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2011年6月19日 (日)

戦いの跡はもう夢の跡

朝6時気温20度、雨模様で霧深し。
昨夕哲郎君から礼状と、妹の葬式や法事の時の写真をDVDに収めて送ってくる。
すぐテレビに映してみる。礼状にあるように、iPhoneを操作している私の姿は、そのままSoftbankのコマーシャルに使えそうである。しかし私も年を取ったなあ。顔つきは昔ながらでよかったが。
発音語尾は正常ならず、映像の中で何を言ってるのかわからない。

ふだんから、家内もしばしば聞き直す。時に私の言葉を無視する。
言語機能もすっかり退化した。
家内とは以心伝心で通ずるからいいようなもんだが、他人とはもう意思疎通も無理だな。

ここ数日腰も曲げ辛くなった。どんどん坂道を下るように身体機能がどこもかしこも退化し始めた。歩けるのが不思議である。
ただ、杖がないと左右前後に身体が揺れるので、時に重心が外れてよろける。つかむものがないと転ぶことになる。
傾き始めると復元出来ない。
会津のガラス工場で転んだことを思い出す。あれあれと思う間に顔から転んでしまった。スローモーション映画を見るようだった。さっと身をかわすなんてとんでもない。不可能である。
あれ以来ずーっと気をつけている。

外はあいかわらずしとしとと降っている。
広島は梅雨前線の北の端だから、しとしとで済んでいるが、前線の真ん中が通る九州,四国は大変な豪雨となってるらしい。毎日毎日だからたまったものでは無い。同情するよ。
山の斜面なんかだったら、私みたいにのろのろと寝たり起きたりも出来ないだろう。
家を建てるときそこまで考えていたかどうか,もう何十年も前のことだから憶えていない。
ほんと運がよかったなあ。

昨日湘桂作戦という本を読了した。私が戦った戦場の一部が描写されている。といっても私の知らないうちに凄まじい戦が数多く夜昼なく、側で行われていたということである。
私はその戦場の跡を何も知らずに通り抜けたことになる。
ただおびただしい死骸と廃墟の中だから,どの程度の戦いだったか、それは想像出来ぬことではなかった。
特に衡陽,桂林はひどかった。

帰国してから,廃墟の岩国、広島、もう驚かなかった。
今は人一人死んでも大騒ぎする。変な時代である。いや私が変なのかもしれない。

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