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2010年11月22日 (月)

我が日課

7時起床。間もなく降り始める。気温12度。朝食を済ますともう一度ベッドイン。10時半再度起床。
今度はほんとに眠気を払ってパソコンに向かう。

起動させた後、日記の画面が現れると、沸いたばかりの熱いお茶をまず一杯。
こうして我が日課は始まる。

雨のおかげで、霧が深く下界は夕闇とまごうばかり。島も海も視界の外。
少し風邪気味らしく、鼻水の出が激しい。
睡眠時間が永くなるのはこの風邪のせいでもある。
老人性の風邪というのがあるかどうか知らないが、自覚らしいものはあまりないが、くしゃみもかなり頻繁に出るし、症状はやはり風邪らしい。
必要以上に寒さを感ずるし、だが、けだるいのは老人本来のものだろうが。

頭がうすぼんやりして、考えが浮かばない。記憶も薄れて、何か思い出そうと努めても出てこない。
もう駄目だなと悲しくなる。
筆を折ると昔の人はよく言ったものだが、これかなと思い当たる。

丁度十年前ハワイに出かけたときの元気さはもう帰らない。
婿が先般鳥取のハワイ温泉に連れて行ってくれたのが、どうもその象徴のようだ。
言わず語らず、娘らは形で示したか。
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(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その129)

この装甲艇の残骸は砲塔を水面に出したままそこにあったが、引き続いて数日に亘る敵機の反復攻撃に晒され、日を置かずにその残骸は河底に消えうせてしまった。
この装甲艇の砲塔等が水面に出ていたときに舟艇に乗ってその傍を通る隊員たちは、敵と一戦も交えることなく辺境の果てで沈んだこの装甲艇の短い生涯をいとおしく思ったという。
この残骸が全く見えなくなった後、慌しい輸送行動に紛れていつの間にかこの一件は皆の頭から消えていった。

昭和18年5月に入るとこのダンピール海峡は、彼我両軍の戦闘の焦点となった。
日本軍がこのニューギニア島に進出して優位に立つためには、この海峡を確保することは絶対の要件であった。
5月4日第8方面軍司令官今村中将は第60旅団長に対しこの方面の体勢強化のために次の方針を示している。
それは「ツルブ飛行場の整備、海運基地施設の強化。ラエに対する補給基地の設定、そして一部の隊でもってブッシング基地、ウンボイ島 南部の占領と舟艇機動基地の設定、そしてその基地の輸送に任ずる船舶部隊の駐屯を命じたのであった。
(つづく)
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