« 国民が選択を間違うことだってある | トップページ | 消費税とうとう10% »

2011年6月30日 (木)

卒寿老人の夜の過ごし方

朝6時半、久しぶりに明るい日ざしが部屋にそそぎこむ。
ベランダに出れば、昨夜の蒸し暑さが嘘のように爽快である。寒暖計は25度をさして前日と変わりない。

昨日は昭和の歌をダビングし乍ら、6時間も聞くともなく聞いていると、若き日の思い出が映像とともに映し出されて、久しぶりにどっぷりとその中につかることができた。

うっとうしい日が続いたので、やっと6月が終わった感じである。
雨期の戦場に居たように、重苦しい穴蔵に潜んでいるような毎日だったあの頃がいやでも重なって思い出される。
死期を迎える今頃になって、しきりに痼疾のごとく頭の中を去来する。
3ヶ月も続いたあの長い雨期。大変な現象だったわけだ。

老人は熱中症に弱いとさかんにテレビなどでいわれる。家の中に居てもといわれると何か落ち着かない。
ここ数日立ちくらみがひどくて、どうさがますます鈍く重くなる。まさかこれが熱中症ではあるまいが、トイレに入る時など何かにつかまらないとダウンしそうで気味が悪い。

下痢症状は依然として続く。市販の薬を飲む。

玄関まで出る通路の境に植えている灌木の枝が徒長して邪魔になるので、電気鋸で刈り取る。30分ぐらいの労働だが、やっぱり疲れる。掃除は家内に任せて休憩だ。
近所の藤井さんは同い年なのに松の木に登って枝の剪定を今朝していたとか家内が言う。鍛錬の賜物だ、何もしない私と一緒にしてもらっては困る。

認知症というのは、なってる本人には判らないことだろうから、私など半分くらい認知症ではないかとときどきその自覚をする。
70数冊の藤沢周平の小説を枕元に置いてとっかえひっかえ読み乍ら寝ているのだが、ときどきその内容を全然憶えていないことに気づいたりする。その他の本を入れるともう百冊を超える。
家内はテレビを寝て見乍ら眠るのだが、私は本を読み乍ら眠る。
一種の催眠法である。深夜放送もそれこそ深夜に鳴り出すのだが、こちらは気づかないことがだんだん増えてくるようだ。
午前1時から5時まで自動的に毎晩鳴っている筈である。
最近は騒がしいのが多くなったような気がして、音を少ししぼったりしたものだから、よけいに気づかないのかも知れない。

漫然と生きてるしかないこの老人でも、結構工夫して生きている訳である。

ところで話が変わるが、先ほどある百貨店に行って来た。家内の用事に付き合わされた訳である。
最近は退屈な待ち時間をつぶすために必ずiPhoneをポケットに忍ばしている。
例によって録画してある国木田独歩の短編を読了したので、トップページに戻り、mapsアイコンをクリックしてみると。ちゃんと今居るのデパートの東隅の現在位置が表示されている。
なんでアと一瞬驚く。
なんだか薄気味悪い。

思い返してみると私のパソコンはこのiPhoneと同期させている。
だから、いつもパソコンでiPhoneの在処が判る仕組みになっている。
私の家には幼稚園児は居ないが、仮に居たとするとこのiphoneをくくり付けておくと、行方不明になることはない訳である。
こんな環境の中で今の若いものは生きているのである。現実に本人がドラエモンを演じている訳である。
まさに薄気味悪いではすまされない世の中。

|

« 国民が選択を間違うことだってある | トップページ | 消費税とうとう10% »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/52084033

この記事へのトラックバック一覧です: 卒寿老人の夜の過ごし方:

« 国民が選択を間違うことだってある | トップページ | 消費税とうとう10% »