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2011年1月 1日 (土)

年始雑感

朝ちょっと日ざしが見えたが、結局は冷たい曇り空で終始する。
快適な元旦とはいかない。朝8時の気温はとうとうマイナス2度となっていて、バケツの水はかちかちである。

山陰の方では大雪で、千台もの自動車が数珠つなぎになって、元日の朝を迎えることになったらしい。自衛隊出動を要請したらしいが、こちらとて同じ元日早々ごくろうなことだろうな。

朝風呂はやはり気持ちいい。
身体が温まったところで、氏神様にお参りに出かけようと思ったが、天候が悪くなりそうなので取りやめる。
3ヶ日あるのだから早まることはない。
膝の調子だけでなく足全体があまり良くないし。

紅白もほとんど見ることなく過ぎる。
只同じ頃第九をやってたが、こちらはよかった。
外人ばかりの顔ぶれだったが、知らない人ばかりでも良いものは良い。
今は全国のオーケストラが第九をやるから、歌手は引っ張りだこで払底しているのだろうな。

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2011年1月 2日 (日)

穏やかな日本、でも不満は募る

山陰の大雪によるトラブルが朝早くから何度も伝えられる。
災難に会った人大変だったなと同情する。

朝起きるとすぐ明日持参するつもりのDVDを焼く。鳥取旅行の分である。
内容が1枚に足りないので少しばかり待ちすぎた。明日招待を受けているので手みやげのつもりだが。
昨年宇佐神宮に連れて行ってもらった時のが、ある筈と思っていたが、あの時はデジカメしか持参しなかったのだった。写真はもう皆渡してしまっていた。物忘れがひどくて困ったものだ。

午後2時家内と二人で近くの氏神様にお参りに行く。説明板で見ると、祭られたのは厳島神社と同じ頃だと書かれている。
自然を神として恐れ敬った日本人の信条が生み出したものだろうから、小さな部落のまとめ役としていつks古代から存在したものだろう。
文化文政時代の事蹟が書き加えられているが、それはいささか蛇足に過ぎない。

それにしても近いところだから歩いてと思っていたが、もう歩く自信がない。やはり車で往き、ついでに市役所の近くのスーパーまで出かけて買い物を済ますことになってしまった。

昨日の産経紙上に曽根綾子の論文が載っていた。
”ご領主様のばらまく投げ銭に熱狂する領民、不平感は募っても幸福は感じない”
”権利ばかり教えて義務の観念を育てなかった教育の責任だ”という。
彼女が言うように、泥沼の国家経営はこのまま続くのだろうか。

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2011年1月 3日 (月)

新年宴会は娘の招待で

昨年の交通事故死者は高齢者が50.4%を占めているとある。
不注意もある、人体能力の衰えも大きい。私の妹はさてどちらだったのだろう。
仲間入りしてしまった。私より10年も長生きするだろうと思ってたぐらいだから、不注意だったのだろう。やはり世の中見くびってはいけないな。
私は幼い時からソッキョウだと言われ続けて来た。
しかし今は自分が驚くほど用心深い。80歳以降の寿命はこの精神的方向転換のせいだろう。
しかし最近の目に見えた体力の衰えはもういかんとも仕様がない。座して天命をまつのみである。事故死はやはり芳しくない。

井上に招待されてたので、昼前アルパークに手みやげを買いにより、そのまま車はここに置いて電車で行く。
大分遅れたがゆっくり始まる。3人の幼児が大きくなって動きまわり目油断ならない。

食べなれないものが多くて老人は戸惑うばかりだが、味はさすがに良い。
カニは年末に境港まで買いに出かけて、帰路雪に会って難儀したという。
高速道でなく頓原を通って三次に抜けた由。それは大変だったなと、18歳の時の同じ道の自転車旅行をはしなくも思い出す。

一足早めに退散したのだが、娘が飲酒運転は駄目だと、酒を飲まない婿と孫の二人がかりで帰宅させられてしまう。
楽ではあったが気の毒なことをした。

帰宅するとたっぷり昼寝、夕方までぐっすりして、起きるや否やたくさん撮った写真のプリントにまた忙しい。

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2011年1月 4日 (火)

HDでないとやはり駄目か

今朝連続してレコーダーでDVDのダビングを2度した後終わったところで、HD上に残った元の映像を削除したのだが、どの動作が悪かったかレコーダーの調子がおかしくなってしまった。
正月早々トラブル発生である。

午後デオデオに持参し修理に出す。2週間ぐらい使えないらしい。残していたデータも消滅してもかまわないとの承諾書を取られる。
今はカメラでも何でもHD流行だが、不安定さは昔も今も変わらない、
何度も苦い味を味わわされたが、パソコンの場合は絶えずバックアップで済むが、カメラやレコーダーなどでは被害が大きい。
只値段が飛躍的に安くなったのでメーカーが利用を止めない。馬鹿を見るのはやはり消費者である。
そもそも小さなモーターで5000回転とか7000回転とかさして、保存する。
優秀な技術だがやはり危なっかしい。
こちらが気をつける以外にやはり無いのか。

午前中はいい天気なのに午後は必ず曇ってしまう。ここのところ毎日のお決まりの推移である。苦情の往き場所はもちろんない。

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2011年1月 5日 (水)

