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2011年6月 1日 (水)

iPhoneメールの着信音

まだ雨が続いている。梅雨だから仕方がない。
気温は18度だが、少し寒い感じ。
家内は病院や法事などで出歩くことが多いと、こぼす。

医者通いなんてそれ自体が嫌なものなのに、待ち時間が長いのに参る。眼科などは毎週だから家内もぶつぶつ言う訳である。
私は内科のとき2週間は早すぎると苦情を言って、4週間にさせたが、時には苦情を言ってみるものである。
様子によっては勝手に一月ぐらいサボルのもいいのではと思ったりする。
特に老人の病気なんてそんなに変わるものではなさそうだから。

台風一過しても雨雲は停滞して、去る気配は見えない。
幸いこちらの方は豪雨ということでもないので災害にはつながらないが、うっとうしさに変わりはなく、心の中は薄暗い。

最近乾癬が嵩じて耳の中までかさぶたが出来、痒いし耳垢というか耳くそというか指で掻くとぼろぼろと出てくる。
新陳代謝が激しい病気だというから仕方がないが、今までなかったことだけに病こうごうに入ったとしか言いようがない。

今朝早朝ハワイに出かける夢を見たが、もう昨年の奥州の桜見物以来宿泊を重ねての旅はない。旅心がうずき始めたか。
旅行社から送られてくる宣伝パンフレットは、たまる一方でなかなか神輿が上がらない。
家内の体調が良くないのが最大の原因であるが、私の老残さが拍車をかけているのも事実だ。
芭蕉さえ最後は夢で枯れ野をさまよった。

昼前雨は上がって幾分あたたくなる。日でもさしてくれば間違いないのだが、そこまでは行きそうにない。

思いがけないとき受信音がする。案外大きな音である。iphoneを取り上げてみると案の定アップルから宣伝のメールである。
2、3ヶ月前入ったちゅーぴーくらぶからはせっせとメールが届く。忙しいことである。それでも世の中に通じて息をしている私の存在を感ずることができるのは、ものは思い様かも知れない。

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2011年6月 2日 (木)

老耄のぼやき

朝5時目覚めてもう眠れない。起き上がってベランダに出る。雨が少しあったか濡れている。
空気がすがすがしい。気温も19度。ちょうどよい。

ポットで湧かしてお茶を飲む。
昨日の嘔吐はほんとになんだったのだろう。余韻みたいなものはなんにもない。
90年で一回も経験したことがないようなことってあるんだなあ。

春先まで鼻水がいつも出て、チッシュが沢山ゴミ箱にたまっていたが、最近は逆に鼻の穴が乾いてしかたがない。やっぱりチッシュを時に使わざるを得ない。起きだてがとくに。
なんでも経験し尽くすということはないものだ。

もちろん忘れる事も多いから、生涯勉強勉強ということか。

昨夜とうとう菅総理不信任案が国会に提出された。政治家なんてものはこの程度の頭しかないのだろうか。
国を代表している意識はないのであろうか。世界が日本を見下ろすことになることは間違いない。
誠に残念である。可決して誰を後任に据えるつもりだろう。
まず総選挙しなければならない。この大変な時期に。
自民が勝つとはいえないよ。
小沢が分裂して自民と組むなんて、汚らしくみっともない。そうなったらもう世も終わりだ。
国民がそれをゆるすか。そんなに国民は馬鹿か。

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老耄のぼやきーつづき

国民の目の前では馬鹿げた不信任案がまかり通る訳はなかった。単なる罹災民をないがしろにした党利党略ではないか。
自民党びいきの私でも腹が立つ。それに同調したいつもの小沢戦法も全く通じなかった。

総理の現在までの行動は、立派とは言えないかも知れないが、人間のやることだ、あれ以上には誰もできまい。
管総理は無私公平によくやった方だ。もし私が被害者ならありがた涙をこぼしたであろう。

戦争被害をいやという程経験した私には、震災直後からの官民挙げての救済策は手ぬるさがあったかも知れないが、一生懸命で大きな落ち度があったとは思われない。
不幸にして原発炉心そのものが地震に耐えられなかったし、大津波というダブルパンチにあった。誰も予測出来なった。
それを偶々当事者だった首相に責任を押し付けるのはやはりひどすぎる。
中途半端な根拠で原発を推進した、代々の政府や当事者の責任ではないのか。引いては国民自身の責任とも言えるのでは。

NHKは投票者の手許まで映し出して、黒白をはっきりさした。国民の選良である議員たちも自分の良心に反する行動はさすがにとれなかった。小沢の策略がいかに巧妙であっても、国民の目はごまかされない。
15名の造反者を率いて、国民の注視をさけ、選挙権を行使せず院外に去ってしまった。もっとも卑劣というべき行為である。

小沢の政治生命は尽きたと言ってよい。潔く退陣しなさい。
要らぬ節介だが老婆心からご忠告申し上げる。

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2011年6月 4日 (土)

妹の一周忌

妹の一周忌が多田のお寺で営まれる。
喪主の甥は横浜からのかよいで大変なことだ。
今の時代はこんなのがざらだのだろうが、不経済なことである。
滅多に顔を会わすことの無い親族が一同に会するというメリットはあるから、まんざら悪いことと決めつける訳にも行かない。

妹にしても不慮の事故で無理矢理にこの世からおさらばさせられたのだが、歳に不足はなかったからまあまあだが、私にとってはやはり不満が残る。一番の理解者だったし、何より若いのが先に行くというのは理不尽であった。
一年も経ってみると、常住声が掛からない、掛けられない日々がうとましい。

