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2010年12月18日 (土)

鳴門の金時

朝6時に起きだしてパソコンに向かう。
Rosettaのこともう一度調べたくなったからである。
辞書で調べてみると、「intel ベースの Macintosh コンピュータに付属の、PowerPC アプリケーションを実行可能にするソフトウェアです。」とある。
もう一度ディスクからインストールしてみて、改めてどこに入ったか調べてみたが、アプリケーションは勿論機能拡張にも,フレームワークにも、どこにも見当たらない。
インストールログを見てもそれらしいものすら見当たらない。OSの骨肉とでもなったというのであろうか、お手上げである。

辞書の長々とした説明を読んでも,powerPCの変換機能であることぐらいしかわからない。
やはり私ごときの手に負えるものではない。
朝早くからひと勉強させてもらった。

もう午前7時を回った。

朝食のパンの後、娘が送ってくれた鳴門の金時をストーブにかける。まだるっこくて焼き上がるのを待っておれない。途中からチンする。
やはりおいしい。栗よりも甘くおいしい。腹は満腹。ひと寝入りせざるを得ない。

小沢征爾がカーネギーホールでタクトなしの手を振ったとある。病から復帰した訳だが、まるで骨と皮だけの姿は痛々しい。音楽がどうのと言うより心配が先立つ。私も草莽の中の一ファンだからな。

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(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その148)

日が落ち月が出てきた。赤道直下の月は日本で見る月に比べて、随分と大きく見える。人の話では、この月は見るところ、場所によって大きさが違って見えるという。
吉田中尉も今まで各地を転々として確かに場所を変われば大きさも変わって見えることを思い出した。確かに日本で見た月はお盆のようで、この赤道の月は樽のようにおおきくみえたのである。

さて、この満月と焼き豚と祭りとの取り合わせはと期待して待っていた。部落の住民たちは辺りが薄暗くなってくると、三々五々とこの広場に集まって来た。
中央の酋長たちだろう2,3人のリーダーらしい者を囲んで、円陣を作り静かに踊り始めた。隊員たちは戦闘的な激しい踊りだろうと思っていたが、意外に静かで勇ましい踊りではなかった。これは今までこの島のカナカ族は多種族と戦った歴史は全く無いので、従ってここの踊りが激しく戦闘的でないのであろうと思った。

その後ツルブとの交信が出来るようになり、ツルブから後藤少尉が大発動艇2隻で迎えにやって来た。20数日振りにこの島を出られることとなった。

7月29日のラバウルからの駆逐艦による上陸作戦のことは既に記した所であるが、ツルブに帰還した後は引き続いて大発艇によってこの部隊の海峡横断輸送を継続して行っていたが、昭和18年8月上旬、吉田中尉以下の隊員の所属する第8連隊は船舶工兵第9連隊と交代することとなった。

この船舶工兵第8連隊は第81号ラエ上陸作戦以来消耗が激しく新しく到来した気鋭の連隊と交替する事となった。8月以降吉田中尉の率いる第3中隊もラエ、フィンシ基地等にいた舟艇分隊を逐次海峡を越えてニューブリテン島側の基地ブッシング,及びツルブに引揚げることとなった。(つづく)
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