ラジオ深夜便の徳

朝8時気温2度、今にも雨になりそうな気配。
雅博さんからのメールで昨日の宅ファイル便が迷惑メールで削除されたらしく、再度送信を頼まれる。
今度は念のため娘と両方のアドレスに送っておく。
用心がいいなあ。

私の受信箱はあけっぴろげで変なのも多いが、ひとつひとつ送信先を確かめて削除している。私も過去に誤って削除した経験があるから、用心の仕方を変えたのだが、面倒でも今はうまく行っている。
もっとも広告メールが圧倒的に多いのは皆様ご承知の通りだが。不思議に時には開いてみたくなったりする。俗物なのだな俺は。

ところで、最近気づいたことは、新聞でもテレビでもローカルな事象を取り上げるものが多い。極端に増えたと言っても良い。だからローカルと全国が歴然と分かれた報道などをするラジオが却ってためになっていい。
NHKの深夜便はその最適なものである。古今東西に亘ってこれに優るものは今は無い。
只難んは昼間つとめが厳しい人は接することが難しいことである。
老人がいくら賢くなっても致し方ないしなあ。

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2011年1月 6日 (木)

高峰秀子を悼む

朝7時半起床、気温2度。灰色の雲が覆っている。
膝の痛みは相変わらず、明け方にがって目を覚ます。

人の名前は随分前から思い出せなくなっていたが、最近所の名前や歴史上の地名、人名まで思い出せなくなった。ぼけが確実に進行しているようだ。
頭脳細胞が欠落し始めたのかも知れない。
昔年寄りに昔の話を熱心に良く聞いたものだが、この私にはとてもその役割は果たせそうも無い。孫どもが皆女で助かっていたが、ひ孫は男の方が多くなった。
もう私は役立たずだな。消え去るのみ。

高峰秀子が亡くなった。同じ年代の男の気骨を持っていた女性だった。
綴方教室以来の熱烈なファンの一人と自認しているのだが、甚だ残念である。
つい先般「高峰秀子の流儀」を買って読んで、その生き様に正に溜飲を下げた思いをしていたのに。
今朝の新聞にも評論が書かれている。数日前の産経でも追悼の辞が寄せられていた。ほんとにものの言える女優だったのに惜しいことだ。

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2011年1月 7日 (金)

荏苒過ぎ行く日々

家内はリウマチ治療のため記念病院に出かける。広島市内だから半日仕事だ。
完治の難しい病気だから、果てしがなくて遠くまで通うのは大変だ。

私の膝も昨日は痛み止めのおかげで楽だったが今日はもう駄目だ。
医者に行けと言われても治る気がしないでは行く気になどなれない。

家内が帰りが遅いのでとうとう昼飯が2時になる。
食わないで済まそうかと思っていたが、習慣は恐ろしい。やっぱり手が出るのだなあ。

何をすることも無く、荏苒漫然として時は過ぎ行く。

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2011年1月 8日 (土)

小さな友情

朝7時半起床、気温-1度。
正月気分はもうとっくに無い。
久しぶりの快晴で部屋の中は自然に暖かい。
ただ冬の真っ最中だから、日ざしにひところのぬくもりはない。
熱を奪われた光だけの様な感じだ。

家内はリウマチの数値が少し改善されて、薬を少し減らされたという。痛みはあまり変わらないのに。実験台みたいなものだ。

私は身体のかゆみが昨夜は特に激しい。孫の手の世話にならざるを得ない。もちろん本物の孫がそばにはいないのだから、竹製の孫の手だが。

今朝の新聞受けに中岡さんの年賀状が入っている。娘さんの代筆で両親とも元気で暮らしているとある。老人福祉施設に入れたといつか連絡があったから、その関係だろう。

旧制中学以来からずっと同級生だった神村君、兵隊の時同じ部隊の経理首座だった加藤君も健在だ。数少ない生き残りの友人となった。友情はなお続けたいものだ。

ふと思いついて、神村君に昨年ブログに連載した「ニューギニア戦記」をコピー印刷して、郵送する。かねがね戦争の話はもういいと、聞いても話したがらなかった彼だが、同じ戦線で同じように船舶工兵の中隊長だった彼だから身につまされることもあろうかと、読んでもらう気になった。
彼の違った経験話を聞き出すきっかけにでもなればとの、仕掛けばりのつもりでもある。
半年連載した長編だから、1行70文字、70行で31ページにおさめた。
小さい文字で読めんよと文句を言われるかも知れないな。

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2011年1月 9日 (日)

赤名峠

朝気温4度、刺すような冷たさは無い。灰色にすっぽりと包まれた空からは好天気は予想しにくい。
夜中じゅう膝が痛んで寝苦しかった。今朝はやむを得ず痛み止めを飲む。

神村君に昨日出した手紙をかくとき脳裏に浮かび上がった18歳の時二人で行った中国山脈越えの出雲への自転車旅行のこと、その情景をまた急に思い出した。

その時、親父が自転車屋から聞いて来て、とても自転車では無理だと反対した。
無理して無謀にも出かけたのだが、一日目の三次に到着したときには宿で歩いて部屋に入れなかった。