もともと兄妹というのは、特別な間柄である。幼い時からむつみ合い、ののしりあい、助け合った。
理解出来とるようでも性の違いはどうしようもなく、疎ましさが生まれ、時に喧嘩の種にもなった。最後にはやはりたより、たよられたものであった。分身という言葉がぴったりだった。
ちぎり取られた感覚が残っているのはそのせいだろう。

もうすぐ年上の私が後を追う。姿なき空間に声を掛けることにしようか。

11時から予定通り法要が始まる。
墓参も済まして、観光ホテルに移動し、昼の食事をいただく。
久しぶりの顔合わせだから、話ははずむ。
故人の思い出もじっくりかみしめる。

3時帰宅。案外疲れない。いくらか気力が回復したのかも知れない。

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2011年6月 5日 (日)

温灸は時間はかかるがよく効く療法だよ

今朝も20度と気温は変わらない。
少し右膝が痛む。
カープ8連敗。どうしたのか、こちらはいい天気にめぐまれて、元気が出たと思ったのに、気勢をそがないで欲しい。

家内は町内の溝掃除に出て行く。若い者が居ない町内だから80を越えたぐらいでは老人扱いはして貰えない。
私も10年前町内会長をやったぐらいだから。しかし90歳ではもう役に立たないな。
ぼけないでいるから、まだいい方だが、身体の機能の低下がもうどうにもならない。
伝え歩きの出来る室内はいいが、庭先に出るとやはり杖がないと身体の揺らぎがひどくて思う通りには歩いてくれない。思ってもみなかった現象である。

昨夜は中電のしつこい勧誘に負けて、光電話をNTTから変更することにしたのだが、聞けば聞く程手続きが面倒だ。
念のため、NTTに電話して、こんなことさしていいのかというと、ことさらに止めることは出来ない。要はお客様のお考え通りにしてくださいだが、そんなに安くはならないでしょうよと投げやりなお言葉である。
そのあげく、不審電話が昨今掛かって困っていたので、それも尋ねてみるとこんどはいやに丁寧に対応して調べてくれたり、対応の仕方を教えてくれたりする。

新聞なんかで中国あたりから妨害的な電話が入っているような報道があるので、それかもしれないが、情報社会というのはほんとに人騒がせな社会らしい。夜の目も落ち着いて眠れない。

政争というのも相変わらず困ったものだ。とうとう菅総理は8月に止めると発言して切りをつけらされた。
彼より立派な後継ぎがいるのだろうか。
私は誰がやっても変わらないと思っているし、誰がなっても、なったらその翌日から足を引っ張られるとこは目に見えている。
碌な仕事ができるわけがない。

午前中久しぶりに温灸を膝にやる。又膝がこれ以上悪くなっては困るので。

家内は老人会の総会に出かける。私は未だかって出席したことがない。出るつもりもない。畢竟横着なんだな。
家内は忠実だし、素直だし、義務感が旺盛だし、聖人みたいなもんだ。

ちゃんとお粥を作ってくれてるから、私は一向かまわない。

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2011年6月 7日 (火)

農村の鳥獣被害は自然の摂理

しとしとと朝から梅雨らしい雨。
気持ちまで暗くなって何をする気力も出ない。
膝の温灸もあまりの熱さに途中で根気がなくなって中止する。

長女のうちに家内と出かけて、帰路スーパーに立ち寄る。
買い物を済ませ近所で食事をして帰る。
漫然と一日が過ぎる。

新聞によれば、農村は過疎化の影響もあって、いのしし、さる、しかの被害が増大しているそうである。
人が去れば当然彼らが我がえさ場だとして、食えるものは皆おなかに収めるのが自然の成り行きである。
わずかに居残った住民のために区別してくれるわけはない。
おそらく人の少なかった時代に帰りつつあるということだろう。
栄枯盛衰は人ばかりの世のことだけではなさそうだ。

考えてみると、私が幼い頃(大正末期)は人口はうんと少なかった。野山がそこら中あった。当然鳥獣は跋扈していた。
狐や狸の類まで多かった。野犬も群れをなして居て、山里に入ると怖かった。親に手を引かれてでないと一人歩きなどできるものではなかった。
それが少年時代となると、無知で乱暴になり、こちらが群れをなして彼らの領分を侵した。手に手に棒や鎌などを持ち、恐ろしいものはいなかった。お互いの数と力がものをいった。こうして約一世紀が過ぎた。
絶滅したものも居たが、生き残って繁殖を再開したものもいたわけだ。

自然の摂理である。愚かしい鳥獣駆除などはしないほうがいいのでは、と思ったりするこの頃である。

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2011年6月 8日 (水)

クラウドという電波の雲

今朝は雨は上がっているが、庭木は濡れている。昨日から降り続いたのか。
前線が四国沖に張り付いているから、梅雨空はまだまだ続きそうである。
大雨になりさえしなければ、程よいあたたかさで、老人には過ごしよくて、もったいないくらいの陽気と言えよう。
夜もよく眠れて申し分ない。

議会は政党の大連立などと騒いでいるが、いざとなると指導権争いで決まりは付かない。
首相候補者に決め手がないし、荏苒日を空しゅうするばかりか。

菅首相が在位1年過ぎた、政権ぬすくりあいの結果生まれた内閣だけに、当分続くぞと私は当初予言したが、その通りになりそうである。後がまが何とも難しい。今までになかった現象である。

アップルが今秋からクラウドに参入すると発表した。音楽、電子書籍、写真、自分の書類などインターネットで共有出来るシステムである。その影響の広がりを私自身予測出来ないが、GoogleやAmazonが先行して、全世界網羅を図っている。
機器を揃えているアップルの追撃が見物である。
クラウドとはいみじくも付けられた名前である。
早速その恩恵をこうむりたいと思っている私の期待感はもちろん満を持している。

