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2011年6月21日 (火)

全く無意義だった湘桂作戦

昨夜夕食に、冷蔵庫に残っていた葡萄酒を、丁度ワイングラスいっぱいあったのでそれを飲み干した。
ところが酔っぱらったね。想像以上にひどかったらしい。
途中で舞い上がり、身体の支えが利かなくなり、横になる場所求めて、応接間に置いてある予備のベッドに取りあえずもぐりこんだ。
そのまま寝込んでふと気づくと真夜中、悔やみの中を、窮屈な着の身着のままなので起き出て、2階の自分の部屋に戻り,寝間着に着替えて,寝直す。12時少し前だった。

前日気にしていた秋枝女史の対談は夜中にふと目覚めて、終わり近く残り10分ぐらいを聞くともなしに聞く。
話は森有禮初代文部大臣の女権拡張礼賛に終始したように思った。
森有禮とは英語を日本の国衙とすべきだと唱えた,明治の最初の文部大臣である。
昭和初期の国粋主義華やかな時代の教育を受けた私には敵に等しい人物であった。

そんな意味で私の記憶に残っている大臣で,後日誰かに暗殺されたはずである。
戦争中に帝国大学に学べた数少ない女秀才秋枝女史にとっては、ありがたい尊敬すべき人物だったのであろう。

起き上がったのはとうとう7時、食欲もない。

珍しく時々日ざしが届く。今日はいい日和だと家内が繰り返す。
風もなんとなくさわやかである。

湘桂作戦という本を読むと、私の部隊が祁陽付近でたむろしていた昭和20年8月15日前後は正にシ江作戦の大敗により、帰路を失う寸前だったことがわかる。
勇敢だった熊本の広部隊が軍のしんがりを務め、苦戦し乍らこれらの優勢な中国軍から守っていてくれたことを実感する。
山野にこだまする銃砲音を聞き乍ら、既に戦後の18、19日の街道突破であった。
私と同年齢の著者森金千秋のこの本を読むと、ありありと思い出が今更のように浮かび消えする。

私が遭遇した最後の戦い18日、南岳市の警備隊救援の市街戦はその余燼ともいえるものだったのだろう。

本書の末尾に記載してあるがごとく、敵空軍の跳梁により昼間の行動が100%出来なかった我々自動車部隊は,弾薬燃料はもとより食糧すら輸送不可能な状態で,日々の食糧を住民からの徴発に頼らねばならない正に盗賊集団といえる日本軍だった訳である。
どこに栄光ある皇軍が存在したと言えるだろう。

日々間断なく襲い来る敵機に逃げ場を求める場所すらなく、抵抗する手段をまるで持ち合わせない自動車部隊に,軍は一体なにをさせようとしたのであろうか。
本書の説くように全く無駄な作戦であったわけだ。日本の戦闘史上最大の作戦がこれだっというから情けない。

インパールもフィリッピンも沖縄も完璧に敗れた。
この戦線も二個師団壊滅の結果を生み乍らも、当初目標は成し遂げた。しかし本書の言うがごとく、何の意味もなかったと言われては,恨みのはけばはない。

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