次の日の行程が難関の県境に立ちはだかる赤名峠だった。
麓の布野村付近から約10キロ車を押して歩いた。
この日は忘れもしない春休みに入ったばかりの昭和13年3月19日だったが、峠の頂上は雪が1尺もつもり難行を極めた。

既に前日足の痛みなどからお互いに不機嫌になり、口喧嘩が絶えなかったのだが、ここまでくれば、引き返すこともできないし、腹を決めざるを得なかった。
よく天下分け目などというが、この時がそれだった。

この時弱音を吐くのは私で、体力のある神村は毅然として意思を貫いた。
付いて歩くしかなかった。

それからの下りの爽快さ、特に頓原から8里半三刀屋までの坂道は自然に転がるように下った。(昔の国道には石の里程標がずーとあった)

あの赤名峠は今はトンネルになって、もう何度か往来した。何でも無い道である。
昔の道路はどうなったか、いつか通って見ようと思いながら今日まで実現出来ない。
インターネットで調べてみると、最近の峠道全体が詳しく写真入りで説明してある。
舗装はしてないが、十分通り抜けられそうである。
雪が溶けて5月にでもなったら出かけるかと又無謀にも思い募っているのだが。Photo

Photo_2

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2011年1月10日 (月)

アジアサッカー日本ヨルダンと引き分け

今朝の温度は0度、薄雲が覆ったまあまあの天気。
寒気が上空を覆って暖かくならないとのご託宣。真冬だから仕方が無い。

昨夜は日本とヨルダンのサッカー試合があり、前半終了間際思わぬ1点を奪われ大苦戦に落ち入った。始めからゴール際の守りを固めたヨルダンの堅守には作戦負けとすら感じた。
最後は息をつかせぬ連続攻勢の中、終了2分前コーナーキックからの混戦の中やっと吉田のヘッドでゴールを奪って引き分けるのが精一杯であった。
この吉田の飛び上がりがなければ、運悪く予選落ちするところだった。
負ける気はしないほど優勢な日本の攻めだったが、勝敗はわからないものだ。
取られた1点も敵のシュートが日本選手の足に当たって方向が変わりゴールに吸い込まれた不運なものだった。

グランド上を8割は支配しながら、この始末は今後大いに反省の必要ありとみたがどうだろう。

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2011年1月12日 (水)

かゆみ談義

うっすらと雪の朝、気温0度。
寒いけど美しい景色。もやもうっすらと、絵のようだ。

ここ数日身体の至る所が痒くてたまらない。
季節的なものだろうか。
乾癬にもとずくのは間違いないが、寝ても覚めても痒い。
もっとも眠ったら無意識に掻くということはないらしいが。
塗り薬が効いているのはものの2時間程度だろうか。
風呂に入るとすごく滲みてイタッと声が出るほどだ。
しかし風呂は良い。しばらくするとすっかり痒味がなくなり心地よい。
出た後は一寝入りするまで問題は無い。

毎年今頃から春にかけてひどい気がする。
健康手帳を見ると、1991年9月医師の診断で乾癬と言われている。
最初は頭にかさぶたが発生し、足の指や足首の関節が腫れて痛み歩行が困難になった。外科では関節炎だと言って注射されたりしたが、一向によくならずその後市民病院で精密検査の結果乾癬ということが確認された。

一進一退今日に至っている。生命に別状無い病気だからと医師先生も呑気なものである。適当に薬を案配してくれて、効くのやら効かぬのやら。
二十年もたつとまるで試験台である。

また乾癬は自己免疫病とも言われている。
表皮の更新を十倍も早めていると言われる。風呂に入って滲みるのは表皮の欠落した部分である。赤身が覗いているからすぐわかる。
自分の身体を外敵と見誤るくらいだから、ウイルスなどは容易に侵入出来ない。
おかげで五体健全で長生きしている。
良いのか悪いのか私にはわからない。おそらく神の仕業であろう。

大学の部長だった先生が、終生治癒することはないから上手に付き合うことが大切だと言われたことがあるが、その通りになることはもう間違いない。
それにしても毎日痒いなあ。

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2011年1月13日 (木)

本漁り止まらない

朝気温-2度、少し寒い。
今日も相変わらず身体が痒い。
薬が少し弱いせいもあるのだろう。副腎皮質ホルモン剤の5段階のうちの2番目の薬らしいから。
先の先生、今度の先生ともに一番強い薬はどうしても出さない。
だから効く筈は無い。ときどきいうのだが聞いてくれない。
考えがあってのことだろうから、従うほかは無い。

家内は同じ副腎皮質ホルモン剤の飲み薬で、今度の病院で一挙に5倍の強さに変えられた。結果がよかったのでじょじょに下げられて、1年半経った今は最初の半分に落とされている。それだけリウマチの数字がよくなったということらしい。
乾癬では飲むのではないが、そういう判断基準はない様である。
いい加減なものだ。

いろいろな薬をためされているようなのだが、決め手はないということである。
あと幾日か、死んでしまえば一挙に一件落着なのだが。

銀行に行ったついでに外食する。かつなどという贅沢なものを食う。
スーパーの本屋で本など3冊買う。「畏るべし昭和天皇」という文庫本が目に止まり買う。題名に恐れ入ったからである。
本などというものは読んでみないことにはわからない。
よく考えてみると、ほとんど題名で選択しているのではあるまいか。
「終わらざる夏」はぱらぱらめくったら「斐徳」が出て来たから買ったのだが。
あれは大したことはなかったが。
もちろん何もかも名著という訳にも行かない。

