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2010年12月 3日 (金)

飢餓と飽食

外が暗いのだから目覚めは遅くなる。7時半気温は10度と暖かい。
夜中じゅう降ってたらしく、外はびしょ濡れである。
今は止んでるがいつ降り出すとも限らない。
相変わらず膝が痛く、まず階段を下りて行くのが、一苦労である。いやでも正気に戻る。

8時半やっと白んで来た。
今日は何をしようか考える。これも頭の体操か。

昨夕はココログに入るのに一苦労した。毎日やってることなのにID、パスワードが違っていますと警告が出て入れない。何度やっても駄目である。
とうとうプロバイダーのニフティに電話して聞くことになる。
何分だったか、何十分だったか、担当者の赤羽さんに随分ながくつきあって貰って、最後にもう一度やってみて下さいと言われるままやったら、とたんに入力実現。なんだか狐にどこかをつままれた思い。
私を証明するため住所、氏名、生年月日、ニフティ会員になったのが1994年という話にまでなり、理解はしてもらったが、どどのつまりがあっけなかった。
老人というのはそれ自体が幻想の世界かも知れない。

今朝は昨日の雨で外出しなかったので、パンがない。菓子パンのかけらやカンパンと牛乳ですます。
軍隊時代命の綱だったカンパンは私の非常食でいつも戸棚に入れてある。牛乳は私は3.5、家内は無脂肪といつも2本買うからなんとか間に合う。
1食抜いたからといって何でもないのにと後で思ったり。

軍隊時代、不眠不休はもとより、飢餓との戦いも稀ではなかった。
自動車隊だから糧食がないということはなかったが、生米はかじれないので、それこそカンパンが唯一の糧食だった。しかし水には困った。一月も道なき地域を山頂伝いに進軍したときは、常に谷まで誰かが水汲みに降りて行かなければならなかった。
飢えということを深刻に味わった最初だった。
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(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その136)

ツルブ警備の兵団長から特使が出され、夜明けなれば艦は再度敵機の攻撃を受けるは必至のこと、この際上陸しておいてはどうかと勧告があった。しかし艦長は頑としてこれを受け入れないまま時間は刻々と過ぎた行った。再三にわたっての勧奨の末艦長だけが艦にとどまり他の艦員は下艦するということで決着がついた。無念の涙を流しつつ艦の乗組員は上陸したが、艦長だけはなお上陸を拒んだ。明け方になって終に艦隊司令部から指令が出て、とうとう艦長以下全員が艦を離脱し上陸した。

翌朝まだ明けきらぬ上空に敵機数機が来襲し、全く無抵抗の駆逐艦を反復して爆撃した。敵機が西方に立ち去った後にも駆逐艦はそのままもとの形で海上に残っていた。その後敵機は数日に亘って毎日のように来襲し、あたかも爆撃の演習ででもしているように無数の爆弾を投下したのであった。
戦後この駆逐艦は有明ということがわかった。
これは昭和18年7月28日夜の事であった。その後このツルブには二度と駆逐艦はその姿を見せることはなかった。(つづく)
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