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2010年11月23日 (火)

親父の命日と私の信条


快晴、朝の気温も11度と暖かい。今日は父の71年目の命日である。思えば永く生きて来たもんだ。
父と別れた日のことはまざまざと未だに瞼の裏に残されている。

不孝不肖の息子であった。親父が営々として築いた資産をことごとく失ってしまい、母は愚か兄弟姉妹親戚の末まで嘆かせてしまった。期待の大きさにうちひしがれ、考えも浅はかで甘かった。

皆自ら招いた不幸だったが、よき多くの友に助けられて、今日の幸せがある。
しかし長年にわたり助けてくれた横山君も丁度1年前先立った。
もうこの幸せの終止符を打つ時期がまぎれもなくやってきたようだ。
もしあの世があるなら、父の膝下に戻ることになるかもしれない。怖いなあ。

いみじくも家内が朝食のとき、仏壇が欲しいと言っていた。夢見が悪く分けのわからぬところをさまよい歩いたからという。最近こんな夢をよく見るとも。
私の宗教嫌いから、私のうちは神棚も仏壇もない。でも今更信条を曲げる気持ちは起こらない。
家内や子や孫たちは不幸と感じているだろうか。
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(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その130)

船舶工兵隊第3中隊は既にブッシング基地を設定し、海峡輸送の任務に就いていたので、そのまま其処を第60旅団長の指示通りニューブリテン島側の基地とした。陸上部隊は総じて船には弱い。全く無防備ともいえる大、小発動艇に乗って渡航する事は、地上では精鋭部隊と雖も乗船してしまえば手も足も出なくなるのが普通の姿である。敵機の来襲に遭えば手を拱いて見ている以外に何もすることは出来ない。艇に乗り込むことは陸上部隊の最大の泣き所であって、進んでどんどんと艇に乗り込む気になれないのは当然である。

そんな気持ちからツルブからブッシングまでは海路を避けて陸路を通る部隊が多いのである。たとえ苦労が多くても密林の中を歩いてくる方を選ぶ部隊が多いのであった。しかし一度このブッシング基地に到着した後には、否応なしに艇に乗ってこの海峡を渡らねばならないことになっている。そしてこの乗船をめぐっての打ち合わせの際、やれ乗船の時刻が打ち合わせの時間より早すぎるとか、やれ未だ部隊の員数がそろっていないとか、と苦情が出され、舟艇部隊と乗船部隊の間で押し問答が起きることがしばしばあった。このため時には乗船の日時を変更せざるを得ないようなこともあった。(つづく)
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