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2010年11月 5日 (金)

シルバーの植木屋さんたち

朝8時、シルバー植木手入れの人たちがやってくる。
家内が先日頼んでいた人たちである。
私はまだ疲れがとれずに寝ていたのを起こされてやれやれである。

婿が鳥取の写真など大量に宅ファイル便で送って来る。写真が55枚、それに動画まである。
こまめによく撮ったなーと感心する。
それに昨日から仕事である。若い時はあんなものかなあ。随分昔になるから自分のことは忘れた。
私は送ってくれた写真をプリントするだけでも結構忙しい。

外では家内がシルバーさん相手にしゃべりながら仕事をさせている。急ににぎやかになった我が家ではある。
朝日がさんさんと部屋奥深く射し込み、時ならぬ天国のおもむき。
私にすることはなにもない。しかし身体はあちこち痛い、だるい。

植木の剪定は午後まで続く。シルバーといえどもよく働くなあ。
感心する。
もっとも私も76歳までは現役で働いたから,出来ないことは無い。大分鈍くはなったが。

婿の所に写真など十数枚、宅ファイル便で送っておく。
やっとその気になれる。
まだムービーの方は手がつかないが。
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(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その118)

愈々日本軍の反撃が始まったぞとこの日は大編隊の話でもちきりになった。そしてある者はこれは友軍の大攻勢の前触れだろうとも言っていた。翌日もまた同じ様に大編隊がここの上空を通過して行ったが、喜んだのも束の間のことでその後は待てど暮らせど二度と友軍機の姿を見ることはなかった。

それでも「爆音」という警戒の言葉を聞く度に、或は友軍機ではないかと、淡い期待を抱いて空を仰いだが、その都度期待は裏切られ、敵機の銃撃を避けえるため地隙に逃げ込むのが落ちだった。

この日からかなり経った頃山本連合艦隊司令長官が戦死されたといううわさが流れた。これは我々にとってはやりきれない暗いニュースであった。

戦後公開戦史によって見るとそのとき見た大編隊は、この山本長官ソロモン群島のブーゲンビル島ブイン東方で戦死された事への、報復爆撃「い」号航空作戦であったことを知った。この攻撃は昭和18年4月7日から14日の間にラバウル航空基地を発進しておこなわれたもので、4日間に亘る大爆撃行であった。このうちの3回はニューギニア島の敵空軍基地であるポートモレスビー飛行場と更にのミルン湾海軍基地とラビ飛行場が攻撃の目標であった。私たちが狂喜してみた編隊がこの爆撃行であったわけで、これに参加した機数は248機と記録されている。ラバウルから敵飛行場までは370浬(やく700km)を長躯遠征したと書かれているた。おそらくこの方面での大規模な航空戦はこれが最後のものであったろうし、私たちがニューギニア島で見た最後のの日本軍の飛行機であったようだ。(つづく)
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