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2011年7月23日 (土)

60歳代の仕事は楽しかった

朝の気温25度、ちょっと涼しいかな。
昨夜はなぜかよく眠れた。湿度が低く、比較的涼しかったせいかもしれない。
腰の調子は相変わらず良くない。このままだとどこにも行く事はできない。
もう旅行はお預けだな。戦場で敵に包囲網を狭められて動くに動けぬ状況に似ている。

昨日はクリーニング業をやったことを書いたが、今日は洗浄剤販売をした経験を語る事にしよう。
1980年に以前に勤めていた会社の大進産業の社長から、うちの会社へ戻って来て、もう一度手伝わんかと誘われ、家業は家内に任せ入社する。家業と行っても鍵の機械複製専業で、数店舗のコントロールだけである。余暇にもちろん私も見てやれた。

大進産業での仕事はボイラーやクーラーの水回りに溜まるスケールや錆、塵芥などの洗浄である。
季節仕事で春から秋に掛けての仕事が大半で、相手は大きな事業所ばかりである。
最初その洗浄剤メーカーに出張し1週間教育を受けてから始まった。この教育は全国から集まりかなり大掛かりのものだった。
仕事の内容は事務屋だった私の経験とは全く無関係な化学知識を駆使しなければ出来ないものだった。
早速高校用の化学参考書などを数冊買って来てそれを読む事から始めた。

昔旧制中学校の化学の時間を思い出し乍ら勉強した。
幸い戦後10年ばかり勤めた地元の農協に在職していたとき、職掌がら農薬などの取り扱いが頻繁で、その専門知識を必要とした。県の主催で、ある時講習会が行われ、1週間ばかり受講し、最終試験に合格して毒劇物取扱者試験に合格した。

この毒劇物取扱い資格が今度の仕事に役立った。洗浄剤には劇薬が沢山含まれていたし、管理の責任を監督官庁から追及されるもので、もちろん管理者が居なければ取り扱い不可能であった。

仕事の内容は面白かったなあ。地元のデパート、電力会社、或は商社などをいれたビルのクーラー設備の洗浄は楽しく、効果が目に見える作業であった。大きなガソリンスタンドなども遠方までも出かけたりした。
下関の水族館や山口仁保の電信基地の設備なども泊まりがけで出かけて指導した。随分大掛かりなものであった。

ただ体力のない私一人で20キロ入りの薬品を20個ぐらいビルの屋上まで運ばなければならない時などはさすがに参った。
エレベーターを利用しても最上階までしか上がらず、屋上へは階段を一段一段1個づつ運ばねばならなかった。
もちろん普段は助手か別に作業員がつくのだが、折悪しく誰もいないときもあって、責任者は私だから進行を中止する訳には行かない。

1987年にメーカーの営業体制が変更し、私個人への委託業務となった。
1989年もう体力に限界を感じ、作業を手伝ってくれてた原田氏に権利ごと委譲した。
季節仕事だし、注文仕事だから、まことに不安定な仕事で、営利事業とは言えない。
しかし仕事自体は特異な、喫緊ともいえるものである。
故障が排除された事業所の喜びは、医者が患者の病気を摘除したように、金銭を超えた嬉しいものであった。

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