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2011年1月29日 (土)

一期一会の友沼静雄君

朝7時半気温-2度とまた冷たくなる。しかし庭の水槽は凍ってはいない。朝方急に冷え込んだのかも知れない。
ともかくも冬の真っ最中だから文句を言ったって始まらない。

チュニジアに始まってエジプトとイスラム諸国のデモ騒ぎが私にはよく分からない。
民主化目的というのだが、そしてインターネットによって喧伝されているというのだが、世界が変わり始めた前兆なのかもしれない。
中国などもよくネットを起点にしてデモが発生する。政府が規制していても個々のメールまでは規制しにくい。
ネットには距離の観念はないからどこまで飛び火するか誰にもわからない。まさにうってつけの手段である。
私が若き日戦争にひたむきにさせられたのは、新聞の偏向にあった。
新聞テレビは規制しやすい。偏向も自由である。
しかし今やインターネットの時代である。
イスラムだけでなく、中国、北朝鮮などでも規制でしばりつけることはもう難しい。
民主化というのは美辞麗句の類いでそれほどいいものとも思われない。しかし専制の縄張りの中で暮らす人民には、憧れの楽園に映るのかも知れないのだ。

世の中が騒がしくなってくると、私はすぐ戦争中に思いが回帰する。

今日は思いがけず一緒に只二人で同じ満洲鉱山に入社した同級生の沼静雄君のことを思い出した。
入社後十日目彼をその希望する熱河省倒流水鉱山に赴任のため送り出した。
普通なら二三年もすれば任地の変更があったりして又会えるだろうぐらいに思うものだが、何しろ戦時中徴兵検査前のお互い、今生の別れになるか知れないぞと、壮行会をやり、その晩は夜中じゅう飲み歩き深夜遅くマーチョ(馬車)でよれよれになって帰寮した。
十日目の3月29日、会社全員の見送りを受けて、赴任者全員賑やかに社門を発って行った。

荷物の一部を彼は要らないからと私の部屋に置いて去った。
予感通り、もう丁度70年になるが、一片の消息すらつかめない。
私は徴兵で翌年1月関東軍に入隊したが、彼は入隊したか、会社に残って倒流水鉱山で終戦を迎えたか、そのまま内地に帰らず現地人の仲間入りしているのか、それともどこかで死んだか、手を尽くして調べたがどこにもその端緒は見いだせなかった。

未だに彼の遺品の一部が私の目に止まり私を苦しめる。会社は消えて無くなるし、たまに会った会社の同僚も彼のことは見も知らない。
倒流水鉱山とは私もしらないが、熱河といっても万里の長城のすぐ近くということであった。
鉱山だから当然山の中である。必要のないものが訪れる機会はまるで無い。
若気の至り、文通など一度もしたことはなかった。
学校の同期と言っても、私はA組、彼はD組、学生時代に言葉すら交わしたことはなかったから、もちろん友人でもなかった。
いわば一期一会の仲と言ってよい。寝食を共にした十日間のあわい付き合いだった。
彼は本籍地は熊本だが、山口で下宿して中学校を卒業していた。中学の同期のものたちも消息は誰一人知らなかった。

今となっては手の届き様の無い、思いだけ僅かに残る一人の男である。Pasted_graphic

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投稿: インターネットマーケティングの戦略を始める | 2011年1月29日 (土) 21時30分

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