)

国の老化

今朝も気温は高そうだ。ベランダの温度計は午前6時29度を示している。
甲子園早朝から熱戦がつづく。

内藤内科に行き、前立腺がんの検査の為の紹介状を書いてもらうべくお願いする。
明日の夕方に取りに来いといわれる。
私にはどうでもいいことだが、言い出しっぺの先生少し薄情ではないか。
憤懣は広島総合病院に向けられているのかもしれないが、先生怒ってはそんですぞ。
大きなものは皆えらそうにするもんですよ。

高校野球準決勝戦は光星学院対作新学院、関西高校対日大三高ということになった。近畿、中部、九州といった例年必ず顔を出していた地方が皆居ないというのは珍しい。それだけに予想が外れた面白さがある。
光星あたりが優勝旗をかっ攫うと面白いのだがなあ。東北の当たり年だからわからないぞ。

昨日は一日中、今日もちょっと内藤へ、医者通いが忙しかった。
自分ながら厄介な存在に成り下がったなあと嫌になる。
まあ、今のところ人の手を借りずに済んでるからまだいいが。

新聞を見ると眼科医が全国的に随分不足しているらしい。私が今通っている病院もおすなおすなで、私の場合も入院するのに三月待たされた。老人が多いところを見ると、老人性白内障が主力だろうか。
老人が国を滅ぼす事はいよいよ間違いなさそうである。

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2011年8月20日 (土)

残念!光星学院敗れたり

甲子園の決勝、光星学園の善戦と優勝を期待したのだが、3回に3ランホームランを打たれて、これはもう駄目だとあきらめた。それにしても日大三高は強過ぎた。11-0では話にならない、頭を下げるだけだ。
全対戦を二桁安打で終始したのだから凄い。
どうゆう訓練をしてきたのだろう。ここまで仕上げた監督がまた凄い。

一雨ごと涼しくなって行くのか、今日は時折降る小雨とともに気温も上がらず、扇風機をかけると寒くて鳥肌が立つ。
老体は我慢すると風を引きかねない。
今頃風邪を引いたりすると様にならない。くわばらである。

市内の吉和で主婦が乗馬練習をしていたところへ、突然ヘリコプターが現れて爆音を響かせたので、馬が暴走し落馬して怪我をした。ヘリが米軍のものだったから、賠償さすんだそうだ。
平和な時代だなあ。
私の軍隊時代にはいろんな馬に乗せられたし、乗りもした。落馬は付きものと思っていたから、それなりの準備はしていた。打撲ぐらいはしたかも知れないが、若かったから平気だった。

馬というのはよく暴走したがるものなのだ。そしてそれが得意中の得意なのだ。
その心得がない人は乗るべきではないと心得るべきだ。

米軍をあまり邪険にすると、いざというときに困るのでは無いかなあ。
今の日本軍だけで大丈夫なのだろうか。
いざという時米軍も頼りになるかどうかは判らないが、よらば大樹の陰という言葉通り、現在盛んに頼りにしているのだから。

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2011年8月21日 (日)

北国の良さ、世の中はうまくできている

朝7時、雨がしとしとと可愛い音をたてながら降り続いている。雨雲ともやにすっぽりと包まれて、暁闇などという詩的情緒はない。まだ夜だ。
時計を確かめても時刻は間違いない。やおら起き出して普段の生活に戻る。
家内は昨日庭の植木を整理した際肩を痛めて、湿布を貼ってるがまだ痛いようだ。
食事の支度も苦しそう。
老人のこと何もたべずともかまわないのだが、と口から出かけたことばをあわてて押さえる。
無用の感情のもつれを引き起こしたくは無い。

食事のとき家内が宮崎方面に一泊旅行があるのだがと、いい始める。新幹線利用で3万円くらいだという。
バスよりは楽だというのが興味を引く。
懸案の平戸ゆきもまだあるというのだが、こちらは全行程バスで体調が良くないと難しい。

年来の旧友たちが、つぎつぎと世を去って行く中、旅行の話など公開をはばかりたいが、ブログなど読む気遣いはなさそうだからと敢えて書いてみる。

午前9時目薬をさして、外を見る。
すっぽりともやに包まれた光景は変わらない。
終日このままかもしれない。たまにはまあいいか。

午前11時前突然ラジオが番組を中断して大雨警報を伝える。危険な箇所は避難しろという。ここらはかねて危険箇所には入っていないから他所のことだろうが。
外をのぞくと左程降っては居ない。
奥の深い市だから、集中豪雨でも降っているところでもあるのだろうか。
おかげで録音していた、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番がおじゃんになった。こっちも被害者だ。