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2011年1月14日 (金)

温灸という和漢療法

気温-3度に驚く。水道凍結をまず心配して、駐車場を覗く。別状無い、ほっとする。
夏が暑かったから、反動で冬も寒そうだ。
頭の芯がシーンと固まって、どうにかなりそうだ。

明日の法事の支度もあってデパートや広島駅に出かける。
動作が鈍くなったから簡単には終わらない。
広島駅というのは温灸に使う線香をステーション薬品というところに求めに行く訳だ。メーカーの話では他には売っていないらしい。
自動車では横付けが難しいし、JRを利用する以外に無い。
芳邦さんが腰を痛めているらしいので家内が使わせてみるというのだ。

私はもう1ヶ月使っているがいまだにいいのか駄目なのかわからない。
和漢の治療法は何事も気が長くないと駄目なのだから仕方が無い。
彼は気が長い方だから向いてるかも知れない。

家内もアルパークに用事があるというので、二人で出かける。
明日の手みやげなども家内が用意する。
私はその間を利用して広島駅までJRで行き、快熱のセットと線香を買ってくる。
待ち合わせ場所で会い、3時頃には一緒に帰宅する。

まあ比較的に暖かかったので助かる。
歩き回ったので足ががたがたである。膝も少し痛い。明日に響かねば良いが。

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2011年1月15日 (土)

義母の7回忌。最近は滅多に顔を会わすことの無い兄弟姉妹たち。男はだんだん無口に、女はだんだんおしゃべりになる。
昔と違い何ヶ月ぶりに会うというものが多い。
交通手段の便利さに伴ってどんどん付き合いの頻度は少なくなって行くようだ。

この母はほんとに心優しい人だったなあ。一度でも怒ったことの無い人ではなかったかと思う。
母にばかり皆似る訳も無かろうが、この兄弟姉妹たちも皆穏やかである。
法事などという会合になると、即座にその良さがにじみ出る。
実の子ではない私以外にも、嫁となって来た人も、それに文句を付けるものは誰一人いない。
慈母という言葉がぴったりだったと感ずる。
私は目下その最長老になってしまった。自然の成り行きで仕方が無い。
干支で言うと一回り私より上だったに過ぎないが、母としての感覚はそれ以上にずーっと濃い。

今日は風の強い一日だった。早朝の気温は2度で比較的に暖かかったが、法事の最中は却って寒くなっていた。
午後3時終わって大竹の会場から直接帰る。

法事に出る前に室木を訪ねたが、弟は用事で出かけていた。
いろいろの役割を押し付けられて忙しく暮らしているらしい。
パソコンで碁も勉強しているとか。パソコンの面白さがわかって来たかな。

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2011年1月16日 (日)

ガス給湯器が凍結?

朝気温ついに零下4.5度、今冬最低である。外は雪で真っ白、まだ少しばかりではあるが降り続いている。
水道管は昨夜見回って準備していたので破裂は見当たらない。
しかし先般付け替えたばかりの給湯器は湯が出て来ず朝食には間に合わない。
まさかこちらが壊れることは無いだろうが。

午前十時を過ぎても湯が出ない。家内がガス会社に電話するが、水道が凍ったのでしょうと言うばかりで対策は無い。
冷たい水は出るのだから、給湯器の中の給水パイプが凍ったのかも知れない。それを見てやろうとは言わない。文明の利器の弱点といえるだろうか。
この程度の寒気で再々発生すると故障でなくとも困るんだなあ。

午後1時やっと湯が出始める。ガス湯沸かし器で湯が出ないということはどうも理屈に合わない。水が凍ったのはわかるが、ガスが点火しさえすれば溶けるのではと思うのだが、間違いかな。今まであったことがない現象だから、頭をひねりたくなる。

後日じっくりガス会社と話してみたい。

DVDレコーダーが直ったから取りに来いと電話がデオデオからかかる。
寒いけど仕方がない、出かける。料金は保証期間内だからただだという。HDDとメイン基盤を更新したというから、録画していたものは皆消失してしまった。

こちらの損害ばかり言ってもしょうがないのだが、デオデオさんも修理賃¥32000.を取り損ねたのだから気の毒である。

パソコンでもこれがあるから、油断で出来ない、絶えず外部に記憶保存してないとよくやられる。

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2011年1月17日 (月)

地震のこと

早朝まだ暗い時ぐらぐらと揺すられて飛び起きた。
もうあれから16年経つ。
すぐテレビのスイッチをひねった。大阪のNHKアナウンサーが窓に浮かぶ風景を述べながら、さして緊張の感ぜられない出だしであった。
つけっぱなしのテレビから刻々変わった情報が入ってくる。そのうち火災の火が見えてくる。大変になりそうだぞと釘付けになる。

それにしても阪神地方の地震がすぐ直下でぐらぐらっとやったと思ったほど近かった。
芸予大地震のときは棚のものなどが落下したからすぐ部屋から飛び出したけれど、ともかく足下から揺すられるのは気味悪い。

