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2011年2月10日 (木)

日本人の意識

灰色の雲に覆い尽くされた空、8時を過ぎてもまだ暗い。
気温2度、まあ寒くはないな。霞も普段並み、多からず少なからず。

明日は建国記念日である。戦後教育のおかげで、紀元節の意味が無視され、記念日と言っても今の若い人にはその重みは無に等しいだろう。
国歌も歌わない、国旗も掲揚しない。実質的に日本は今根を失った浮き草と同じ状態にある。
それが良いのか悪いのか、敗戦の責任を感じている私にはわからない。

私にも若き時代はあった。
はっきりと日本人としての時代認識を持った若者だったと思っている。
昭和15年11月5日の日記からその一節を引用する。
ある日勤めている満洲鉱山株式会社の東光寮に住んでいた私など十数名の軍隊入営者の壮行会が開かれることになっていた。

ーーー ある日の夕方だった。6時から中央飯店で寮の入営者壮行会が行なわれる事になって居り、長谷川さんのお宅の掃除に行ったので、遅くなり殆ど6時近くの今急ぎ足で通化路を帰って来る所だった。 
 オーバーに身を包んでいるのでぽかぽかと温かく、汗が今にも滲み出ようとするちりちりと皮膚を走るものが感ぜられた。漸く白光寮の近くまで来たときだった。
 向こうから3人の子供が歌を歌って来る。
 >お馬に乗った兵隊さん
 トットコトットコ歩いてる
 ‥‥‥‥‥‥‥‥<
 僕は内地の同じ風景を思い浮かべてそのまま通り過ぎようとした。その時その子供達は突然歌を止めて何やら喋りながら走り出した。そして彼らが満人であることを知ったのである。彼等は走りながら又出征兵士を送る歌を日本人の子供と同じ様に上手に歌いながら走り去った。
 私は暫くはっとさせられたまま立ち止まっていた。そしてふといやな気持になった。ーーー

教育次第で、言葉の違う民族同士でも、五族協和の旗印のもと、一応国家としての方向は築かれていた。しかしここはやはり支那である。日本はもう少し謙虚であるべきだとの私の意識の底にうずく思いがあった。

住んでいたのは満州国の首都新京の中心大同公園の南側、吉林大路を挟むんで立ち並ぶ日本などの大企業の住宅街の一角にあった、満洲重工業の鉄筋コンクリート3階建ての独身社員寮東光寮だった。何人住んでいたか覚えていないが、満業本社と鉱山会社の併せて数十名といったところだったろう。各階対抗野球大会も開いたから。大きなグランドも寮の前にあった。

戦後世代がもう8割に近いだろう。ぼつぼつ新しい日本を復活して欲しい。
経済だけでは駄目だ。所詮資源の無い小さな島国だ。
心と文化にこそ、この国の活路がある。

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