それにしてもインターネットの展開は凄いね。地球の空間いや宇宙の空間を飛び回る電波とは改めて何者かと不思議がる。
デジタルという符牒に乗って、今度はあらゆる情報まで管理する。
この”雲”には売り買いするボリュームがあるらしい。

私にはわけは分からないがただ追いかけるだけである。
もちろん追いつけようは無いが、あきらめずに。ちょっとでも利用出来たらそれでいい。
"head in the clouds"でいい。

私の思いが若し間違っているなら教えて欲しい。

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2011年6月10日 (金)

私の遺産

昨夜中電関係の光ファイバーの勧誘を受けたが、NTTやプロバイダーの関係もあってお断りする。
もう左顧右眄する年齢では無い。

昨夜仕上げたDVD各2枚を哲郎と陽子にそれぞれ宅急便で送っておく。
忙しいのに見る暇は無いよと家内は言うが、親子だから時には思い出すだろう、現実に行動している姿が写っているのだから、いっぺんでも見たら記憶に残る筈だと私は思う。
この私でも、親たちの生きてた姿を忘れたことはない。
二度と会うことはないと思えばやはり貴重な証拠品である。

昨日も沢山のビデオテープをゴミとして捨てた。生きていれば見たいものもあるだろうが、余命が乏しいとあれば、やはり他人には単なるゴミくずにしか過ぎない。後はどうなとと後継者に任すのも一手段だが、取りあえず受け取ることになる家内がいやがっているので仕方がない。

考えてみると人類の過去数千年、無数のその生き様を彩る資料が残された筈だが、時はそれらをゴミや灰として跡形もなく消滅さした。残された僅かの遺品や人骨などのたぐいが後世の人々の参考にされているに過ぎない。
途中に存在するものの意識と知恵が足りなかった。
そこえ行くと秦の始皇帝はやはりえらかったなあ。

人には無駄と思われるかも知れないが、私なりにそれが役立つかはいざしらず、日記、写真、ブログの類いは何らかの形で残しておきたい。人類の義務だと言う意識すらもって。

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2011年6月11日 (土)

梅雨と長雨

しとしとと今朝も雨、気温20度。沖縄は梅雨が上がったというが、こちらは真っ盛り、中休みもなくよく続くなあ。

梅雨というといつも思い出すのは1944年湖南省で出くわした長雨。まるまる3ヶ月(9月から11月いっぱい)続いたものだ。
道路が車の往来と工兵による修復とで、側の田んぼより道路が深くなり、全く川のような状態になってしまった。
泥濘を取り除くだけで、埋め戻す土がないのだからひどかった。
たまり水をはね飛ばし乍ら走る車の屋根は、側からも見えないくらいだった。

普段車がそんなに通ることのない道に、戦争とあって延べ何十万台もの車が昼夜の別なく走り続けたのだから、もうたまらない。こんどの地震みたいなもので道路に言わせれば考えたこともないと言っただろう。

道路の舗装ということはいつから始まった技術革新だろう。昔は石畳とかレンガの道などが特別なところに造られた。西洋では岩石が取りやすかったのか、道路と言わず建築物全体が石造文化である。
しかしセメントの発明により急速に応用範囲が広まった。凄い文化革命であった。

私の経験した昔の道路は戦争という特殊事情が招いた環境に偶々あったわけだが、当時は通れさえすれば山でも野でも河でも勿論関係なかった。能率的にも経済的にもまったく最低のものだった。

戦後約半世紀、日本国中舗装してない道路はもうないのでは。
自動車が招いた賜物だろう。
経済の面白さはこんなところにその心髄がある。

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2011年6月12日 (日)

私は乾癬、妻はリウマチ、長寿の秘訣か

今朝も雨、気温は21度と夏のそれ。出歩くことのない老人にはこれでよい。
最近乾癬がまたひどくなり、特に手足がかゆくてたまらない。風呂に入ってもこすると、ほろほろと皮膚のかけらが湯の中を浮遊して汚らしくてかなわない。
医者の呉れた薬はどれも効かない。とうとう数年前買って来て、ほったらがしていたムヒソフトという市販のかゆみ止めをぬる。べたべたするが多少かゆみが治まって眠れる。
 
やはり天候に関係があるのかもしれないな。

インターネットで検索してみても、最近は患者が増えたのか、項目が多くなり、薬も多くなり、治療法も多岐である。
昔アメリカの業者まで問い合わせて見たりしたが、1クール30万円ぐらい要求されて思いとどまったことがあった。医者に相談したら止めとけといわれたので。

もう発症してからぼつぼつ20年を超える。先日の新聞でリウマチともども最大の原因である自己免疫を抑制する新薬が出来たと発表されていた。ただし副作用として、外敵に侵入されやすくなり、他の病気になる恐れがあると書いてある。
90年も生きて来られたのはこの乾癬のおかげかもしれない。今更ばたばたしても始まらない訳だ。

カープはもう前途を見失った感じになってきたが、サンフレッチェは2位に浮上した。
郷土のスポーツ界を賑わしてくれてる両チームの存在はこの老人の生き甲斐である。
朝夕天の神に念じているよ。

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2011年6月13日 (月)

湖南進軍譜という歌

今朝6時雨は上がっているがベランダには水がたまっていてそこら中雨の跡が残っている。
昨日は九州が豪雨だったというから、まだまだ油断はならない。
気温20度とほとんど変わらない。
長女らは九州へ行くと言ってたが、雨にたたられて難儀したのではと気の毒である。たまの休みなのに神は無慈悲である。

私たちもここのところどこにも出かけられない。病気のせいが大きいが、なによりその気になれない。
雨にぶっつかることも多くて、旅行そのものが嫌になる。
6、70歳代が一番よかったなあ。
萩へ孫たちを連れて行ったのは、たまたまうまく行った方だったが。

