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2010年10月15日 (金)

広島城天守閣

朝6時半気温18度と割と暖かい。風もない。
昨日三島、今日は東広島市民病院と家内は連日医者通いがつづく。
老人とはそれ自体が病身みたいなものだから仕方が無いな。

今朝の新聞を見ると、別府の杉の井ホテルが割安広告を出している。過去に何度か泊まった経験のある大きなホテルである。
来月の1、2日がいいから申し込んでおくかと、家内と相談しパソコンで検索してみると空き部屋の表示がない。
電話で問い合わせて見ようかと思ったが、せいてはことを仕損ずると思いとどまる。
別府にはいくらでもあるから、急ぐ必要はない。

最近は近郊にも温泉と名乗るものが沢山あるが、効能的にはやはり別府が安心だ。
山陰に足を延ばせば玉造など数は多い。3日ぐらいはゆっくりお湯につかりたいから、本物でないとだめだ。
時間の合間に見物ということになるとやはり別府かなあ。

チリの鉱山落盤事故で生き埋めになった33人は、69日ぶりに2日間にわたって地下700米から全員帰ってきた。何よりおめでたい。皆注目していただけに成功してよかった。

11時過ぎ家内を送って広島の病院出張所まで行く。
午後1時に紙屋町で落ち合うことにして、私は久しぶりに広島城址公園を訪れる。
護国神社にも90歳の厄よけを祈願し、城のたたずまいを眺める。
戦前のものは一度か二度見たきりだから、まるきりおぼえていないが、こんなみすぼらしいものだったかなあとふと思う。

もっとも松江城なんかも戦前訪れた写真が残っているが、素朴な感じのもので、いかめしいお城と云った風情は無いからこんなものだったのだろう。
姫路城などやはり例外なのだ。

家内とメルパルクで落ち合って食事をすませ、近くのデパートでちょろちょろと買い物を済ませてさっさと帰宅する。老人はこれだけでも結構疲れるものである。家内も数値が少し悪くなったと元気が無い。
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(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その103)

ましてラバウルとニューギニア島とではあらゆる面で状況が違っている。ここフィンシではオートバイ等は絶対使えないことは判っている。どんなに考えてもこれは無用の長物なので、舟艇隊員はこの揚陸を拒否した訳である。しかし、2、3人の海兵がしゃにむに艇に降ろそうとした為に争いになったのである。この争いも舟艇隊員がこのオートバイを受け取るや否や、これを海中に放り込んだことで落着となった。
舟艇隊員は誰もこの地ではオートバイなんかより緊急に必要な物が沢山あることを深刻に体験しているからである。

こんなことを敵機の下で何時迄も争っている暇は無く,食糧品の大きな梱包がまだ甲板に残されていたが,艇は咄嗟に反転して陸岸に向って発進した。

後々の公開戦史にはこの第2回のフィンシに対しての駆逐艦輸送は,約800名の兵員と,軍需品を揚陸したと記してあった。しかし実際には敵機の爆撃で駆逐艦1隻が沈没していたが、この戦史では全館無事にラバウルに帰投したと記録されている。(つづく)
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