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2011年4月 9日 (土)

再び第6号潜水艇のこと

気温13度と今朝も暖かい。冬のままの衣装では少し身体がほてる。といって簡単には脱がれない、老人にはそこらあたりの順応が出来にくい。

東北地方は大きな余震が連続して起き、7日夜には津波警報がでるなど引き続き被害が増大している。
各地の原発にも停電事故が頻発し、不安心理を煽っている。
火力発電5基も停止しているとか。
海の底が24mもずっている等と聞くと、素人の私でも背筋が寒くなる。
このまま半年一年と地殻変動が続くのではないだろうか。
日本沈没は単なる空想小説であって欲しいのだが。

朝食のとき家内が、そこらあたりの桜を見に行かないかと言う。どうもそんな気になれない私。
今日は土曜日だからなあと答を濁す。

家内の花見は友達の一人富田さんが岩国沖で沈んだ第6号潜水艇の記念日で、接待の手伝いがあるので欠席すると言ってくる。
以前から世話役をしていたのだそうだ。私も艇の副長だった長谷川中尉の甥にあたる長谷川さんが学校、会社の先輩としてお世話になった方だけに、不思議な縁につながれて、亡くなるまでは何かと戦後も交流が続いていた。

ハワイ沖海戦で有名な特殊潜航艇の2、3倍くらいの大きさの、日本海軍初期の潜水艇で、岩国沖で潜水訓練中事故で沈没したのだが、佐久間艇長以下14名が整然と持ち場に着いたまま殉職していたし、佐久間太尉の国を憂いての遺書によって、世界中に日本海軍の名を高からしめたことが未だに語り継がれている有名な話である。

戦後所在が分からなくなって、長谷川さんと二人で呉市内を尋ね歩いたことがあったが、現在は江田島の第一術科学校の庭に置かれてある。戦前吉浦にあった海軍潜水学校に置かれていた当時、艇の中に入って見学したことがある。

また敗戦時進駐軍に接収され解体までされたのに、どさくさをくぐり抜けて、歴史的遺産としてよくぞ現在まで無事存続されたものだと喜んでいる一人である。
あの事故のあった1910年から百年を越えた。特に岩国市民には忘れることが出来ない事故として、呉とともに毎年記念行事を行うなど、いつまでも伝えられることだろう。

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