この年1995年元旦は姫路城の見学から私ら夫婦の一年が始まった。
その夜婿の招待で鳴門のホテルで会食の後一泊、婿の母とも同宿した。
その3ヶ月後、そのお母さんとはまさかの永遠の別れとなってしまった。
不思議な縁であった。

この年この月、元旦早々からいろいろ慌ただしかったので、私はうっかり運転免許証の更新を忘れ、再度運転免許の申請から始めなければならなかった。
(この頃は運転免許の制度が厳格で2日遅れただけでも許してくれなかった。現在は期日からまだ一月も余裕があるが)

今朝も昨朝と全く同じ気温−4度半である。昨日の経験があるので、給湯器のスイッチをつけっ放して寝たから今朝の凍結は免れた。少し電気料は嵩んだだろうが、半日も湯が出ないのではかなわないから仕方が無い。

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2011年1月18日 (火)

私の一生の写真アルバム

朝の気温−2度、当たり前の温度だがなんだか暖かい。
お湯の出も悪くない。一昨日の冷たさが却って実感される。

新しい線香はやはり駄目だな。私のやり方が悪いのかも知れないが、途中で消えてしまった。温灸の熱さが弱いなあと思って、40分ぐらいして手袋を脱いで触ってみると熱くない。普通だったらやけどをする筈だ。逆さにして出してみると火はもう消えている。乾燥が足りないのだろうか。

体操器具のステッパーは今のところ好調である。
足の具合に或は悪いかも知れないと危惧していたのだが、別に痛くなったりしない。
長くはとても続けられないが、何度も繰り返し踏む。息が切れると休む。何しろ心臓も弱っているのだから無理は出来ない。
膝にはそれがちょうど良いらしい。

歩く苦痛が少し減った感じはする。
あの世にまっしぐらの毎日だが、苦痛なく逝かれるに越したことは無い。
まことに勝手のいい老人なのだ私は。

ここのところ思いつきで古い写真を引っ張りだして、パソコンにインストールし、スライドショーにして見ている。1時間も2時間もかかって終わらない。
モニーターは26インチのデジタルテレビである。目の前で一人で楽しむには誠に都合が良い。
ムービーは勿論良いのだが、古いのから新しいのから、個々の写真の変化の激しさにはとても叶わない。私の顔にしても二十歳と九十歳ではまるで別人だからな。

一生の歴史アルバムを作れとのアップルの提唱だが、目下とても大変な作業でそこには手が届かない。あるがままであるが、それでも面白い。
私でも子供のときがある。人並みに長い道のりだった。

昨夜の日本サッカーは凄かったな。相手が気の毒なくらいだった。
5−0とはまさかである。残りを突っ走れ!

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2011年1月20日 (木)

人騒がせなアップル

昨日と同じような夜明け、気温も変わらず。
毎日の温灸治療も先日から新しい線香を使っているのだが、途中で火が消えてしまって、なかなか順調に行かない。
今日は線香に火をつけてから、容器に射し込むのを遅らして、やってみたところなんとかうまく行った。
ただし終わるまでに今までは40分で終わっていたのに、今度は1時間半かかる。
1時間を過ぎると急に熱くなってやけどしそうになるほど。
ともかく順調に終わったから良い。効果は今度の方がよいかもしれない。
灰の中に小さな土のかたまりがころころとたくさん出る。線香の成分が少し変わったようである。メーカーも工夫をこらしているわけだ。

何はともかく、痛みも軽くなり、歩くのに自信が戻って来たのがよい。
温灸、ステッパー、痛み止め3錠、総合的に効いて来たのであろう。

アップルのジョブス氏が病気で休職すると言った途端に株価が下落、その直後今度はアップルの業績が78%増の最高益を計上と新聞発表。人騒がせな会社である。
20年近くアップルの機械を使っているので、使い慣れて文句は無いが、ウインドウズ一本やりの日本コンピューター業界では袋だたきに遭うばかり、使い勝手は甚だ悪かった。
今は溜飲が下がる思いの毎日だが、産業界というところも難しい場所だなあ。
中国が反発して世界情勢は混沌として来たが、アメリカ一辺倒の日本を尻目に、これからが面白いところだろう。

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2011年1月21日 (金)

最後の忠臣蔵のこと

朝の気温1度。やっとプラスに戻ったか。
雲が多くて暖かくはなりそうには無い。

小沢君議会証言に出ると言ったかと思うと断固拒否するという、これまた人騒がせな男だ。よくもあしくもジャーナリズムの種にはなる。
嫌らしい男だなあ。芸能界にも悪役がいないと困るが、政界でもことを欠かないようだ。

昨日ウイルコムに電話してPHS を解約してもらった。今日からもう使えない。2000年5月に付けたのだから10年になる。ほとんど使用することはなかったが、いざという時にいるからと準備していた。幸い火急なことは何も起きなかった。
やめると起きるかも知れないが。世の中そうしたもんだから仕方が無い。

ステッパーの踏み方がだんだんうまくなってくる。しかし激しくやると息が上がって、心臓が苦しくなる。やはり一長一短ありといったところ。
寝て起きてすぐやったりするといけない。タイミングも考えなければならない。

