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2010年12月 7日 (火)

ニューギニア戦記の搭載を急ぐ

朝7時の気温は10度だが、風が強く寒い。
食後腹がにがり始め、かなり下痢する。原因に心当たりがない。昨夜もおかゆだったのに不思議である。
外食のひるのうどんが、まさかである。
今日の昼は欠食とする。

家内は風邪ではないかと言うが、咳も出ないし熱もないしそれはないだろう。

昨年の8月から続けて搭載している”ニューギニア戦記”ももう少しというところになっている。
私の寿命が不安なので、なんとか年内に片付けたいし、急ぐことにする。
なにしろ原稿用紙にしたら5百枚にもなろうかというのだから簡単ではない。
毎日の容量が大きくなるが我慢して読んでほしい。
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(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その139)

このウンボイ島は東西約30km、南北に約60kmの大きさであり、この地区では比較的に大きな島であった。全島殆ど密林に覆われていたが、舟艇の着岸出来そうな場所は開発され、基地には適当でなかった。先方に見えた丘陵の一角に椰子林のある海岸が見えたので、ここに向かって艇を走らせた。
ここの入り組んだ狭い海浜に小さな丸太で組んだ桟橋があったので、そこに艇をつけ一同は上陸した。
人の住んでいる気配は全く感じられないが、椰子林一帯には丘に向かって南瓜畠が波打つように這い上がっており、その斜面を見上げると農機具の小屋らしい建物があった。
南瓜の蔓は延び放題に伸びて親指大の太い蔓が地面に満遍なく這い回って、そこを歩き回ることが容易でないほどに蔓延っていた。この中を掻き分けるようにしてこの丘を登ってゆくと、眼前に見えた海峡の遥か彼方にニューギニア島の連峰が遠望された。その丘から更にすぐ先の海岸まで続いている南瓜畠は、その大きな葉っぱが、海峡を渡ってくる微風に波立っていた。目の覚めるばかりの緑に映えた風景は今でも目に浮かんでくるそれは美しい景色であった。

このウンボイ島は今まで日本軍が足を踏み入れたことがないので、敵機の関心も薄いらしくここで襲撃を受ける恐れは殆ど無かろうと思った。中隊員一同は久しぶりに敵機の心配を全く考えずに、この丘を降り丸太桟橋辺りの椰子の木陰で暫くのんびりと休息をした。

この場所は中継基地として格好の所と思ったが、何にしても敵機の襲撃に対して遮蔽物が少なく、またその銃爆撃に当たって耐えられるような地形でもなかった。

そこで再びこの島の北沿いに艇を走らせ各所の検分をしてみたが、この島は凹凸はあるもののこれといって基地に利用できる適地は見つからなかった。結局期待に沿うような舟艇の秘匿基地はとうとう見つけることが出来なかったのである。

夕刻を待ってウンボイ島を出発して途中サカール島近辺を廻り、日没後ツルブ基地に帰還することとしていた。この帰還途中にこの日に寄ったアント岬やウンボイ桟橋の写景図の整理をした。これは後日夜間にこれらの地区に進入時の為の資料である。このように新しい基地を調査した場合には、必ず其処に夜間でも進入出来るようにこの図面を書いておく。将来これは大変に役に立ち特に初めてその基地に入る者にとっては大変貴重な資料となるし、陸地に向かって走る場合の目標にもなったのである。この写景図というものは一口で言うと海の沖合いから見たスケッチで、後々にも修正を行い、特に海峡等の横断に当たっては羅針盤の補助として有効に使われていた。(つづく)
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