まだ昼がながく夜が短い一日がつづいている。まもなく秋分になる。夜昼が逆転することになる。
満洲に始めて足を踏み入れたとき、間もなく夏が来て呆れる程日が長く、会社も7時始まり、3時終わりの勤め、それからの時間の長かったこと、野球を2試合やったりしたあげくバーやダンスホールで飲み歩き、夜中の12時にマーチョ(馬車)で帰寮する。太平楽が続いたものである。
物価はそれほどにないのに、給料は内地の2倍以上貰えた。
金が余って仕方がないサラリーマン、わずかな期間だったが楽しかったなあ。
すぐしっぺ返しを手ひどく食わされることにはなったが。

考えて見ると、北海道の人は毎年味わっていて何でもないことだろうが、冬になるとその逆で何も出来ない夜ばかりとなるので、喜ぶまでは行かない理屈になっていて、私のように喜ぶわけにはいかないし、おとなしく、ことさらあげつらったりはしない。
友達が札幌にいて、冬仕事がないから困ると嘆いていた。従業員を九州の方まで派遣しなくてはならないなんてこぼしていたが、それでも結構景気よくやっている。夏は倍仕事をするのであろうか。
所変わればやりくりの仕方も変わって来るではあろうが。

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2011年8月22日 (月)

いづれ狐狸の棲家となるか

朝7時、昨日も今朝も気温は23度と涼しい。
空はいくらか明るく、雨はもう上がっている。
昨日は広島の市中を河にして、床上まで水が入ったうちもあったらしい。

昨日午後雨の中を長女夫婦がやってきた。入院保証の印鑑を捺す為にわざわざである。
娘らも孫が何人もできて好々爺&婆然として来て、いたわり心が歴然とあらわれて嬉しい。
私たちはつくづく邪魔な存在だと自覚するのだが、神様が許してくれてるし、子たちもやさしいし、なんとも居心地は悪くない。
後少しのしんぼうだあきらめて、きままに過ごさせてくれ。

家内が肩が又痛いという。庭木の剪定が響いたらしい。私がやらないから、徒長が気になってならないらしい。
私も腰が又痛んだり、膝が悪くなっては死に行く身が不安である。木々の徒長に任せている所以のものだが、家内にはただ怠惰のせいと受けとめられているかも知れない。
温灸がいいだろうと家内に勧める。

ちょっとした小雨の隙間を利用して枝の剪定を手伝う。突出したものだけは概ね除去する。
井上のさとでは庭の手入れがもう出来ないと、木々を全部除去して芝生にされたとか、殷鑑遠からずかも知れないな。
こんなことを考えると、娘らが住んでいるマンションがいいなと思ったりするのだが、庭木も花もないようではやっぱり息苦しいだろうし、人間生活とは案外難しいもんだな。

そもそも兼好法師などの隠遁生活とは、自然のままというのだから、草削りもしない狐狸の棲家同然だったのだろうか。

午後2時を過ぎると、雷鳴がしきりに届きはじめる。また夕立でも来るのであろうか。

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2011年8月23日 (火)

中国新聞電子版申し込む

時々止んだりしながら小雨が降り続いている。県内でもあちこち豪雨になってるらしいが。

今朝から右眼に殺菌用の目薬をさしはじめる。一日3回ということである。手術日が29日なので予防ということであろう。
もっとも左眼の方は毎日5回今でもさしつづけている。目の手術には欠かせない点眼薬らしい。
この他にも、左眼には2種類の点眼薬がある。
飯を食べるより回数が多いのだから却って忘れる事はない。
家内も先に同じことをしていたかから、どこの病院でもやり方は決まっているらしい。
検査の多いことも無類である。
手間ひまだけを考えると大変な病気なのだ。

文庫本が枕元の棚に並んでいるのだが、退院以後目薬が割り込んで来た。遮光用と表示されたポリ袋にいれた小ビンの薬が何種類もあるのだから、わずらわしい。目に入れるのだからタオルなども枕元に積み重なる。
当分整理はつきそうにない。

秋がじょじょに深まって、気温が下がり、過ごしよくなってきた。雨もその為に効果があるのだろう。
局地豪雨というのが困るけど雨自体は悪くない。もっとも仕事のある人は嫌だろうね。

今朝腰の具合がちょっと変なので、又悪くなってはとマッサージ機を緩く設定してかかる。
昨日の庭木の剪定作業が響いたらしい。情けないことである。

中国新聞電子版の再度申し込みをパソコンで挑戦してみたが、やはりwindows機でないと駄目とある。iPhoneやiPalなら¥1050.追加するならできるとあるが、同じアップル製なのにどうして接続出来ないのか。奇妙なことである。
iPhoneには本機と同期という手があることはあるのだが、ただ読むだけなので、そんな面倒なことまでしたくはない。
ともかく見る見ないは後のことにして、取りあえず折角取り組んだのだからとダブルコースの申し込みをすます。
必要な時だけwindows機で見るということにした。必要な記事はコピーするという手間は一緒だからと思い直す。

