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2011年5月24日 (火)

桂太郎を今読んでえにしを憶う

昨日手許に届いた「山河ありき」は夜には読了した。
著者の視点、書きぶりが私の嗜好に合うのか、読みよい。
日露戦争当時まだ新進気鋭だった桂太郎という総理が日本をリードし、国難を救ったということは知ってたが、陸海軍の奮戦に気を奪われて、政治の視点からなど考え及ばなかったので、総理のことなど気にもかけたことはなかった。

著者古川薫の幕末明治にかけての造詣の深さをその著書を通じて知るに及び、ついでにと手にした本だったが、思いのほか面白く、しかも妙なえにしを感ずることになろうとは思いもしなかった。

私の家から直線距離にして五百メートルもあろうか、桂公園という小山が見える。春になるといつも桜の花に覆われる。
元桜尾という毛利、陶の厳島合戦当時の著名な拠点になった砦跡である。
城主は桂元澄で毛利氏の股肱の臣であった。岩国まで来た陶晴賢を調略してその二万の大群を厳島に渡らしめ、毛利の夜襲を助けて一挙に葬り去った有名な勝ち戦を演じた張本人である。
桂太郎はこの元澄の五男の子孫ということのようである。
総理になって故郷に錦を飾ったとき、ここ廿日市に立ち寄り、この桜尾城趾を買い取り公園として廿日市町に寄贈したとある。
この本の巻末にちゃんと書いてある。桜尾城趾については勿論よく知ってはいたが、そんないわくがあるとまでは知らなかった。
どおりで現在桂公園という訳であった。

しかもこの総理の墓が東京世田谷の吉田松陰の墓のある松陰神社に隣接してあるとは知らなかった。松陰神社には陸軍自動車学校在学当時以後何度かもうでたのに、ついぞ気づくことはなかった。
同じ本の巻末には井伊直弼の墓も隣接してあるとか、これはよけいなことだが。

今度の大戦の時と違い、この総理を始め伊藤、大山、児玉など戦争を始める前から如何にして戦争を終わらせるか心を砕いていたかがよくわかる。彼らはこの国を潰してはならぬと誠に真剣だった。今度の大戦の指導者たちとはまるで心がけが違っていた。
敵を知り、己を知ることが戦争の要諦である。勉強の仕方も違っていた。神風など心の隅にもなかったようである。

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