« 前立腺がんで死ねるのか | トップページ | 老人家庭の一日 »

2011年4月25日 (月)

老醜無残の身にも一毫の光あり

もう引き返すべくも無い春の気候。12度を少し超えている。
春眠暁を覚えずでもないが、心地よさにつられてなかなか起きられぬ。
天気がよければ東の窓から,日光が部屋の端まで射し込んでくる。それでもなかなか起きられぬ。
しかし老いの身は夜中寒さに耐えられず、置き出して着足したりする。
これが老いるということなのだ。

漢和辞典を見ると、部首の項目にちゃんと老の部がある。70歳以上の人を老と呼ぶとある。
60歳以上は耆(き)と呼び、80歳以上は耋(てつ)と呼ぶとある。
”おいぼれ”の耄(ぼう)の字は70歳または80歳以上をいい、老と併せて呼称する。
90歳以上はどこを探しても字が見当たらない。字が無いことはあるまいから、本場中国に聞いてみなければ分からない。
私がよく使う”老残”はこれまたどこにも見当たらない。老醜無残のことだが、だれか文筆の大家が使っていたのを覚えていて私も使っているのだが、どうやら日本独自の新造語であるらしい。

誰しもいつかは老いる。自分の事だから知っておいても無駄ではあるまい。
(お断りーうっかりこともなげに漢和辞典を引用してしまったが、私の辞書は大正15年発行の服部宇之吉、小柳司気太共著東京富山房のもので、昭和7年改訂増補版で、小学校卒業時賞としていただいたものである。書名は詳解漢和大字典という。1932年版だから古過ぎたのかも知れない。これしか私は持っていないので仕方がない。5月5日改めて一応お断りしておく)

家内も最近は日記をつけ始めている。家内は記憶力が私より数段上だから、昔の事をよく憶えている。もったいないから日記につけておけと、再三忠告していたら最近になってようやくその気になったらしい。
記入する欄が小さいから、あった事だけを書き付けるだけにするという。
それはダメだ。思った事を書いたり、批判をしたり、が日記の役目だとすこし論争になる。
ともあれ書かないよりはましだろう。
書き忘れて3日に一度ぐらいになるというが、これは仕方が無い。何もない日もあるし、習慣にならなければ、忘れずにという事は誰しも出来る事ではない。

私らが結婚して既に60年を過ぎている。あまり喧嘩もせず、事業倒産とか、他人に騙されて破産したり、そのため4度も転居の憂き目にあったり、波乱多き人生だったが、いつも励まし慰め付いて来てくれた。
今日こうして気ままに幸せに暮らしているのは、全く家内のおかげであるといって過言ではない。
てれる歳でもないので、敢えて公言しておこう。

|

« 前立腺がんで死ねるのか | トップページ | 老人家庭の一日 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/51489181

この記事へのトラックバック一覧です: 老醜無残の身にも一毫の光あり:

« 前立腺がんで死ねるのか | トップページ | 老人家庭の一日 »