湖南進軍譜という終戦直前頃戦地で流行った歌をいつかのブロッグでも書いて探しているのだが、今日もgoogle検索で探していたら、著者の名前の分からない同名の手記が見つかった。軍医さんの手記だが私の部隊とほぼ同じ道を同じ時期進軍したらしい。崇陽とか平江とか出てくる、第27師団とか第3師団とかいうのもなじみがある。
ただ湖南進軍譜という軍歌の内容が少し違う。私の知っているのは出だしが“ああ、大陸よ飛ぶ雲よ”というのだった。
"一草一木いたわり進む”という渡辺はま子の歌とは違う。
メロディーもCDで効いてみたがまるきり違っている。

レコード化されることなく廃れてしまったのだろう。
いい歌だったが残念である。

それにしてもこの湖南進軍譜という長文の手記は思い出楽しく読ませてもらった。
私は衡陽へは昭和20年1月1日到着したのだったが、白骨死体がごろごろしていて、その中でテントを張り、お雑煮を食べた。
4月になってもそのままだったとは、私も驚かざるを得ない。

私より1、2歳年下のようであるが、医者という天職を貫き通せたことは、私よりはましだなと羨ましい。
同じ衡陽では昨年亡くなった親友と同じ地で同じ正月を迎えながら、戦後にならなければそのことを知らなかった。
この手記を読むと、友軍の苦戦した状況がよく分かり、傷病兵を500名も廃屋に収容し乍ら治療にあたるなど、するものもせられるものも、この世の地獄を体験されたことだろう。
私は同じ湖南の長沙でやはり赤痢にやられた。がグアニジンで救われた。同じ時期だった。
軍医でも戦後までアミーバ赤痢の後遺症を引きずられたとか。
運命とはあくまでも皮肉である。

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2011年6月14日 (火)

菖蒲を見に行く

気温18度ちょい低いかな。朝霧が立ちこめて空模様までは判定出来ない。東の空もぽーっと明るいだけ。
ちょうど今6時半である。昨夜はどうしたことか、11時すぎ眠りに入ったままさっきまで全然目覚めなかった。深夜便の放送も気づかなかった。
昼も夜も暇さえあれば寝ている毎日、眠りは浅くてちょっとした音でもすぐ目覚めにつながるのだが、昨夜はどうしたことだろう。生涯の果ての気がして、ちょっと不気味である。

今朝のテレビによると、イタリアの国民投票で圧倒的多数で原発反対派が勝った。ただ国民の57%の投票結果だからそのまま鵜呑みは出来ないが、ともかくも原発廃止となることは間違いないだろう。ドイツも廃止を決めているし、同調する国は増えるだろう。福島原発事故の影響はさすがに大きい。

これで世界の進化が止まるのか,退化に向かうのか、いや関係ないことか、問題は浅くはなさそうだ。
恐るべきエネルギーだということは、私のような無知なものにもよくわかった。
何時の日か自在に操れる時代がくるだろうが、急ぐことはない。
私はそれでも人類の叡智を信じている。

家内の誘いで植物園に出かける。菖蒲を見ようと先日から話題にしていた。
小さな菖蒲園だがよく咲いていた。じっくり眺めて帰る。
華やかではないがいかにも落ち着いている。何となく武士の風格が感じられる。好きな花の一つと言ってよい。
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2011年6月15日 (水)

ありがたいお国、年金大国日本

朝6時起床、気温20度。朝霧相変わらず濃く、あれぼの見えず。
九州は大雨というから、好天気は期待出来そうには無い。
長女らは土砂降りの九州に行き会わせ,怖いくらいの思いをしたらしい。

3年前私も小郡で同窓会をやった日に、豪雨に出くわし,高速道上で立ち往生するなど、恐ろしい思いをしたことがある。
あの広い路上で立ち止まって、先の見えない後続車に追突されてはと、身の縮む思いをした。
何よりあの頑丈な重量級のトラックはこわい。少々の雨風はくそくらえだからなあ。

後で考えると前も後ろも見えないのは皆同じなんだが。

家内の御用で金融機関巡り。どこに行っても今日は凄いお客の群れ。どうしたんだろうと怪訝な顔の家内。
年金の支払日だから、待ちきれないでいるものが、いっせいにワッと押し寄せるのだよと私が言う。
私らをはじめ、これだけで生きているひとが、もう国民の何割にもなっている筈だから。

先般もなん%か減らすからと通知があった。天引きされる額も2割となり。市税の増加が著しい。
のほほんと生半可な気持ちで生きていてはいけないご時世である。
外国で暮らす方が得だと聞いたことがあるけど、この歳ではねえ。

しかし、ありがたい国だよ日本は。
地震があっても,台風が来ても、放っておかれることはないし、そう思わないかね皆さん。

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2011年6月16日 (木)

病院通い

朝5時半起床、広島総合病院に行く日だから,気になってもう寝ては居れない。
空を見ると一段と霧が濃い。私の目が霞んでいるのか,空が曇っているのか判らない。

インターネットで乾癬を検索してみると、最近は随分患者が増えているように記載している。
欧米化した食生活が原因だとも書いてある。
家内のリウマチも関節が腫れたりしてから始まったし、私の感染も手足の指の変形から始まった。
猛烈に痛かった。

同じものを食ってるのだから、その説にうなづけないこともない。
又ストレスが原因ともある。ストレスはもう人一倍あって、大変な一生だった。
これもお説の通りである。
生涯治らないとおっしゃる。やはりその通りになるらしい。

病院に出かけても仕方がないようなものだが、薬だけは貰わなければ痛かったり,痒かったり、これも苦痛なものだからやむを得ない。
ぼつぼつ6時だ、さて準備にかかるとするか。