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2011年8月24日 (水)

寅さんの思い出

パソコンの進化の早さには驚かされる。17年前始めて購入したとき直後から、面倒な機械だなと思いつつ現在に至ったが未だにその思いは消えることはない。
今回OSがとうとう百獣の王ライオンになったから、これで終わりかなと思ったがなかなかそうは問屋が卸さないらしい。
3月いちはやく導入したが、使えなくなったソフトが多く、時には動きが先走りして、後戻りさせなくてはならなかったり、結構わずらはしい。

いつも何でもなく使っていたソフトが働かなくなると、案外困るものだ。
仕方が無いから古い機械をまた使い始めたりする。インテルになるまえのpower pcだ。
くだらぬ追っかけはやはり止めるべきだなと反省しきり。
ただユーザーにはどっぷり浸かったiPhoneやiPodが泣き所だ。

何日か続いた雨模様が午後になって徐々に回復してきた。
雲間から洩れる日ざしが結構暑い。
日本列島を覆っていた前線が後退したのだろうか。

梅雨の様な日々が続いていたので、家内はやれやれの顔つきをしている。洗濯がまともに出来ると内心喜んでいるのだろう。

捨てる予定のビデオテープの中に、寅さん映画の最後の47作目を撮り終えたあとの、懐古集大成を描いたものが出て来たので、すぐ捨てるにはもったいないからと、レコーダーにダビングしながら見る。
それから間もなく渥美清は亡くなったのだが、やはり顔つきといい動きといい、若い時の彼とは明らかに違っていたことを感ずる。病状はかなり重かったのを我慢して撮り終えたのだと後日聞かされた。
喜んで見てくれる民衆の為、精一杯の役者魂がそうさせたのであろう。
いい役者だったなあ。

柴又には私たち夫婦もいつだったか上京の折、訪れて界隈をうろついたことがある。12、3年前の花見の季節だった。
凄い人出で、記念館などは押し出されるばかりで、肝心なものは見ることも出来なかった。
河土手も人であふれ、江戸川の有名な矢切の渡しもどこえやら情緒もなにも感ずる暇とてなかった。

画像は当日の帝釈天本堂

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2011年8月26日 (金)

やはり自分のものは自分で始末すべきか

昨日は音楽のソフトの調子がおかしいので、いろいろやってみたが駄目。新しいライオンとの相性がどうもよくないらしい。
あきらめて古いパソコンに配線をつなぎ変えてそちらのソフトで録音再生をする。
ほとんど一日中熱中する。
その影響もあったのかも知れない。体調までおかしくなってしまったようだ。

今古い機械は眠らせた。時に使うめどがついたので安心だ。

昼飯を食いに外出する。やはり一人前は食べきらない。
買い物もスーパーで済ませて帰る。お決まりのコースだが、食堂を出ると外が暑すぎる。

夕方そてつの葉を始末する。大きなゴミ袋にいっぱいある。
庭木も老人になると、だんだん厄介な代物と化する。自分の力で始末がつけにくくなるからである。
松などは毎年春になると嘆きの種である。今年は婿が来て1、2時間で片付けてくれた。いつもならシルバーにたのんだりするのだが。
つつじも大きくなり過ぎたから根こそぎ除去しろと家内が言う。近いうちに一つづつ片付けることになりそうだ。
人も木も老兵は消え去るのみか。

長寿には沢山の付録がついている。いざ死ぬる段になると始末に負えなくなる。どこの家庭でも起こりうる問題だろう。なって見なければ気がつかない。
90歳を超えてみて、もう体力がどうにもならないことにやっと気づいた。
気づかせてくれる人は誰もいなかった。

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2011年8月27日 (土)

果たして代わってよかったとなるのか?