『最後の忠臣蔵」を読み返す。ウイキペディアで寺坂吉右衛門の実相を読む。
やはり切腹は免れたが47人の一人に違いない。主家吉田兼亮の娘の嫁ぎ先姫路の伊藤家に二十年くらい使えたこともその書き残された書類から読み取れる。広島を訪れたり、赤穂旧臣に書を送ったり、その足跡は残り、83歳で亡くなったこともはっきりしている。墓も麻布の曹渓寺に残り、泉岳寺のものは慶応年間に建てられたものという。
歴史家がよってたかって、調べ上げ、また小説家がでっち上げた。
記録というものは恐ろしい程である。

私程の草叢に起き伏すものでも、いつ歴史に関わるものたる日がくるかもしれない。
やはり真実は書き残さなければと思ったりする毎日である。

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2011年1月22日 (土)

老いぼれにも誕生日おめでとう

朝から快晴、気温マイナス1度、満91歳誕生日の夜明けである。
もう寿命では父母祖父母を凌駕した。格別な感情があるわけではないが、なんとなく不思議な気がする。
長生きするということがこんなにすんなりしていいものだろうか。
もう少し悪戦苦闘しながら山坂を越えるがごとく苦痛も伴うものだと思っていた。

今朝起きると不思議に膝にも違和感が無い。
完全に治ったのかな、いやそんなことはあるまい。心中で葛藤がおこる。
しかし階段を下りる一歩からいつもと違う。痛みも違和感も無い。

温灸はとりあえず継続する。

ルービンシュタインのベートーベン、ピアノ協奏曲第4番の響きが心地よい。
その次はパールマンとアシュケナージのクロイツェルである。
トルストイの小説を思い起こす。何もしない至福の時間である。

少し温灸やけどの跡がひりひりする。
午前十時を過ぎて日脚は少し短くなったが、相変わらず日ざしが部屋に注ぎ込まれる。自然まで命をもり立ててくれている、ありがたいことだ。

MAILに入って見ると、いつも通り@niftyから誕生日プレゼントが入っている。年々豪華になってくるようだ。全国旅の宿泊半額サービスなんてもある。
宅ファイル便からもメッゼージをくれている。
ますます忙しい時代になって来たな。

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2011年1月23日 (日)

都道府県駅伝広島県1区42位から3位入賞に駆け上る

朝6時15分目覚めそのまま起きる。のどが乾いているのでお湯を沸かしてお茶を一杯飲む。
中途半端な時間だからしばらく呆然として丹前にくるまる。暖房が少し効いてくるともう手の行くところはパソコンしか無い。
朝子が昨夜遅く書いたメールが入っている、一同元気で変わりはないらしい。送ってくれた写真の猫も毛がふさふさして元気そうである。
秋には留学したいので準備しているという。小さい時から勉強好きだからいいだろう。親はいろいろとちょっと心配だろうが。

昨日送って来たscansnapを早速使ってみる。手軽でなかなか性能も良さそうだ。
雑誌の記事をスキャンしてみたが、画面がモニター一杯に拡大し老人にはすこぶる見やすい。最近のパソコン誌などの記事はルビが小さ過ぎて、拡大鏡が要るのが多くなっているので、スキャンして見ればちょうど良い。

只困るのはページを切り放たなければならないので、借り物などのコピーは出来ない。つなぎ直す訳には行かないから。

都道府県抵抗男子駅伝は予想していなかった栃木県が初優勝した。やはりいつも言われているように高校選手の活躍が大きかった。
大学一般のよい長野、広島が2、3位と並んだ。地元広島は一区で42位と出遅れ、一度もテレビ画面に出ること無く、がっかりだったが、最終区で鎧坂が3位に入って来た時にはさすがに驚いた。地元だから短絡したのではと思ったほどだ。
お城の前付近でようやく10位あたりでテレビに映し出され、短絡は無かったとわかったが、それにしても凄いスピードであった。
広島は高校生が駄目だった。世羅が年末の京都で2位に終わったので、落胆し過ぎたのか元気がなかった。

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2011年1月24日 (月)

私の医者へ出かける作戦

今朝の中国新聞は駅伝記事で埋まった感じ。
広島は鎧坂の健闘でひさしぶりに上位に戻って来た。
この駅伝が始まった頃は毎年優勝候補に挙げられていたのが、いつの間にかベストエイトからも遠ざかっていたし、話題にも登らなかった。
女子のそれが毎年地元京都勢の健闘が当たり前なのに、男子の広島はふがいないばかりなので、私などはそっぽを向いていた。すぐ前の道路を走っているのに覗いて見る気もしなかった。
老いたせいかもしれない。昔中国駅伝などは毎年沿道に顔を並べたりしたものだったが、今はそんな気にはさらさらならない。
しかしこの分なら、もし来年生きていたら、楽しい思いが出来るかも知れないぞと今からこころが弾む思いである。
世羅高校時代から研鑽怠りない鎧坂選手に、縁もゆかりも無い一老人が心密かに声援を送り続けることになりそうだ。

