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2010年12月 8日 (水)

水道の水漏れ、やれやれだ

朝水漏れしている玄関口にある止水栓を修理して貰うため水道屋さんに電話して来て貰う。
昼前にやって来て1時間ぐらいで修理してもらう。バルブ周りを取り替えて23000円かかる。
高いのか安いのかわからない。老人にはもうどうしようもない。

昨夕静子さん夫妻がやって来て、みかん一箱と野菜などたくさん持てきてくれる。
30年ぶりくらいなので、道がわかりにくくて、一昨日は一度迷って引き返し,今日やっとと二日がかりでやってきたわけである。
気の毒でもあるし、ありがたくもあるし、その好意が誠にうれしい。

彼女のところも本年は老母と長女を失い、次女は出産と悲喜こもごもだったが、ようやく平静を取り戻して、明るい顔を見せてくれた。
訪問客が多いので、あまり寂しい思いはしてないと言ってたが、夜分など二人きりで大きな家で住まいして、やはり心細くなるのではと思ったりする。

大東亜戦争勃発の日である。70年目である。遠き昔になったものである。
あの日既に軍籍にあり,浮かぶ瀬はなきことを痛感した一日だったが、あの富士の裾野から修善寺へ向かう道での光景は忘れることはない。
Photo

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(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その140)

この基地探索の帰途太陽も西に傾いた頃、サカール島の南側をツルブに向かい東進中突然背後から爆音が聞こえてきた。と同時に乗り組員全員が一斉に爆音だーと叫んだ。振り向いた瞬間敵機2機は既に艇の頭上に至り、瞬時猛烈な機銃掃射に見舞われた。この2機は瞬く間に島の上を越えて飛び去った。艇は飛行機の風圧をまともに受けて煽られ、全員船底に叩きつけられた。飛び去ってゆく敵機の兵士に顔が、すぐ目の前に大きく写ったが、彼の風防眼鏡越しに見えた顔はひどく凄みがあった。敵機の下腹から打ち出された機銃弾は船底に集中したように感じた。
反射的に艇は全速力で島に向かって突進した。敵機に抵抗する暇は全く無く海岸に到達するや否や一同海岸に飛び降り、近くの密林に駆け込むのが精一杯だった。
敵機は沖合いを大きく迂回して反復攻撃を繰り返したが、やがて爆音を残して水平線の彼方に消えて行った。艇には無数の弾あとが残っていた。やがて日も没した。

    敵の襲撃を交わして一時上陸したサカール島の記録

翌朝艇の様子を見ると船体には無数の弾痕が残っていた。取り敢えず船体の応急修理をした後荷物の揚陸をして今夜はこの島に露営することとした。
この上陸地点近くに15,6軒の土着住民の部落があった。彼らは昨夕の空襲と、舟艇隊員の不意の上陸、闖入にに恐れて、全員密林に逃げ込んでいたらしい。日没後暫くして三々五々と部落に帰ってきて、暫く遠巻きにしてこちらの様子を伺っていたが、何事も起きないと察したのか近づいてきた。隊員が荷物を艇から上げ始めると彼らも手伝いを始めた。そのうちに大声でわいわいと叫びながら駆け足で艇から珊瑚礁の上を砂浜へと往復して荷揚げを手伝い、忽ちにして作業は済んでしまった。
この荷揚げ作業を通じて親しくなったか、姿を見せなかった女性たちもちらほらと姿を見せ始めた。そして警戒心も全く無くなったのか、よく早朝には女子供と殆どの者が部落に帰っているようだった。
翌朝再び敵機がやってきた。舟艇には夜のうちに木の枝葉を切り出して応急偽装をはしていた。海岸から離れた場所に不自然な木立があることから、敵機は忽ちにして舟艇が隠してあることを察したか、この木立をめがけて徹底的に銃撃すると共にそこの村落に対しても銃撃を浴びせた。最初敵機の爆音が聞こえたときにはもう住民たちは逃げた後で全くその姿は見られなかった。結局大木の周りをぐるぐる廻って銃弾を避けていたのは隊員たちだけだった。この襲撃で船体には又多数の弾痕が残った。(つづく)
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