かなりの雨が降り続く中、予定より少し早く病院に着く。
1時間近く待って診察、薬を少し変えてもらう。前回の血液検査は殆ど異常なし。腎臓の数値がやや高いが老人だから仕方がないと言われる。
雨のせいか外来は閑散としていた。

病院通いは私には一つの仕事だから,終わればほっと一息つける。生活の一区切りである。

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2011年6月17日 (金)

ゴミの町内清掃当番

今朝も目覚めは早い。6時半気温20度曇空。
雨は一応上がっているようだ。霧も昨日より薄い。
早々と中元をあちこちから頂く。ありがたいが老耄残念乍ら喜びの心は浮上しない。却って気遣いに心が重い。

なぜか昨日は下痢気味。

早々と床に就いたせいか、夜中何度も目覚めて,起き上がっては本を読む。
深夜便がうるさくスイッチを切る。最近ジャズなど音響の高いのが多くて聞き苦しい。
NHKは従来音響を夜間は押さえていたが,最近方針を変えたのか。

テレビにしろラジオにしろ、若者向けの騒がしく,早口の集団放送が多くて,老人にはまるで何を言ってるのか判らない放送が多い。ソロシンガーなどの、落ち着いた音色の放送が後を絶った気がする。
私のひが目か。
もっともはやばやとスイッチを切るから、実害はないが。

家内は掃除当番、箒を持ってゴミの収集場所で待っている。市役所に行かねばならないのにと私はイライラして外まででて見る。
律儀なことである。

昼の時間に市役所に行き印鑑証明をもらう。家内の母の貯金の相続が発生したという。
弟がわざわざ取りにくるという。ご苦労なことである。
ついでに映画の切符を購入して帰る

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2011年6月19日 (日)

戦いの跡はもう夢の跡

朝6時気温20度、雨模様で霧深し。
昨夕哲郎君から礼状と、妹の葬式や法事の時の写真をDVDに収めて送ってくる。
すぐテレビに映してみる。礼状にあるように、iPhoneを操作している私の姿は、そのままSoftbankのコマーシャルに使えそうである。しかし私も年を取ったなあ。顔つきは昔ながらでよかったが。
発音語尾は正常ならず、映像の中で何を言ってるのかわからない。

ふだんから、家内もしばしば聞き直す。時に私の言葉を無視する。
言語機能もすっかり退化した。
家内とは以心伝心で通ずるからいいようなもんだが、他人とはもう意思疎通も無理だな。

ここ数日腰も曲げ辛くなった。どんどん坂道を下るように身体機能がどこもかしこも退化し始めた。歩けるのが不思議である。
ただ、杖がないと左右前後に身体が揺れるので、時に重心が外れてよろける。つかむものがないと転ぶことになる。
傾き始めると復元出来ない。
会津のガラス工場で転んだことを思い出す。あれあれと思う間に顔から転んでしまった。スローモーション映画を見るようだった。さっと身をかわすなんてとんでもない。不可能である。
あれ以来ずーっと気をつけている。

外はあいかわらずしとしとと降っている。
広島は梅雨前線の北の端だから、しとしとで済んでいるが、前線の真ん中が通る九州,四国は大変な豪雨となってるらしい。毎日毎日だからたまったものでは無い。同情するよ。
山の斜面なんかだったら、私みたいにのろのろと寝たり起きたりも出来ないだろう。
家を建てるときそこまで考えていたかどうか,もう何十年も前のことだから憶えていない。
ほんと運がよかったなあ。

昨日湘桂作戦という本を読了した。私が戦った戦場の一部が描写されている。といっても私の知らないうちに凄まじい戦が数多く夜昼なく、側で行われていたということである。
私はその戦場の跡を何も知らずに通り抜けたことになる。
ただおびただしい死骸と廃墟の中だから,どの程度の戦いだったか、それは想像出来ぬことではなかった。
特に衡陽,桂林はひどかった。

帰国してから,廃墟の岩国、広島、もう驚かなかった。
今は人一人死んでも大騒ぎする。変な時代である。いや私が変なのかもしれない。

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2011年6月20日 (月)

男女教育の差別

今午前5時5分前である。深夜放送に目覚めさせられた。
先ほどまで福岡女子大学名誉教授秋枝麗子さんと紹介された,私より一つ歳下の90歳の東北帝国大学出身の女性の話が続いていた。
戦前女性が帝国大学に入学し卒業したという話は始めて聞いたので、驚いて目が覚めた訳だった。
男女共学は戦後の話だと思っていたが,戦争中に既に門戸が開かれていた訳だった。

もちろん知らなかった私こそ愚かなことであった。
男女共学は当然の話で私すらも遅過ぎたと思っていた。維新の後、岩倉使節団が欧米に向かった時すでに若い女子留学生を十名ばかり伴なっていた。
維新の志士たちはそこまでの見識を持っていたのであったが、国民の意識が伴わなかった。
戦後ようやくアメリカに習ってというより,アメリカに強要されたように男女の教育が同等化された。

戦前は兵役というのがあり、女子にこれを課する訳には行かない。これが男女差を造った最大の原因かとも思っていたが、軍隊がなくなり徴兵が必要なければ男女の差別は必要ない。
経過を見れば、そうとしか考えられない。

国民皆兵の国はまだ沢山あるが、男女平等はアラブなどを除いてもうほとんど国際化している。
知恵を絞って折り合いをつけてるようだ。
軍部の大臣まで女性がなってる国もあるやに聞く。
考え方によったらその方がいいのかもしれない。
一方女性の軍隊も現れているようだから、そうなれば差別する理由はほとんどない。ただ子供を産めと言われると困るが、育児はもう共同の義務化し始めている。

