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2010年12月 6日 (月)

菅総理、晋作に怒られるぞ

朝7時快晴無風、気温5度まさに申し分なし。
ただ膝の痛みは相変わらず。もう宿痾となりつつある。そのうち歩けなくなるのだろう。天命つきるはいつの日やら。歩けなくなるまでに尽きてほしい。

菅総理の評判の悪さ、少し気になる。
高杉晋作を手本にするには気魄が不足している。中国を恐れおののいては先人に悖る。
やはり性根に国歌も日の丸もいらぬという気持ちが宿っている以上自身動きがとれないのでは。
みせかけだけではこの世は渡れない。

北朝鮮の砲撃は黒船の浦賀来航によく似ている。
驚かされてるのは日本ではないのか。
原爆は要らないなど綺麗ごとを言ってる時代ではないのでは。
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(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その138)

戦後有明という駆逐艦を調べてみたが、「日本軍艦戦記」には次のように書かれていた。「駆逐艦有明は初春と同型に属し、排水量は1400tでどちらかというと小型である。昭和10年に竣工した。この艦と同時に就航した艦は夕暮であるが、この艦も有明が沈没する1週間前にソロモン海で敵機の攻撃で沈没していた。このように南方戦線で不滅と云われていた駆逐艦も日毎にその姿を消していったのである。
さてこの珊瑚礁はただ単に大発動艇運行の障害物だけでなく、駆逐艦にとっても大きな障害となっていたもようである。この赤道付近にはこのような珊瑚礁が大変多く出来ており、これらは船舶の航行に大きな障害物となっていた。このために航海者の報告にもとづいいて海図に記入されている「浅瀬あり、又波浪あり」等と記されているのは、1908年に航海中の船が浅瀬を発見して、そこに波浪が見えたことを表現したのが始まりである。
又単に「波浪あり」と記されて丸く点線で囲まれているのもあるが、これらはいずれも航海者にとって貴重な資料である。

戦後随分と年月が経っているが、こんな遥かに遠い南の海で日本の駆逐艦がこんな悲壮な最期を遂げたことなど、今は誰一人として知る者はないだろう。

さて本格的な大発動艇によるダンピール海峡横断輸送を始めて1ヶ月あまりになった頃、敵機は舟艇隊が使っている基地の発見に全力を挙げているようだった。頻繁に舟艇が基地に出入りしているとこの基地周辺の樹木は自然に色あせてきて、ここに部隊がいる気配を悟られることは止むを得ない現象である。6月にはいると敵機による損害も増えてきて隊でも早急に新しい基地を探し、移動しなければならないこととなってきた。6月下旬に中隊長の私以下2号無線機及び機関砲の2個分隊、合計14名で偵察隊を編成し、新しい基地探索のため大発動艇2隻に分乗してブプイ河口を出発した。これは新しい北回りの航路を設定する計画の為に、海峡の中間にあるウンボイ島に中間基地をおくことの適否について調査するためであった。

先ずブッシング港を海岸沿いに北上して、その北方約10kmの地アント岬付近に到着した。ここには小さな土着住民の部落があって海岸は断崖になっていた。樹木がこの崖に覆いかぶさっていて舟艇の4,5隻は秘匿できそうにあったが、基地としては少し貧弱に思えた。そして更に北方に向かって探索したが基地に適するところが見つからないので、ウンボイ島の西側を探索して見ることとした。(つづく)
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