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2011年6月13日 (月)

湖南進軍譜という歌

今朝6時雨は上がっているがベランダには水がたまっていてそこら中雨の跡が残っている。
昨日は九州が豪雨だったというから、まだまだ油断はならない。
気温20度とほとんど変わらない。
長女らは九州へ行くと言ってたが、雨にたたられて難儀したのではと気の毒である。たまの休みなのに神は無慈悲である。

私たちもここのところどこにも出かけられない。病気のせいが大きいが、なによりその気になれない。
雨にぶっつかることも多くて、旅行そのものが嫌になる。
6、70歳代が一番よかったなあ。
萩へ孫たちを連れて行ったのは、たまたまうまく行った方だったが。

湖南進軍譜という終戦直前頃戦地で流行った歌をいつかのブロッグでも書いて探しているのだが、今日もgoogle検索で探していたら、著者の名前の分からない同名の手記が見つかった。軍医さんの手記だが私の部隊とほぼ同じ道を同じ時期進軍したらしい。崇陽とか平江とか出てくる、第27師団とか第3師団とかいうのもなじみがある。
ただ湖南進軍譜という軍歌の内容が少し違う。私の知っているのは出だしが“ああ、大陸よ飛ぶ雲よ”というのだった。
"一草一木いたわり進む”という渡辺はま子の歌とは違う。
メロディーもCDで効いてみたがまるきり違っている。

レコード化されることなく廃れてしまったのだろう。
いい歌だったが残念である。

それにしてもこの湖南進軍譜という長文の手記は思い出楽しく読ませてもらった。
私は衡陽へは昭和20年1月1日到着したのだったが、白骨死体がごろごろしていて、その中でテントを張り、お雑煮を食べた。
4月になってもそのままだったとは、私も驚かざるを得ない。

私より1、2歳年下のようであるが、医者という天職を貫き通せたことは、私よりはましだなと羨ましい。
同じ衡陽では昨年亡くなった親友と同じ地で同じ正月を迎えながら、戦後にならなければそのことを知らなかった。
この手記を読むと、友軍の苦戦した状況がよく分かり、傷病兵を500名も廃屋に収容し乍ら治療にあたるなど、するものもせられるものも、この世の地獄を体験されたことだろう。
私は同じ湖南の長沙でやはり赤痢にやられた。がグアニジンで救われた。同じ時期だった。
軍医でも戦後までアミーバ赤痢の後遺症を引きずられたとか。
運命とはあくまでも皮肉である。

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