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2011年2月 9日 (水)

親友Z君の手紙

今朝は気温6度と突然の高まりに驚く。
宮島やっと容姿をあらわす。霞もほとんどなくなった。

平成19年の同窓会に幹事を勤め、案内状を会員に送った時の、欠席理由書の中で、Z君は彼の戦時戦後の経歴書を送って来た。
大変面白かったのでいつまでも忘れられない。
ひょうひょうとした学生時代から変わらない彼の生き様がそのまま出ていて懐かしい。
今度東京へ行く機会があったら是非一度会いたいものだ。
同窓会は去年で打ち切ったので、会として会うことはもうできない。
   ___________________
平成19年3月23日の彼の手紙から
「1、記憶力
    貴兄>小生(脱帽)
 2、事実証明書
   臨時混成第3大隊ー昭和21年2月1日発行
   陸軍中尉 Z
昭和17年招集
昭和18年10月22日 門司港出港
昭和18年11月11日 昭南到着
発病 馬来ジョホール州ジュマウ マラリア三日熱
日時 昭和20年10月20日
 3、貴兄のおっしゃる通り18年に松山にいました。
 ー福山ー熊本ー福山ー松山ー松江ー門司
超老年の貴兄の細字のタイプ大したものですネ
満洲、中支でのご苦労、大東亜戦争は無茶でしたよネ
東條英樹は「大東亜戦争は五大共栄圏をつくるにあり」と叫んでいましたよネ
小生この共栄圏に協力しました
シンガポール 支那人
ジャカルタ 白人(オランダ)未亡人(将校用) インドネシア人
マカッサル 日本人  朝鮮人
セラム、アンポン インドネシア人 黒人(パプア)
賞味 皆同じ(黒人良し)
  「あッDo」 万国共通
最近慰安婦問題が話題になっていますが、軍隊にとっては「必要悪」でした
折角ですが、広島行きはヒザ痛のため遠出無理
横山さんによろしく言ってください
流れ川か八丁堀かでご馳走になりました

貴兄の記憶力にはホトホト感心しました
ボケは小生の方が早いと思います
人名忘れる 
悪筆昔から 判読ください
(小生の弟、中支で戦死)

添付別紙(彼が別のところで寄稿した随筆から)
私は運命論者である。以下の戦歴がそのことを決定づけている。
昭和15年徴兵検査、第3乙種であった。
昭和17年2月15日シンガポールが陥落、その日赤紙ー福山第61部隊に入隊ー全裸で並び、聴診器、陰茎しぼり(性病の有無)、肛門のぞき等の検査の結果、(因みに小生小学生時代に肺浸潤の既往症があるためか?)軍医曰く「帰るかどうか?」小生あくまで「やります」の意思表示で、即日帰郷を免れて入隊する。
もし兵役免除されていたら、原爆でどうなっていたか?(幸運の1)

赤飯(高梁飯)、尾頭付(イワシ)で歓迎されるも、翌日から初年兵教育で連日ビンタで鍛えられる。数ヶ月後「甲種幹部候補生」に合格し、熊本予備士官学校へと進む。
ビンタはないものの初年兵時代以上に鍛えられる。(成績不良)
半年後見習士官として帰隊、その後松山連隊へ転属(休日は道後温泉)、数ヶ月後松江連隊へ(休日は宍道湖でうなぎとり)
ある日隊長に呼ばれ「ジャワ方面軍へゆけ、実は他の人が行く筈であったが、地元有力者からの働きかけがあり、お前に代わってもらう」とのこと、後日聞いたことであるが、半年後松江
全部隊は満州へ行くべく、途中支那海で撃沈され生存者少なしとのこと。(幸運の2)

18年門司港を出発、(船団7隻、護衛駆逐艦2隻)勿論ジグザグコースで南下、支那海で魚雷攻撃を受けるも前船無事、マニラ港へ待避、(幸運の3)2日後出発シンガポールに上陸,約1ヶ月船便を待つ。
ジャワ島南岸で対豪上陸防御陣地構築作業に専念、少尉に任官、2ヶ月後西部第116野戦飛行場設定隊へ配属、実のところ某中尉に行くようにいったのだが、頑としてNo,申し訳ないがお前がかわりだと。
2千トンと2百トンの輸送船2隻に分譲して出発、私は小さいオランダの拿捕船に乗る。大きい方は間もなく撃沈され、小さい方は暴風に苦しみながら寄港を繰り返し、42日後やっとアンポンに到着した。(幸運の4)
寄港各地での華僑の進出に驚いた。

19年半ば転進作戦、シンガポール防衛の混成第3大隊に配属、200トンの木造船でマカッサルに直行、途中連日空爆、機銃掃射を受け、ある日すぐ1m先にいた兵士が戦死、小生の汗とにおいの付いた毛布でくるんで水葬するということもあった。(幸運の5)

マカッサルからジャカルタへ駆逐艦で、ジャカルタでは便船待ちでホテル住まい。幸いに青い病院船が来たので、国際法違反を承知で乗船、シンガポール着(幸運の6)

終戦時オランダからの独立戦争に巻き込まれ、多数戦死、将校4名中、隊長と私だけ生き残る。
キャセイホテル前で武装解除され、無人島レンパン島に捕虜として拘束される。(幸運の7)

21年5月末リバティ船で名古屋港に帰還、兵役解除とともに5百円貰って帰郷、原爆で焼け野が原の我が家跡に仮小屋で後半の一生を託すことになった。
しかし軍隊生活を通しては運の付きっぱなしといってよかった。
(以下略)       

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