秋枝女子の対談の中に東京女子大学から、また東北帝大にと二度大学へ行かれましたのかと、質問していたが、大学と言っても女子大学は男子の高等学校か専門学校の過程であって、質問者の認識が足りないものであった。

彼女も先駆者の一人と言えようが,話を聞いているうちに、戦後教育の未熟さがなんとなく露呈されたような感じがして来た。
やはり戦争という事件はゆるがせにできない、それを風化させては困ることになるぞとの実感をひしひしと感じたものは私一人ではあるまい。
特に戦争原因の研究はずっとずっと深く,広く,長い期間に亘って解明されなければ、真の人類平和はあり得ないのではと私の考えは飛躍するばかりであった。

この対談の続きが明日の晩あるという。もう一度聞いてみたい。今6時8分前である。切りがいい。
明日に私も続けるとしよう。

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2011年6月21日 (火)

全く無意義だった湘桂作戦

昨夜夕食に、冷蔵庫に残っていた葡萄酒を、丁度ワイングラスいっぱいあったのでそれを飲み干した。
ところが酔っぱらったね。想像以上にひどかったらしい。
途中で舞い上がり、身体の支えが利かなくなり、横になる場所求めて、応接間に置いてある予備のベッドに取りあえずもぐりこんだ。
そのまま寝込んでふと気づくと真夜中、悔やみの中を、窮屈な着の身着のままなので起き出て、2階の自分の部屋に戻り,寝間着に着替えて,寝直す。12時少し前だった。

前日気にしていた秋枝女史の対談は夜中にふと目覚めて、終わり近く残り10分ぐらいを聞くともなしに聞く。
話は森有禮初代文部大臣の女権拡張礼賛に終始したように思った。
森有禮とは英語を日本の国衙とすべきだと唱えた,明治の最初の文部大臣である。
昭和初期の国粋主義華やかな時代の教育を受けた私には敵に等しい人物であった。

そんな意味で私の記憶に残っている大臣で,後日誰かに暗殺されたはずである。
戦争中に帝国大学に学べた数少ない女秀才秋枝女史にとっては、ありがたい尊敬すべき人物だったのであろう。

起き上がったのはとうとう7時、食欲もない。

珍しく時々日ざしが届く。今日はいい日和だと家内が繰り返す。
風もなんとなくさわやかである。

湘桂作戦という本を読むと、私の部隊が祁陽付近でたむろしていた昭和20年8月15日前後は正にシ江作戦の大敗により、帰路を失う寸前だったことがわかる。
勇敢だった熊本の広部隊が軍のしんがりを務め、苦戦し乍らこれらの優勢な中国軍から守っていてくれたことを実感する。
山野にこだまする銃砲音を聞き乍ら、既に戦後の18、19日の街道突破であった。
私と同年齢の著者森金千秋のこの本を読むと、ありありと思い出が今更のように浮かび消えする。

私が遭遇した最後の戦い18日、南岳市の警備隊救援の市街戦はその余燼ともいえるものだったのだろう。

本書の末尾に記載してあるがごとく、敵空軍の跳梁により昼間の行動が100%出来なかった我々自動車部隊は,弾薬燃料はもとより食糧すら輸送不可能な状態で,日々の食糧を住民からの徴発に頼らねばならない正に盗賊集団といえる日本軍だった訳である。
どこに栄光ある皇軍が存在したと言えるだろう。

日々間断なく襲い来る敵機に逃げ場を求める場所すらなく、抵抗する手段をまるで持ち合わせない自動車部隊に,軍は一体なにをさせようとしたのであろうか。
本書の説くように全く無駄な作戦であったわけだ。日本の戦闘史上最大の作戦がこれだっというから情けない。

インパールもフィリッピンも沖縄も完璧に敗れた。
この戦線も二個師団壊滅の結果を生み乍らも、当初目標は成し遂げた。しかし本書の言うがごとく、何の意味もなかったと言われては,恨みのはけばはない。

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2011年6月23日 (木)

総理では無い、国民自身の復興意欲だ

蒸し暑い夜が続いている。今朝の気温は24度,台風もフィリッピン付近に発生しているという。
早朝6時過ぎ岩手沖に又大地震、津波警報出る。
天災大国日本とも言えそうだ。

マグニチュード9は既に起きた。マグニチュード10、11が起きないという保証はない。
対策に取り過ぎはない。人事を尽くして天命を待てということである。

管総理は国民総スカンの中を粘り強くこの国難をなんとかしのいでいる。
彼に変わるものは今いないといっていい。なんとか復興まで持って行って欲しい。
総理は不人気ぐらいでないと,世の中を変えることは出来ない。古今その例は枚挙出来ないくらいだ。
死力を尽くして頑張れ!

一時的に天災に打ちひしがれてはいるが、住民は皆立ち上がる自力まで失っては居ない。
その力を信じよう。
あの大戦争で全国くまなく破壊尽くされた中を、国民は年余を待たず復興を成し遂げたではないか。
今回は一地方だけである。全国民が失意に落ち入る必要は毫もない。
総理の無能を言う前に、自身の意欲を奮い立たせて欲しい。

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2011年6月24日 (金)

うたかたの日々

昨日と変わらない天気模様。
午前中予約券を買っていたので、家内と一緒にさくらぴあに映画「武士の家計簿」を見に行った。
大変面白かった。
家計簿なんていう題目だから、気乗りはしなかったのだが、早くから家内が気に留めて言ってたので見に行くかということになった。
字幕が誠に丁寧で老人には判りすぎるくらいで、ありがたかった。
題材も結構面白い。周平物を読むように下級武士の貧に苦しみ乍らも、武士の節操を保って行く努力をする。
この時代のこっけいさが大まじめにとらえられているだけに落語を鑑賞するような面白さがあった。

