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2010年10月26日 (火)

降ったり照ったり狐の嫁入り

ようやく雨上がりいい天気になりそう。気温17度と変わらず。
時々朝日がかーっと雲間から顔を出して部屋の中まで射し込む。
2日間よく降ったから、蘇生の思い。

今日は薬が切れたから内藤内科に出かけなくてはならない。家内も三島歯科に予約がある。
相変わらず忙しいのは医者通いばかり。

家内がツアーで京都のもみじを見に行くという。
一泊でバス旅行、知恩院、三千院、嵐山、長岡京と広範囲なので、膝の痛みが再発する恐れがある私は棄権する。妹等二人に声をかけて一緒に行くことにしたらしい。
京都の紅葉はどこも混むから嫌だ。
もっともこの月末の29日というから少し遅すぎる気はするが。

今年の春遥々訪れた奥州の千年、千二百年の二つの桜は、共に老醜無残喜びより哀れさを感じたが、まもまくゆく年を華やかに彩るもみじにはその憂いはない。ただ散りつもる色とりどりの葉のにぎわいは若干の寂しさを蔵してはいるが。

少し風が出て、空は雲の去来が忙しい。そのうちぱらぱらと降って来る。
狐の嫁入りだ。
家内を三島につれて行き長くかかりそうなので、私は内藤内科に行く。
血液検査の血を抜かれる。
昼飯はとうとう1時になる。
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(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その113)

フインシ及びプブイ河の舟艇基地での部隊の出入りは激しかったが患者の収容所は置いていなかった。ラエ及び対岸のツルブには設けられていたので、此の舟艇隊の患者も殆どの者をこの2ヶ所の収容所に送り込んだ。しかし間にあわずに艇上で死亡した者もあり、葛本上等兵もその一人であった。彼の小指の一片が入った缶は常に私の腰にぶらさがっていて何時も私と一緒に歩いた。火葬も出来なかった代わりにこうでもしてやらねば気が済まなかったのであった。

兎に角ここの戦場ではどんな事態になっても、火を焚いて煙を出す事は絶対に許されない事であった。例えば煙草の煙にまで神経を払いその煙を手で払い散らすとか、夜間には不用意にもマッチを擦ったりすると、回りの者はぎょっとして誰かが必ず大きな声で怒鳴った。そして其処の回りには兵士たちの緊張した鋭い眼が突き刺さって、身の置き所もない雰囲気になってくるのである。この様に灯りに付いては誰もが極度に神経質になっていた。お互いに気をつけ合っていたが、灯りに付いての失策は只の一回たりとても許される事ではなかった。そしてこの失策は茲に居る者の死に直結しているからである。(つづく)
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