患者の多い医者だからと、正午前に内藤内科に出かける。
やはりまだ多い。風邪をうつされるのが嫌だが仕方が無い。マスクだけはして隅の方で診察を待つ。
出来るだけ呼吸を少なくして、息をひそめる。
待つこと40分、12時を10分ばかり過ぎて呼び出される。
血圧、問診、胸の診断皆異常はない。
会計や薬局でまた待たされて、帰宅したのはやはり午後1時頃。
私の作戦はやはり今日もだめだった。

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2011年1月25日 (火)

冬の植物園

朝の気温0度、快晴。
日ざしがいかにも暖かいので、家内が植物園に行こうと誘う。
膝の痛みが無くなって、歩いてみたくなっていたので、すぐ賛成する。
11時頃家を出る。

園内は全くまばら。春に備えて改装している業者の姿だけがにぎわしい。

来客の中に私より一回り年下の男女10人ばかりが、カメラを一人一人担いで、僅かに咲かせられている花々を、時間をかけて撮影している。

日本庭園から椿の山道を歩く。誰一人姿はもうない。
足は痛むことは無いが、心臓がどうも苦しい。
経験はしたことはないが、もし発作でも起こすと家内が大変だろうからと途中で下り坂を降りて、帰路につく。無理は禁物。

食堂は休んでいるので、軽食堂に入る。先ほどのカメラの仲間たちが一緒に食事している。
もちろん話すきっかけはない。
帰宅すると丁度良い身体のほぐれ具合であった。
見るものが少ない折から、丁寧に見た砂漠の植物「金のなる木」や「亀甲草」などは珍しく面白かった。
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2011年1月27日 (木)

広島総合病院に通う

ふと深夜便のラジオの音で目覚める。午前4時過ぎ、橋田壽賀子が何か語っている。自分の回顧談のようだ。
彼女が朝鮮生まれで私より数年若いことを知った。戦争末期海軍省に事務員を勤めたという。
早稲田の演劇科を中退して松竹に入り、思いがけず脚本家になるなどそれなりの苦労を重ねているようだ。
戦争で運命が狂わなかった人はいない。彼女一人ではない、私もそうだったし。
しかし良い方へ転んだから良かった。「おしん」は今や世界的ドラマと言える。
女にしてはかなりの硬骨女のようだ。「おしん」もそうだが、「となりの芝生」「渡る世間は鬼ばかり」なども彼女の性格が描き出したものだとはっきり言えそうだ。

明日の晩も続きがあるというから聞いてみたい。うまく目覚めるといいが。

眠れないので起き出して今これを書いている。今丁度朝の6時。
病院へ行く日だからもうベッドに戻る訳には行かない。

8時前に家を出て病院に行く。駐車場には既に十数台の車の列。
約三十分待って、順番が来る。
ひどい部分の腕を脱がされて、検査。雑菌のいないことを顕微鏡で確かめられてOK。症状は乾癬に因るものだけだと処方箋。

薬局で又待たされて帰宅したのは十時過ぎ。

昼までぐっすり昼寝。今日はこれで終わり。

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2011年1月28日 (金)

老人のたわごと

朝7時半気温-1度。
寝すぎてしまって深夜便の橋田壽賀子の対談は聞かれなかった。
眠らなかったら、その反動で翌日は眠たくなる、健康な身体の摂理だから致し方ない。
快食快便又その通りである。只最近は食べる量が少ないので、毎日出すというわけにはいかない。2、3日置きになる。

国家予算を通すのに四苦八苦している菅総理、人民のことはよく脳裏に刻み込まれているらしいが、国家の概念が乏しいので、答弁がいつもよその国のことのようでおかしい。
どうなるのかこの国は。

経済大国世界一を目指して獅子奮迅の中国、経済、そんのもの3位でも5位でも大したことではない、借金が多過ぎて、世界の信用度がBクラスになったって、それどういうこと。私が聞きたいことを総理が聞いている。
蟷螂の斧をふるって世界一を目指した私たち世代とまるで次元が違って論議する気にもならない。

昼外食がてら、スーパー団地をうろうろする。本屋で雑誌を買ったり、ヤマダ電機に入ってiPhoneについて聞いたり、いろいろしたりしている間に家内と行き違いになってしまう。
貯金の振替がうまく行かないでとうとう銀行まで行くことになる。
原因は私の勘違いミスだったが、余分な行動になってすっかり疲れる。
帰宅してからゆうに1時間半寝ることになってしまった。

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2011年1月29日 (土)

一期一会の友沼静雄君

朝7時半気温-2度とまた冷たくなる。しかし庭の水槽は凍ってはいない。朝方急に冷え込んだのかも知れない。
ともかくも冬の真っ最中だから文句を言ったって始まらない。

チュニジアに始まってエジプトとイスラム諸国のデモ騒ぎが私にはよく分からない。
民主化目的というのだが、そしてインターネットによって喧伝されているというのだが、世界が変わり始めた前兆なのかもしれない。
中国などもよくネットを起点にしてデモが発生する。政府が規制していても個々のメールまでは規制しにくい。
ネットには距離の観念はないからどこまで飛び火するか誰にもわからない。まさにうってつけの手段である。
私が若き日戦争にひたむきにさせられたのは、新聞の偏向にあった。
新聞テレビは規制しやすい。偏向も自由である。
しかし今やインターネットの時代である。
イスラムだけでなく、中国、北朝鮮などでも規制でしばりつけることはもう難しい。
民主化というのは美辞麗句の類いでそれほどいいものとも思われない。しかし専制の縄張りの中で暮らす人民には、憧れの楽園に映るのかも知れないのだ。