昼を大分過ぎて帰宅する。午後岩国の義弟が野菜など沢山持参してくれる。
先年亡くなった母の貯金通帳が出て来たので、引き出すのに相続人の実印が要るというのが主目的だった。
相続人が子が死んでいると孫の判まで要るとは驚いたね。

義弟の話では昨夜義理の兄に当たる今井さんが亡くなられて今から帰ったら悔やみに出かけるなどと言っていた。
先日も娘婿のおじいさんが亡くなっている。引き続き忙しいことである。

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2011年6月25日 (土)

情愛に包まれし一日

雲は少なくないがそれでも日ざしが強くてまぎれもない夏の日である。
昼近く気温が上がってくるともういけない。怪力に捩じ伏せられたように、息絶え絶えにベッドに倒れ込む以外にない。
なんでこんなに弱々しい身体になってしまったのだろう。

一日中寝たり起きたり、食べる量も減少し、力のなくなる努力を重ねた結果だからしかたがないことはよくわかるのだが。
見かけだけではやはり駄目か。

昼を過ぎるともう耐えられない暑さ、扇風機2台で吹き捲くる中に身を置く始末。
家内はクーラーをつけて寝そべる。
二重生活の無駄は申し訳ないがしかたがない。私はクーラーの冷たさが苦手である。
どちらかというと熱いままの方がよい。ただ風は強いほどいい。

昨日見た「武士の家計簿」という映画の主人公猪山直之,成之親子の史実が確かな物であればやはり凄いとしか言いようがない。
あそこまで徹底するということができるのであろうか。
成之が死んだのが、私が生まれた年の大正9年という字幕が出た。
家計簿も残され、本人も存在していたとあれば、間違いないだろう。
強く印象に残る良い映画を作ってくれたものである。観衆の中から度々笑い声が聞こえたが、この老耄はとても笑う気にはなれなかった。むしろ時に涙さえにじんで来た。

昨日午後沢山の野菜を持て来てくれた義弟は家内と9つ違いの弟であるがやはり老人には違いない。
何もできない私たちを哀れんでわざわざ遠路を顧みず届けてくれたのである。
妹たちにも土地を分ち与えて野菜などを作らせている。
この心の優しさはなんといったらよいだろう。
兄弟喧嘩とか、内輪もめとかよく聞く人間世界をよそ目に、この義弟のいつも変わらぬ情愛は特別のものといっただけではすまされない。

私の兄弟姉妹には離婚騒動なんか無縁のものである。先祖からのしつけの伝統とでもいうのだろうか。
武士の家計簿をみてすぐ直後に我が家にもその恩恵がとどく。ありがたい一日だった。

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2011年6月26日 (日)

知恵をしぼれ

前線が北上したり、又南下したり、そこへ台風5号が割り込んで来て、天気はよくなるわけはないようだ。
昨日は広島は34度だったという。
息絶え絶えと言ったがあながち誇張でもなさそうだった。
これではやはり持ちそうにないなと天命下るを待つ意を強くする。

北海道の人から、私のブログに何度かコメントを頂いている。電波時代なるかなである。
この地は90年の長い生涯で4度しか足を踏み入れたことはない。

1961年9月友達の招請で札幌を訪れ、1週間、彼の自動車とおごりで付近を観光して回った。
登別温泉に泊まって、たまたま今朝HHKが放送していた昭和新山にも登った。石がゴロゴロしていて、頂上までは無理だったが、あちこち煙が吹いて、地温も暖かく不気味な山だった。当時は観光客なんてものは居なかった。
道路は立派だったが車は殆ど走っておらず、私も彼と代わって運転したりした。
彼と同じ自動車部隊にいたから、お互い山野を掛け巡った仲で、相手の技倆は始めから知っていた。

昭和新山はある人の農場が突然隆起して噴火したものだったとか。
その農家の人が小屋を建てて山裾に住み、飲料水など売っておられたと思う。噴火の状況など聞いたと思うが、今はすっかり忘れてしまった。噴火から15、6年経ってたかな、まことに荒涼たる不思議な世界だった。

洞爺湖の島にも渡ったし、湖畔の温泉宿にも泊まった。支笏湖では湖畔の露天風呂に入った写真が今も残っている。
友人のおかげで失意から生き返ったが、人生のどん底に喘いでいた時代だった。

今度の大津波でも判るように、人智なんて知れたものである。上から下まで慌てふためくばかりである。
おごるなかれ、人間どもよ!


何事も経験した人は忘れはしないだろうが、経験することのない新しい時代に生きる人に同じ考えを抱かせることは、所詮不可能なことである。戦争にしろ、原爆にしろ、記憶が希薄になるのは仕方がない。
しかし「武士の家計簿」のように映像で思い起こさせることは、確かな一歩である。
折角ある知恵だから、しぼってみる価値はありそうだ。

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2011年6月27日 (月)

又藤沢周平小説の映画化

雨が降り続いている。夜中台風が吹き荒れて、度々大きな音に目を覚まされた。寝不足気味である。
庭は案の定小枝や葉がちぎられ散らばっている。気温は23度と昨日より2度低い。
台風も北朝鮮に去って、夜明けにはもう余波もなくなった。
小雨はやむ気配なく続いている。

先日書いたブログで名前を書き違ったようだ。
福岡女子大学秋枝教授のお名前を麗子と書いたが、蕭子がほんとうらしい。ラジオ深夜便6月号143ページの「明日へのことば」欄に記載されている。
プログラムの名前を水晶体の濁ったはっきりみえない眼で感で読んで、ありそうな名前にしたのが間違いのもとだが、仔細に見ると違っていることに気づいた。
いやしくも有名な方らしいご尊名を粗末にしてはいけないので、改めてお詫びし訂正させていただきます。
同い年で老体ままならぬことを、理解していただけるかとも思いながらお許しを乞う次第です。
それにしてもこのブログのアクセスの多いことに驚いています。