朝からかんかん照り、猛暑再来である。
つつじの始末を涼しい間に済ますつもりだったが、とても日差しが強くて手を下す訳には参らない。

パソコンのdisplayの位置が前から少し気になっていたので調整する。
displayといっても、24インチのテレビである。本体がMac Miniだから本来displayはついていない。
私が勝手にデオデオに言いつけて接続させたのだが、これが大変だった。HDMI接続を指示したのだがどうしても駄目、結局4度目にテレビメーカーに問い合わせて相性がよくないということで、ふつうの接続になってしまった。
ところが最近ときどきHDMIにチャンネルを切り替えても、パソコン画面がシャーシャーと映し出されるのである。
出たり出なかったりだから頼りには出来ないが、不思議な気持ちである。

アップルというと日本では目の敵にされてるから仕方がないが、テレビメーカーまで非協力とは思わなかった。

そのアップル、ジョブスがとうとう病気で職を降りた。
私たち野次馬にはどうでもよいことだが、天下の形勢はさてどうなることやら。
アメリカ一辺倒の時代でもなくなりつつあるし。

ひょいと室温を見ると32度を超えている。下手をすると熱中症になるぞとあわてて下に降りる。
この温度になると扇風機は却って頭を暖める働きをするらしい。

クーラーで身体を冷やしてきてまたパソコンにかかる。

菅総理が退陣の演説をやっていた。なかなかの名演説だと思ったが、新聞テレビは相変わらず見下した論調を展開している。
おれならもっとうまくやれたのにと言わんばかりである。
ともあれ粘り腰はあっぱれだった。

さあ問題はこの後だ。誰が出て来ても今の政局うまく舵取りができるだろうか。
一枚も二枚も日本の真価を落とすことにならなければよいが。
もうアジアの盟主は中国に譲り渡している。インド、ロシア、アセアンの後塵を拝することにでもならないともかぎらない。

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2011年8月28日 (日)

落ち着かない入院の前日

今HDMIのチャンネルでこのパソコンをつかっているのだが、画面の文字がちょっと違うかなと思う以外に別に違和感はない。
本来こうして使える筈なのにどうして接続できなかったりするのだろう。
アップル機でHDMI端子を設けたのは始めての試みだから、そこら当たりに不完全な要素があったのかもしれない。
理屈通り行かないことはよく起きることである。

早朝から今日も好天気、気温25度の夜明け、日中はまた30度を超えるだろう。
明日の入院を控えてなんだか気ぜわしい。
今度は娘が居ないから電車で行かなくてはならない。車を病院の駐車場で寝かせることが出来ない規則だそうだ。
洗面器や屑篭まで提げて行くとなると、電車で行くのが気が引けるけど、仕方がないな。

タクシーを呼ぶ手があるが、後ろの上野さんがいるのに他を呼ぶのは悪いし、といって入院するからといっては、近所の手前おおげさになるし、痛し痒しである。
まあ行きは歩いて駅まで出るが、帰りはタクシーというのが一番良さそうだ。

例年なら秋風が吹いて、一番いい季節の筈だのに、蒸し暑いこと限りない。
台風も二つ並んでやってきている。
最悪の日になりそうである。

何もすることがない老人の日々である。
せいぜいこんな心配をするぐらいが適当な運動になるのかもしれない。

午前中それでも昨日のつつじの枝の始末をする。ゴミ袋につめられるように小さく切り分けるのである。
もちろん大したことではないのだが、それが結構老人には厄介な仕事になる。
汗びっしょりになって、すぐシャワーを浴びて今度は身体の始末。
ごろっとベッドに転がれば本日一巻の終わりになる。

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2011年8月31日 (水)

喜んでいいのか、悲しんでいいのか

朝8時15分から検診が始まる。あっという間に終わり退院を宣告される。次の検診日は9月5日である。
目薬を大量にもらう、せっせと毎日注さなければならない、
家内が10時頃に迎えに来てくれ、隣のスーパーで買い物をするのを待つ。

タクシーを拾うためうろうろする。大竹タクシーが大竹の患者を乗せて、病院の裏口に来たのを捕まえて、いざ乗ろうとした瞬間、何につまづいたかコンクリートの斜面に転んでしまう。
両腕に傷が出来出血が激しい。
そのまま病院に戻ろうかと思ったが、外来が多く待たされるので、家の近くのせいこう外科まで送ってもらうことにする。
毎日の通院の都合をとっさに考えたからである。

せいこうでは午までかかって治療をしてくれる。大きな傷が3カ所、打撲も3カ所。これは長くかかるぞうと言われる。
後頭部も打ったのだが、当たる瞬間頭をもちあげたので、こぶすら出来ていない、

眼の治療の終わりを祝っていっぱいやろうかと思っていたのにとんだ竹篦返しをくらってしまった。
世の中はそんなに甘くないぞと神の警告か。

眼は両方とも1.0といわれ、確かに良く見えるようになった。偉大な科学の力、全くすばらしい。
近くがよく見えることが、パソコンをやる身にはなによりも嬉しい。

前立腺がんの診察は担当医師が数値もだが、前立腺そのものが柔らかく、がんの出来ている兆候は全くないから安心しろという。
死ぬ様な病気では無いとのことだったが、喜んでいいのやら悲しんでいいのやら。

いろいろあるなあ。

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