世の中が騒がしくなってくると、私はすぐ戦争中に思いが回帰する。

今日は思いがけず一緒に只二人で同じ満洲鉱山に入社した同級生の沼静雄君のことを思い出した。
入社後十日目彼をその希望する熱河省倒流水鉱山に赴任のため送り出した。
普通なら二三年もすれば任地の変更があったりして又会えるだろうぐらいに思うものだが、何しろ戦時中徴兵検査前のお互い、今生の別れになるか知れないぞと、壮行会をやり、その晩は夜中じゅう飲み歩き深夜遅くマーチョ(馬車)でよれよれになって帰寮した。
十日目の3月29日、会社全員の見送りを受けて、赴任者全員賑やかに社門を発って行った。

荷物の一部を彼は要らないからと私の部屋に置いて去った。
予感通り、もう丁度70年になるが、一片の消息すらつかめない。
私は徴兵で翌年1月関東軍に入隊したが、彼は入隊したか、会社に残って倒流水鉱山で終戦を迎えたか、そのまま内地に帰らず現地人の仲間入りしているのか、それともどこかで死んだか、手を尽くして調べたがどこにもその端緒は見いだせなかった。

未だに彼の遺品の一部が私の目に止まり私を苦しめる。会社は消えて無くなるし、たまに会った会社の同僚も彼のことは見も知らない。
倒流水鉱山とは私もしらないが、熱河といっても万里の長城のすぐ近くということであった。
鉱山だから当然山の中である。必要のないものが訪れる機会はまるで無い。
若気の至り、文通など一度もしたことはなかった。
学校の同期と言っても、私はA組、彼はD組、学生時代に言葉すら交わしたことはなかったから、もちろん友人でもなかった。
いわば一期一会の仲と言ってよい。寝食を共にした十日間のあわい付き合いだった。
彼は本籍地は熊本だが、山口で下宿して中学校を卒業していた。中学の同期のものたちも消息は誰一人知らなかった。

今となっては手の届き様の無い、思いだけ僅かに残る一人の男である。Pasted_graphic

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2011年1月30日 (日)

遂にアジア・カップを制す

今朝午前0時から始まったアジア・サッカー決勝戦。予想通り手に汗握る接戦に終始した、どちらが勝ってもおかしくない決戦であった。私は延長後半、疲れから来る一瞬の隙をオーストラリアが見せたと思う。
すかさず新投入の李忠成が空いたスペースに完全なフリーで入り込む。そこへ長友が左から駆け上り、折り返しざま右空きに突出した李にパスが渡り絶妙なボレーシュートが左隅ネットを揺るがしたということだった。オーストラリアの名ゴールキーパーもノータッチのすばらしい李のキックだった。
また日本のゴールキーパー川島の3度の1-1の絶対絶命のピンチを体あたりでしのいだ防御がなかったら、とても日本の勝利は無かっただろう。
4度目のアジアチャンピオンということらしい。短期間によくぞここまで来たと思う。
こんどは世界が舞台だ。力はまだまだだろうが、この勝利に酔うこと無く、研鑽を惜しみなく積んでほしい。

雪の朝、一面の銀世界、気温-3度と庭に出て思わず身震いする。
午前10時明るい日ざしのもと、雪はどんどん溶けて行く。部屋の中も案外暖かい。

膝の痛みがここにきて全く無くなった。足の違和感ももうない。
温灸とステッパーの効果が出たのであろう。老人でも努力すればよくなるということだ。

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2011年1月31日 (月)

零下5度の朝

今朝新聞を取りに出たら、冷たさが鼻孔の奥に滲みた。驚いて玄関脇の寒暖計を見ると-5度を表示している。
今冬一番の寒さだ。車庫への水道管など見て回ったが、昨夜根元のカランを締め、庭や車庫のカランを開いておいたので異状はない。予報では-3度と言ってたが、熊本あたりでも-4度といってたので、ここらでもそれ以下になるのではと予感が働いた。
正にぴったりだった。
家の中も私は風呂場のカランを緩め、家内も炊事場のカランをゆるめるなど、昨夜寝る前に対応していたので、朝は何事も起きなかった。古い経験のなせる技である。

午前十時さんさんと照る日の光にさしもの寒気もやわらぎつつある。
我が部屋の中は日ざしのせいで目下ストーブもいらない。

今朝の中国新聞では昨夜のアジア・サッカーの決戦関連を幅広く載せている。
殊勲の李忠成は手放しの賞揚である。彼が在日4世で3年前日本国籍を取得し、日本人として生きる決心をしていたことを知った。今私の地元広島サンフレッチェの選手であり、注目している選手だった。
佐藤寿人と2枚看板で今後大いに活躍してほしい。陰ながら多いに応援したい。

昼前になると雲が出て来て空は暗くなる。やはり寒い一日かとみえたが、夕方には又照り出して変な天気。
長かった一月も今日で終わる。90歳代に一歩踏み出した月でもある。
もう未知も未知、先はくらやみである。
なるようになれ、なるようにしかならない。腹をくくれば自ずから元気が沸く。

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