朝食のとき家内が藤沢周平のなんとか言う映画が来るから見に行こうという。
何とかでは判らんというと、昨日の新聞を引き出して来てみせる。
「小川の辺」という。憶えがないなあ。細かく見ると文庫集「闇の穴」よりとある。
これなら知ってる、何編かある闇という字のの付いた小説集の一つである。

闇と言うぐらいだから、心が暗くなるような話ばかりである。
闇の穴の短編小川の辺はすぐ見つかった。さらさらと10分ぐらいで読み直す。
家内に読んでみろと本を渡す。
武士の一分やその他の映画にしろ、脚色されるから、小説通りには進まない。
映画を見てみないと何とも言えない。映画になりそうな題材ではあるが。藤沢小説の特色女剣士の登場がいろどりを添えていそうである。

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2011年6月28日 (火)

国民が選択を間違うことだってある

雨はやんだか、あさもやがたれ込めて、天候の推移はなんともはかり知れない。
朝7時気温は25度。日ざしはほとんどない。

午前10時灰色の雲が空を覆って、日ざしは僅かである。

管総理は39歳の若手衆議院議員の細野豪志を原発事故担当大臣に起用した。専任を置かなければどうにもならないということなのだろう。国民もこんなに大騒ぎしているのだから仕方がないと納得するだろう。
遅い早いはない。進展がないのだから仕方がない。
おおものを言い垂れ流す亀井議員を引っ張り込んだり、自民党からも引き抜いて内閣に参加させた。管総理もなかなかやるではないか。自民党は総裁以下かんかんに怒っているがどうしようもない。さっさと離党までして参加したのだからよほどやる気があるのだろう。

まあいろいろ居るのだからいいことだ。

私らが若い時にも軍部独裁に近かった国会でどうどうと軍部を批判演説した議員が何人もいた。それでも蟷螂の斧に終わったが。
国民が馬鹿だったのだから仕方がない。
新聞でも国民でもいつも正しいことを言ったり思ったりしているのでないことは歴史が証明している。

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2011年6月30日 (木)

卒寿老人の夜の過ごし方

朝6時半、久しぶりに明るい日ざしが部屋にそそぎこむ。
ベランダに出れば、昨夜の蒸し暑さが嘘のように爽快である。寒暖計は25度をさして前日と変わりない。

昨日は昭和の歌をダビングし乍ら、6時間も聞くともなく聞いていると、若き日の思い出が映像とともに映し出されて、久しぶりにどっぷりとその中につかることができた。

うっとうしい日が続いたので、やっと6月が終わった感じである。
雨期の戦場に居たように、重苦しい穴蔵に潜んでいるような毎日だったあの頃がいやでも重なって思い出される。
死期を迎える今頃になって、しきりに痼疾のごとく頭の中を去来する。
3ヶ月も続いたあの長い雨期。大変な現象だったわけだ。

老人は熱中症に弱いとさかんにテレビなどでいわれる。家の中に居てもといわれると何か落ち着かない。
ここ数日立ちくらみがひどくて、どうさがますます鈍く重くなる。まさかこれが熱中症ではあるまいが、トイレに入る時など何かにつかまらないとダウンしそうで気味が悪い。

下痢症状は依然として続く。市販の薬を飲む。

玄関まで出る通路の境に植えている灌木の枝が徒長して邪魔になるので、電気鋸で刈り取る。30分ぐらいの労働だが、やっぱり疲れる。掃除は家内に任せて休憩だ。
近所の藤井さんは同い年なのに松の木に登って枝の剪定を今朝していたとか家内が言う。鍛錬の賜物だ、何もしない私と一緒にしてもらっては困る。

認知症というのは、なってる本人には判らないことだろうから、私など半分くらい認知症ではないかとときどきその自覚をする。
70数冊の藤沢周平の小説を枕元に置いてとっかえひっかえ読み乍ら寝ているのだが、ときどきその内容を全然憶えていないことに気づいたりする。その他の本を入れるともう百冊を超える。
家内はテレビを寝て見乍ら眠るのだが、私は本を読み乍ら眠る。
一種の催眠法である。深夜放送もそれこそ深夜に鳴り出すのだが、こちらは気づかないことがだんだん増えてくるようだ。
午前1時から5時まで自動的に毎晩鳴っている筈である。
最近は騒がしいのが多くなったような気がして、音を少ししぼったりしたものだから、よけいに気づかないのかも知れない。

漫然と生きてるしかないこの老人でも、結構工夫して生きている訳である。

ところで話が変わるが、先ほどある百貨店に行って来た。家内の用事に付き合わされた訳である。
最近は退屈な待ち時間をつぶすために必ずiPhoneをポケットに忍ばしている。
例によって録画してある国木田独歩の短編を読了したので、トップページに戻り、mapsアイコンをクリックしてみると。ちゃんと今居るのデパートの東隅の現在位置が表示されている。
なんでアと一瞬驚く。
なんだか薄気味悪い。

思い返してみると私のパソコンはこのiPhoneと同期させている。
だから、いつもパソコンでiPhoneの在処が判る仕組みになっている。
私の家には幼稚園児は居ないが、仮に居たとするとこのiphoneをくくり付けておくと、行方不明になることはない訳である。
こんな環境の中で今の若いものは生きているのである。現実に本人がドラエモンを演じている訳である。
まさに薄気味悪いではすまされない世の中。

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